大須山 防空高角砲台





大須山 防空高角砲台(2006.4.14、2007.3.11再訪)


左:米軍の航空写真(M731-A-3、国土地理院)



国土地理院の航空写真(1960年頃、左:MCG628-C23-2、右:MCG628-C23-1)



国土地理院の航空写真(1960年頃、左:MCG628-C23-1、右:MCG628-C23-2)



国土地理院の航空写真(1975年頃、CCG747-C22B-32)





頂上から伸びる尾根上の遺構



大須山は江田島の最北西にある。
その大須山の山頂から北西に延びる尾根と、その西にあるピークとの間に、砲座や兵舎跡が並んでいる。現在砲台跡は公園として整備され、麓から車道もつけられている(未舗装で工事中、いずれ南東側へ抜ける林道になるらしい)。
この時はバイクで行った為、砂利道を登れず麓から20分かけて歩く羽目になった。行く際には四輪かオフロードバイクを利用した方が良い。






砲台東側(砲座、兵舎跡等)





左:砲座C、右:同左の砲員退避所



左:砲座B、右:同左の砲員退避所



左:砲座A(連絡路から)、右:同左



左:北側尾根上の弾薬庫E、北西を石垣で囲まれている、右:山頂へ行く尾根上の石垣



左:南側の指揮所D、右:煙突と水槽がある



左:指揮所Dの南側にある水槽、トイレ?、右:指揮所Dの東裏の防空壕



左:指揮所Dの北側の石垣、右:西側ピークから見た山頂と砲台部



左:平坦面Gを南上から、右:平坦面G



左:Fの南側の円形窪地、右:Fの北側の円形窪地



左:指揮所Dの東側の尾根上から山頂を望む、右:西側ピークを望む





大須山山頂から続く尾根上の平坦部に、3基の砲座と2棟の建物跡がある。
砲座はコンクリート製で、其々に砲員退避所が付属している。しかし戦後の金偏景気(物資不足の終戦直後、多くの人があらゆる場所から金属を掘り出して勝手にもって行った)で手が入ったのか、天井部や砲座の基礎部が壊され、破片が積まれている。
南側にある指揮所は比較的良く残っている。指揮所脇に天水用と思われる水槽と、少し離れた場所にトイレ用と思われる水槽、更に建物の裏手に2ヵ所程防空壕が掘られている。
北側の尾根上にある(恐らく)弾薬庫Eは、基礎と石垣しか残っていない。また草に覆われていたので詳しい事は判らなかった。
南側の大須山山頂へと続く尾根上に、一辺が2m程の石垣の台が組まれているが、何のためのものか判らない。

砲座Aの南東側から尾根沿いに山頂へ向かう道がついているが、その道沿いFに内径1m程の円形窪地が2ヶ所並んでいる。用途は不明。またその南側には平坦面Gがあるが、これまた用途不明。





砲台西側(兵舎、水槽等)






左:東側から見た西のピーク、右:水槽



左:水槽付近の斜面の切欠き、右:兵舎跡



左:兵舎裏の防空壕、折れて1m程しかない、右:東尾根斜面の防空壕?

西のピークには、2基の上水用と思われる水槽がある。また他にも切欠きがあるので、他にも何らかの構造物がこのピーク上にあったのかもしれない。
ピークと尾根との谷間は平坦地になっており、その一段高い部分には兵舎跡がある。比較的大きなトイレ跡や調理場のようなものがある。兵舎の裏手には防空壕があるものの、奥行きはそれ程無い。
東側の尾根の斜面に、防空壕と思われる穴があるのだが、奥行きが50cmくらいしか無く、何のための穴なのか良く判らない。






大須山頂上 聴音探照所?






左:円形窪地Aを北西から、右:円形窪地Aの北側の連絡路



左:円形窪地Aの西壁面、右:円形窪地Aの東壁面



左:円形窪地Aの中央にあるコンクリート基礎、右:円形窪地Aの連絡路の北側にある土塁



左:水槽B、右:水槽Bの東裏の切欠き



左:兵舎のあった平坦地Cを南から、右:同左に写っている水槽を北側から



左:平坦面Cの東隅、右:水槽の残骸



左:平坦面Cの北東面、右:同左にある防空壕



左:平坦面Cの北西側、右:登山道で分断された防空壕



左:2つの大岩Dに挟まれた空間、右:円形窪地Eの東隅の石垣



左:円形窪地E、右:Eの西側の石垣をFから撮影



左:第二聴音探照所付近を望む、右:EからFを望む



左:円形窪地Fの東下の通路、右:円形窪地F



左:円形窪地Fの西側、右:F付近から砲座のある平坦面を望む





大須山山頂付近にも遺構が残っている。
円形窪地が3ヶ所と兵舎1棟を中心としたもので、砲台付属の聴音探照所かと思われる。ただ、YさんVさんの情報によると、北側と西側の尾根上それぞれにも砲台付属の聴音探照所があるそうで、竣工時の装備を考慮すると数が1ヶ所多くなってしまう。他の施設なのだろうか。

最南東端には、円形窪地Aがある。内径約6.5mで深さは2m弱、中心には直径約1mのコンクリート製基礎がある。ただこの基礎は外側と内側のみで中は土が詰まっており、鉄製のアンカーボルトは見つからなかった。未装備のまま配置変更にでもなったのだろうか。
山頂の南東下に兵舎があったと思われる平坦面Cがある。兵舎があったと思われる辺りの4隅には水槽らしき残骸が並んでいるが、雨水受けか何かだろうか。更に南東隅には平坦面Bがあり、トイレらしき水槽が残っている。現在は北東面に登山道が開削され、その際に北東面に掘られていた防空壕が両断されている。
三角点近くに大岩が2つあり、その間に低い石垣が組まれている。何らかの設備が置かれていたのだろうか。
その北東には円形窪地Eがあるが、この周りの要所要所は石垣で組まれている。またその北西にも円形窪地Fがあり、これまた同様である。Fの内径は約4mで、EF共に基礎らしきものは見つからなかった。
南東端のAから砲座のある平坦面まで軍道が整備され、場所によっては土留めの石垣が組まれている。しかし山の土質が砂な為に崩れている所や、軍道を無視して登山道が付けられた所があったりするので、全て歩きやすいわけではないので注意が必要である。





日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年2月8日 官房機密第1184号
昭和16年11月 防空砲台、第四砲台群(下士官2、兵11)
工事中
准仕官以上1、下士官兵45、有線電話
構築中
准士官以上1、下士官5、兵40 
昭和16年12月 防空砲台  
昭和17年1月 防空砲台  
昭和17年4月 96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型2
仮称ヱ式空中聴音装置2
8cm双眼鏡1、7cm双眼鏡3
38式小銃6、14年式拳銃2
配員 下士12、兵53
昭和17年7月 竣工

89式40口径12.7cm連装高角砲2基
サ式4m高角測距儀1
96式150cm陸用探照灯1型及管制器2型2、仮称ヱ式空中聴音装置2
12cm高角双眼望遠鏡2、8cm高角双眼鏡1、7倍稜鏡双眼鏡3
38式小銃6、14式拳銃2
配員 准士1、下士1+4(臨21)、兵13(臨48)
昭和17年8月 12.7cm連装高角砲2基、150cm探照灯(管)2、仮称ヱ式聴測装置2、サ式4m測距儀1
12cm高角双眼望遠鏡1、8cm望遠鏡1、7倍稜鏡3
S17.7竣工 官房機密1184(16.2.8)砲座3基の所2基装備
昭和17年9月 防空砲台第4砲台群  
昭和18年1月 防空砲台(第2砲台群)  
昭和18年8月 艦本機密第1号ノ11726号(18.8.30)、防空砲台に高射装置装備の件照会により95式陸用高射装置を装備
昭和19年6月 12.7cm連装高角砲2基  
昭和19年7月 防空高角砲台 12.7cm連装高角砲2基

機密呉鎮守府命令第235号、昭和19年7月1日(呉鎮守府、S19.7)
呉海軍工廠長は左に依り防空砲台照射聴測装置整理移設を実施すべし
大須山砲台→秋月砲台
96式150cm探照灯1型陸上用1、同管制器2型1
備考:(1)亀ヶ首、大須山各砲台に残る1組は砲台付近適当なる位置に移設す  
昭和19年8月 12.7cm連装高角砲2基 既設  
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 既設  
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 完備  
昭和19年11月 12.7cm連装高角砲2基 完備  
昭和19年12月 12.7cm連装高角砲2基 一部付属装置の外完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備  
昭和20年2月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備  
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲2基
95式陸用高射装置付属品補用品共 1組
2式陸用高射装置 1組
サ式4m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 2基
12cm高角双眼望遠鏡 1個、8cm双眼望遠鏡 1個
貨物自動車 1台
ディーゼル交流発電機陸上用60KVA120V三相60KVA配付 2基
建築物 兵舎3、其ノ他付属施設6 

用地:78226m2、建物:328m2



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