南西兵舎





右:米軍の航空写真(USB15-R14-517、国会図書館)


左:兵舎丘陵東斜面にある崩落した地下壕群K、右:同左の最も大きなもの


左:地下壕群Kの1つ、右:別の1つ


左:兵舎平坦地L、右:同左東端にある基礎、櫓式の貯水槽の基礎?


左:兵舎平坦地Lの風呂跡、右:同左


左:兵舎平坦地Lの施設群、右:同左中央の手洗い場


左:兵舎平坦地Lの南西端のコンクリート遺構、右:北隅の天水桶





左:兵舎平坦地Mの十字型のコンクリート敷き通路を北西から、右:同左を南西から


左:兵舎平坦地Mの南東端の石列(兵舎出口を挟んで1組ある)、右:東隅の天水桶


左:兵舎平坦地Mの西隅の天水桶、右:Nの南西下の平坦地


左:トイレ?Nを東から、右:同左を南から


左:トイレ?Nを北から、右:崩落した地下壕入り口O


左:平坦地P、右:平坦地Q


左:平坦地S、右:Sから平坦地Tを見下ろす




砲座の西下の丘一帯に兵舎とその付属施設がある。

遊歩道のカーブの西の斜面に、崩落して溝や穴になった地下壕群Kがある。恐らくは兵舎一帯向けの防空壕だったと思われるが、内部がどのくらいまで広がっていたか不明である。

丘の頂上は広い平坦地となっており、兵舎LとMの敷地がある。航空写真や遺構から、Lが烹炊所や風呂場、洗面所といった付属施設、Mが宿泊用の兵舎かと思われる。
兵舎Lは元々全面がコンクリート敷きだったようだが、現在は北隅付近が剥ぎ取られたようになっている。兵舎Mは通路のみが十字型にコンクリート敷きになっている。
兵舎Lには北東面の両端に2ヵ所、兵舎Mには4隅に、天水桶が残っている。兵舎Lの東隣に正方形に並んだコンクリート基礎がある。海軍施設でよく見かける貯水槽を発見できなかったので(見逃しているだけかもしれないが)、もしかするとこのコンクリート基礎の上に櫓を組んで、その上に貯水槽を上げていたのかもしれない(蓋井島の賢女鼻防備衛所の施設に、石積で上にあげた貯水槽があったので、そこからの推測)。
兵舎Mの南西下には、2段の平坦地がある。

兵舎施設の西に、コンクリート構造物Nがある。海軍施設で良く見かける物とは異なるが、形状や位置からトイレではないかと思われる。
Nの西は自然地形の小さなピークがあり、その南面に崩落した地下壕Oがある。

南西斜面には、下へ降る軍道と、その周辺に幾つかの平坦地P〜Tがある。基礎などは見当たらず、畑跡の可能性もある。






日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 大峯山を新宮に変更 官房艦機密第157号に依り工事中
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第6511号(?)に依り工事中
士官2、准士官、下士官兵24(19.10.20)
12.7cm連装高角砲2基 土工事中、官房艦機密第157号
昭和19年11月 工事中
昭和19年12月 13mm単1門
工事中
昭和20年5月 12.7cm連装高角砲2基 13mm単1門 既設
試射5/16実施
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲 2基
2式陸用高射装置 1基
98式4.5m高角測距儀 1基
92式3型110cm探照灯 1基

用地900m2
兵舎他、木造16棟、759m2



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