高射第121連隊(仮)





高射砲第121連隊の配置図(昭和20年6月頃)






高射砲第121連隊の配置図(終戦時)





履歴:

2010.7.26 新規作成(仮)



昭和20年5月28日現在:(本土 全般 061 本土防空高射砲部隊の概況 昭和20年)
(注:他の資料との整合性が無かったりするが、参考まで。)

高射第121連隊 炸7630

第1大隊: 7cm高射砲3個中隊、8cm高射砲3個中隊、タ号1型1、タ号3型2
7高1中は97式高射算定具、7高1中は90式高射算定具、7高有脚4門

第2大隊: 7cm高射砲1個中隊、8cm高射砲4個中隊、12cm高射砲1個中隊、タ号3型1、タ号改4型1
7高1中は有脚

第3大隊:
照空3個中隊

第4大隊:
照空3個中隊


・7高1中は神戸、8高1中は明石、7高1中は京都
・高122と混成の照1小は宇野港
・照1中は京都(6月下旬)
・7高1中 和歌山
・7高1中 下津(石油工場)(6月下旬)
・本部にタ号1型1、タ号3型1あり



独立高射砲第13大隊 炸4116

7cm高射砲1個中隊、8cm高射砲1個中隊、照空1個中隊、タ号3型1
7高1中は97式高射算定具(電照なし)、7高1中は有脚
・照1小は神戸地区に配置
・7高1中は京都
・教育隊なり



独立機関砲第11大隊、炸4117

(略)
ソキ1中と1小は大正飛行場



備考:
・本表の他、航空機用13mm機関砲136門を各師団に分与、交通路上の要点に配置する予定
・主要工場自体の防空気球、大阪に27個、神戸に17個あり
・8高、12高の各中隊は全部2式算定具を装備す
・高射砲第3師団、無線機の装備は左の如し(注:資料の数は漢数字で潰れていて読めず)
 3号甲 4
 3号丙 3
 3号 22
 6号 14
 副受信機 14
・高射砲第121、122、123連隊に各々特甲特乙装備あり
・高射砲第3師団に無線平行誘導装置6組あり
・弾薬装備の現状、左の如し(各門宛概数)
 7高 400、8高 90、12高 90、機関砲 770
・高射砲第3師団の自動車の装備は左の如し
 自動貨車 32、乗用車 26






若江 照空第13中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



米軍の航空写真(左:R500-13、国土地理院、右:USB15-R12-797、国会図書館)



左:米軍の航空写真(R500-13、国土地理院)

巽村、第1中隊、7高4門(終戦時):
現在のロート本社付近にそれっぽい敷地は写っているが、砲座は確認できず。





若江(仮名)、照空分隊、中隊本部:
若江小学校の北西、薬師寺の南側付近に照空分隊、若江中学校の東側付近に中隊本部の印あり。航空写真では確認できず。

萱振(仮名)、照空分隊:
府立八尾北高校の南東、加津良神社の北に照空分隊の印あり。航空写真では確認できず。





小阪(仮名)、照空分隊:
近鉄河内小阪駅の北、大阪商業大学の西付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認できず。

長瀬(仮名)、照空分隊:
JR長瀬駅の西、安養寺の北付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認できず。





八尾(仮名)、照空分隊:
八尾小学校の南西付近に照空分隊、またその南西に照空大隊の印あり。航空写真では確認できず。




左:米軍の航空写真(R462-90、国土地理院)

久宝寺(仮名):
久宝寺緑地の内部にに照空分隊の印あり。航空写真を見ると、円形窪地っぽいものが写っているような気がするが、いまいちはっきりとしていない。





平野 照空第14中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



左:米軍の航空写真(M18-1-120、国土地理院)、右:米軍の航空写真(USB15-R12-797、国会図書館)



長居、第3中隊、7高6門
配置図を見ると長居公園の敷地内に7高のマークが書かれているが、航空写真からは明確な地形跡は見つけられなかった。





左:米軍の航空写真(M18-1-121、国土地理院)

矢田部(仮名)、照空分隊:
近鉄南大阪線矢田駅の西、矢田西小学校の南東付近に、照空陣地らしいものが写っている。





左:米軍の航空写真(M18-1-70、国土地理院)

三宅(仮名)、照空分隊、中隊本部:
大海池の南西、阿保5丁目交差点の南東部付近に、学校並の広さの施設跡が写っている。





左:米軍の航空写真(M18-1-147、国土地理院)

桃ヶ池(仮名)、照空分隊:
桃ヶ池と桃山学院高校との間付近に照空分隊の印あり。航空写真を見ると、高校のグラウンドにそれっぽいものが写っているようなのだが、余りはっきりとしておらず別のものの可能性が高い。





左:米軍の航空写真(、国土地理院)

平野(仮名)、照空分隊、大隊本部:
摂陽中学校の西付近に照空分隊の印が、大阪教育大学付属高校平野校舎付近に大隊本部の印が描かれているものの、航空写真では確認できず。大隊本部は後に八尾に移動した模様。

瓜破(仮名)、照空分隊:
瓜破斎場付近に照空分隊の印あるが、航空写真では確認できず。





左:米軍の航空写真(R443-No2-19、国土地理院)

六反(仮名)、照空分隊:
長吉六反の集落付近に照空分隊の印あり。航空写真を見ると弘常寺の南東付近に円形土塁の残骸らしきものが写っているが、確認は取れず。






石原 照空第15中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



米軍の航空写真(左:M157-A-6-180、1946年6月、右:M18-1-40、1948年2月、共に国土地理院)




独立高射砲第13大隊、大泉池、7高5門、8高6門(引渡時)、照空2個小隊:
大泉緑地、大泉池の南西付近に2ヵ所の高射砲陣地跡と建物群の跡が写っている。また現在の大泉緑地周辺に3ヵ所の円形の地形が写っている。直径は約150mで、何らかの施設跡と思われるものの正体は良くわからない。高射砲陣地の南の円形地形内には砲座跡らしきものが写っており、こちらは高射砲陣地跡の可能性もある。





左:米軍の航空写真(M18-1-10、国土地理院)

石原(仮名)、照空分隊、中隊本部:
初芝立命館高校の北300m、来宝寺付近。照空陣地らしきものが写っている。地図を見ると照空分隊と中隊本部が描かれており、これではないかと思われる。






杉本(仮名)、照空分隊:
大阪市立大学構内に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。

天我美堂(仮名)、照空分隊:
松原第5中学校の南付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。




左:米軍の航空写真(、国土地理院)


黒土(仮名)、照空分隊:
警察学校の西付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。

新家(仮名)、照空分隊:
東百舌鳥高校と東百舌鳥中学校の中間付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。




米軍の航空写真(左:M157-A-6-176、中:M18-1-13、国土地理院)


丹南(仮名)、照空分隊:
美原ロータリーの西付近に照空分隊の印あり。航空写真では円形窪地と兵舎らしきものが写っており、これではないかと思われる。







堺 照空第16中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時




上左:米軍の航空写真(R443-No2-46、国土地理院)

石津川、第5中隊(高射戦史、昭和20年6月頃)、8高6門、照空分隊、中隊本部:
南海本線石津川駅南西500m、石津川旧河口の右岸。左岸に中隊本部と照空分隊のマークもあるが、航空写真では完全な畑もしくは田んぼで残っておらず。





堺(仮名、もしくは大浜)、照空分隊、大隊本部:
大浜北公園付近に照空分隊と大隊本部(終戦時)が、また堺駅の北西付近にも大隊本部(昭和20年6月頃)の印あり。いずれも航空写真では確認は取れず。

湊(仮名)、照空分隊:
新湊小学校の北付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。






鳳(仮名)、照空分隊、中隊本部:
JR阪和線の鳳駅の東付近に照空分隊と中隊本部の印あり。航空写真では確認は取れず。

深井(仮名)、照空分隊:
泉北高速鉄道の深井駅の北西、深井小学校の南付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。






百舌鳥(仮名)、照空分隊:
JR阪和線の百舌鳥駅の南東付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。





米軍の航空写真(M18-1-6、国土地理院)


仁徳天皇陵の南西にある大仙公園付近に、照空陣地らしき遺構が2ヵ所写っている。上記の百舌鳥(仮名)の位置がこちらなのかもしれないが、あまりに離れすぎている感があり、別のものである可能性もある。






南港 照空第17中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



米軍の航空写真(左:M18-1-116、右:R443-No2-30、国土地理院)



木津川(南港)、中隊名不明、8高6門(終戦時)、7高5門(昭和20年6月)、大隊本部、照空中隊本部、照空分隊:
ニュートラム、南港東駅の南東500m。地図の位置と違うが写真にくっきり写っているので南側が正解。また電波標定機の跡がその北500mくらいのところに写っている。その南は兵舎跡だろうか。右の方にも幾つか建物が写っているが、大隊本部や中隊本部かと思われる。(そうなると地図はかなりいい加減になるが)。またその南には照空分隊らしき施設跡も写っている。
東側の7高5門は確認できず。





米軍の航空写真(R443-No2-26、国土地理院)



左:米軍の航空写真(R462-85、国土地理院)

帝塚山(住吉神戸)、第4中隊、8高6門、照空分隊:
市立住吉中学校の校庭内に砲座を確認できる。砲座に影らしきものがあり、また撮影時間によって影の方向が違うため、東淡路の現存砲座のように地面から高く嵩上げされているものと思われる。照空分隊については位置不明。






三宝(仮名)、照空分隊:
南海本線七道駅西、三宝インターの西の新日鉄の工場内に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。

北島(仮名)、照空分隊:
住之江公園の南東、敷津浦小学校の西付近に照空分隊の印あり。航空写真では確認は取れず。





左:米軍の航空写真(USB15-R11-103、国土地理院)

北加賀屋(仮名)、照空分隊:
地下鉄緑木検車場の北付近に照空分隊の印あり。航空写真では、円形の地形が確認できるものの道路上にあり、何ともいえない。







北港 照空第18中隊




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



米軍の航空写真(左:USB15-R11-101、右:USB15-R11-533、国会図書館)



米軍の航空写真(左:M85-1-111、右:R500-4、国土地理院)



米軍の航空写真(左:USB15-R11-533、右:USB15-R11-101、国会図書館)



米軍の航空写真(左:M85-1-90、国土地理院、右:USB15-R11-533、国会図書館)



米軍の航空写真(USB15-R11-533、国会図書館)




桜島(北港)、中隊名称不明(第7〜12中隊辺り)、12高6門、8高6門(終戦時)、7高6門(昭和20年6月):
ユニバーサルスタジオジャパンの西、北港周辺に3ヶ所の高射砲陣地が写っている。南西端にあるのは独特の六角形の形状からも12cm高射砲のもので、陣地の少し北には電波標定機らしき円形の跡が写っている。北港JCTの北東側の高射砲陣地は地図の記載から8cm高射砲と思われる。入り江を挟んで南側の角にも高射砲陣地があるが、こちらも地図の記載から7cm高射砲のものと思われる。入り江の奥の両岸に、建物が幾つか写っているが、この辺りが第2大隊本部や照空分隊、照空中隊本部等の建物かと思われる。





左:米軍の航空写真(USB15-R11-101、国会図書館)

中央突堤(仮名)、中隊名不明、7高4門(終戦時):
中央突堤の先にも、高射砲陣地らしいものが写っている。





左:米軍の航空写真(R500-6、国土地理院)



米軍の航空写真、上の写真の拡大(R500-6、国土地理院)

福崎、中隊名不明、8高6門(終戦時):
三十三間堀川の南岸にも高射砲陣地が写っている。上の写真は戦後3年経っているが、それでも建物等が綺麗に残っている。ここの高射砲座も高架式なのか、太陽の影が写真に写りこんでいる。また堀川の逆側にも施設跡らしいものが写っている。探照灯の円形土塁のようなものもあり、地図ではもっと南西に描かれている昭和20年6月頃の照空分隊と中隊本部が置かれていたのか、もしくは元々は高射砲陣地がこちらにあったのかもしれない。





左:米軍の航空写真(USB15-R11-103、国土地理院)

思賀島、中隊名不明、8高6門(終戦時):
平尾小学校の北西隣付近にも高射砲陣地が写っている。





米軍の航空写真(USB15-R11-104、国土地理院)



船町(仮名)、照空分隊、高射砲は資料無し:
木津川河口に照空分隊らしいものと、高射砲陣地が写っている。高射砲陣地の方は資料に載っていない。南港の昭和20年6月の地図に描かれている7高5門のマークが実はズレていて、これがそれにあたる可能性もある。






第1突堤(仮名)、照空分隊:
第1突堤の大阪市港湾局の建物付近に照空分隊と中隊本部の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。印がずれていて、上記の三十三間堀の西の施設跡がこの印の施設である可能性もある。

市岡(仮名)、照空分隊:
市岡小学校の北東付近に照空分隊の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。







八尾飛行場周辺




左:昭和20年6月頃、右:終戦時



左:米軍の航空写真(M18-1-99、国土地理院)

大正(仮名)、第2中隊、7高4門(昭和20年6月)、7高6門(終戦時):
八尾空港の南にある、北町集会所の北付近に高射砲陣地が写っている。上記地図では高射砲陣地が移動しているが、地図の4門編成の印の位置に6門編成の高射砲陣地が写っているので、地図の位置が間違っていて位置変更は無かったのかもしれない。




恩地(仮名)、聴音分隊:
恩地駅の東、南高安小学校の東側付近に聴音分隊の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。









独立聴音中隊(富蔵?)








左:北部(終戦時)、右:南部(終戦時)



左:米軍の航空写真(M85-1-72、国土地理院)

上垣内(仮名)、聴音分隊:
上垣内の西方に聴音分隊の印あり。ただ上垣内という字が消滅してしまっている。どうも元山上口駅から鳴川の千光寺までの途中にあるらしいのだが、地図では確認できず。近鉄生駒線の元山上口の南西付近ににそれらしいものが写っているのでこれかと思うのだが、はっきりとはわからない。





左:米軍の航空写真(M18-1-158、国土地理院)

信貴畑(仮名)、聴音分隊:
信貴山奥の院付近に聴音分隊の印あり。奥の院の南にある笙谷寺の北西付近に不自然な平坦地が写っており、これかと思われるものの良くはわからない。





左:米軍の航空写真(M18-1-50、国土地理院)

国分(仮名)、聴音分隊:
河内国分駅の南東付近に聴音分隊の印あり。国分中学校の敷地内にそれらしいものが写っているが、はっきりとはわからない。





大道(仮名)、聴音分隊:
孝徳天皇陵の北東にあるピークに聴音分隊の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。

大ヶ塚(仮名)、聴音分隊:
大阪芸術大学の南西、東山の集落の南西付近に聴音分隊の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。




富蔵(仮名)、聴音分隊、中隊本部:
妙見山感應寺のある富蔵の集落の、西端付近に聴音分隊、寺の北側くらいに中隊本部の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。

廿山(仮名)、聴音分隊:
錦織公園北の長福寺の直ぐ南くらいに聴音分隊の印あり。航空写真は良いのが無く確認できず。









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