371高地 高射砲陣地




2009.1.17 探索

赤線は今回の登山道、緑線は推定軍道


米軍の航空写真(M324-A-6-98、国土地理院)


米軍の航空写真(M18-4-56、国土地理院)


米軍の航空写真(M84-1-49、国土地理院)








371高地、中隊名不明(高射戦史だと第1中隊?)、7高4門(恐らく有脚):


新幹線新神戸駅の北東、地元で砲台山と呼ばれている標高371mのピーク部分に砲座が4基、その東に続く尾根周辺に兵舎跡等が残っている。航空写真を見ると、軍道が東の尾根から南に下っているのが見える。また更に北の標高451mピーク付近にも広い平坦地があり、石垣等が残っている。ただこちらの正体は不明。

比較的初期に構築された高射砲陣地には、対空機銃1個中隊(4門)が付属していることが多いが(広島の二葉山と向洋、長崎の金比羅山、大牟田、小倉の沖田)、今回探索した範囲内ではそれらしい場所は見当たらなかった。ただ軍道の通る東側の尾根の付近にそれっぽいものが写っているので、もしかしたらこれかもしれない。

今回の探索の際、トイレ跡を1か所も確認できなかった。この規模だと、5基くらいのトイレがあってもおかしくないのだが、見落としているのかもしれない。また大型の貯水槽も見つけられなかった。高低差を考えると、北側の尾根上にあるのだろうが。


登山道は、さすがにこの周辺は登山のメッカだけあり、幾つかのルートがある。今回は砲座のある371mピークの南下へと下る尾根に沿ったルートを登った。途中の鞍部で弾薬庫のような掘り込み窪地があり、またその上の尾根に中世城郭のような堀切が幾つかあった。弾薬庫がこの付近に置かれることは無いと思われるので別の用途だと思われるが、堀切の方は山城でよく見かけるものであり、もしかしたらこの砲台山にも中世城郭があったかもしれない。


米軍の航空写真(M18-4-2、国土地理院)

また砲台のあるピークの、更に北西上にあるピークに何本かの鉄塔が建っている平坦地がある。航空写真を見ると何かの平坦地が写っているが、高射砲陣地の関連施設かどうかは不明。鉄塔の足元や東下の平坦地の下に石垣が幾つか残っている。



「伊藤旅団長は、到達高度を増加し、神戸北側の山系より進入する敵機に対応する為、7高4門の1コ中隊を六甲山腹標高371mの高地に配置した。このために旅団長は工兵第4連隊に依頼して進入路を開設した。その道路は傾斜1/4、曲率40mで平地から徒歩20分強を要するものであるが、進入に際し人員325名の他、重量物牽引車を大阪市より借用して2日を要した。じ後この中隊への諸補給には相当な運搬上の苦労をともなったことはやむを得なかった。」(「砲兵沿革史4巻下2、戦史戦例第4部高射砲兵」より)
伊藤範治少将が中部防空旅団の旅団長だったのは昭和17年11月〜18年8月までなので(同、砲兵沿革史)、その間に構築されたことがわかる。






探索記録:



砲座周辺

居住区周辺






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