日本海軍の高射指揮装置
(AA Director of Japanese Navy)





履歴:
2007.6.9 新設
2007.6.21 2式陸用高射装置の記事追加
2010.5.9 95式陸用高射装置、2式陸用高射装置、4式高射射撃装置の写真追加



目次:

概説

試製高射装置(艦上用)
89式高射射撃盤
91式高射装置(艦上用)
94式高射装置(艦上用)
95式陸用高射装置
2式陸用高射装置
3式陸用高射装置(94式陸用高射装置)
3式高射装置(艦上用)
4式高射射撃装置
5式陸用高射装置

5式陸上用対空火器管制システム「雷雲」(5式砲戦指揮装置)

参考文献





概説


まず初めに、これは一応防空砲台や高射砲陣地に関する資料なので、海軍の指揮装置は陸上用の物に限りたいところだが、折角調べたので艦上用の物についての記事も載せておく。

用語だが、日本海軍の指揮装置は「高射装置」、またその中の測距儀周りの観測装置を「高射機」、計算機を「射撃盤」と称している。また機関砲用の指揮装置は「高射射撃装置」である。



さて、日本海軍の陸上用の指揮装置の歴史だが、「海軍電気技術史」[1]の陸上用砲台設営の項に上手くまとめてあるので、とりあえず該当部分を引用する。

砲台の電気装置は砲とともに次第に複雑となり、移動式が採用されるようになったので、再び簡単になった。
昭和12年ごろの砲台は8cm高角砲を主にし、これに探照灯を付属させたもので、電気装備としては探照灯、同付属装置の直流発電機等が主であり、極めて簡単だった。
次に艦船用の12.7cm高角砲を陸上用に一部改造して装備するようになった。昭和14年から17年にかけてである。12.7cm砲台はその装置が大規模で重量も大きかったので、陸戦に便利が良いように12cmと陸軍式7.5cm野戦高射砲が次に採用され、昭和18年頃から高角砲台の主兵器となった。これと共に2式高射装置が完成し、通信器電路共に複式が採用され、発砲電路は砲側のみとなり、更に移動式にすることが提案、採用され、各装置間の電路を一挙にプラグで結合する電続装置を完成し、これによって砲と高射装置、小容量発電機を簡単に接続することができるようになった。
これによって電話機としては昭和19年に至って、無電池式電話機を採用したので、電池・充電器は不要となり、更に簡単になった。
これができたため、昭和19年度の防空砲台の進出は探照灯を分離し、防空なる単位の部隊を編成して行われる事となり、手続き上も簡単と成ったものの、12cm砲は可搬式では無かったので、尚手数を必要とし、また電続装置、小型移動用発電機の生産が間に合わない為に兵器部隊に追送することもあった。

指揮装置としては、当初89式高射射撃盤があり、昭和14年頃から95式陸用高射装置が使用され始めた。これは電気的には単式通信方式であり、発砲発路を具え構造も複雑であったので、改良を進めヴィッカーズ式その他を参考として昭和18年に2式陸用高射装置を開発した。通信電路は初めは単式だったが後に複式通信に改められた。これに伴い電気兵器の電路ともに改められ、発砲電路は通信器を通さず、砲側発砲のみとする画期的な改革が行われた。更に昭和19年には4式射撃装置が登場したが、これは簡単な構造で、2式の予備もしくは簡易指揮装置として用いられた。
10cm高角砲は昭和19年に初めて陸上に装備されたが、強力な基幹砲として内地数箇所に装備された。その要領は12.7cm高角砲と同様で、高射装置は2式高射装置の性能に艦船用94式高射装置の能力を兼ね備え、精度並びに計算諸元を増加した5式高射装置が試製され、射撃電波探信儀諸元が導入されるようになった。この高射装置は田島岳で実験射撃が行われて性能を認められながらも、量産にはいたらなかったと思われる。
昭和20年、艦船用15.5cm砲の仰角を増大して陸上に装備して遠距離射撃を企図したが、これは大村付近に2ヶ所装備されたに過ぎず、その性能成果は確認できなかった(?)。
これらの砲台の装備に関しては、15式陸上施設基準があり、従来はだいたいこれに準拠してきたが、兵器の進歩に伴って適用できない部分が増加してきたので、砲台のみを取り上げてこの改正を行い、昭和18年秋に横須賀砲術学校に関係機関が集まって陸上砲台施設工事標準を作成した。これによって砲間隔、指揮装置の電源装置、指揮所等の配置の掩体の大きさ、強度などが略決定され、その後の工事計画に大いに役立った。


まとめると、
開戦が迫り、基地や要港の防備に防空砲台が必要となったが、艦上用の指揮装置しか研究開発していなかった海軍にその装備は無く、そこで陸軍と協定を結んで97式高射算定具をほぼそのまま95式陸用高射装置として利用することになったものの構造が複雑で量産に向かず、量産に適した2式陸用高射装置を海軍でも独自に開発する。しかし更に高性能の指揮装置も必要になり、94式高射装置を陸上用に改造したり別途新しい高射装置の開発を行ったりしているが、この辺は資料が残っておらず実際にどうだったかは不明である(3式、5式)。また2式などの量産が間に合わず、高射機関砲用の4式射撃装置を高角砲用の簡易指揮装置として利用したりもした。
といったところだろうか。






試製高射装置(いろは金物)

日本光学で試作されたものらしい。「指揮装置の製品解説」[4]に詳しい説明があったが、余り関係ないだろうと思ってコピーを取っていない。

「計算機屋かく戦えり」[5]にも記事があったので、引用しておく。

「試製高射装置は幅750mm、奥行き750mm、高さ1130mmの四角い箱型で、上に4個の望遠鏡がついていました。1人の兵隊が照準望遠鏡で目標をとらえると、これにともなって装置全体が回転する。そこでもう1人の兵隊が高角望遠鏡で目標を追尾すると、眼鏡が上を向く。船が動揺しますから、水平線をにらんで前方向と直角方向の動揺角を測定する係もいましたね。これらの眼鏡は互いに連動していて、艦がどのように動揺しても、常に正しく水平面上での方位角と高角とが測定されるようになっていました。この装置で全機能をフルに働かせるためには指揮官を入れて18名の操作員が必要でしたが、実際に艦上で全員を配置してみますと窮屈で、演習には使えても実戦には使えないという話になりました」
「機能的には、煙幕で飛行機が姿を隠した場合を想定した計算が出来るなど、実に多機能でしたが、大勢の人間が操作にかかわるんで、人と人とがぶつかったりして、操作性が悪かったんですね。要は計算機の結果を次の計算機に回す力がないんで、一つの計算機で出た針の結果を、次の計算機の入力の針に反映させるのは人間の手でなければならなかったんです。それで32年から、照準望遠鏡を内部でスタピライズ(水平維持)するように操作性を改善しました。それまで敵機は水平飛行をしていると想定していたのですが、高度変化にも対応できるように基本式を改訂したのです。一方、煙幕対策をやめるなどといった機能の削減を行い、設計をやり直しました。それが33年に完成して、37年までに50台が大型艦に配備された”91式高射装置”です。」


いきなり初っ端から高性能多機能なものを狙うというのは、開発姿勢としてどうかとは思うのだが、比較的速い時期から海軍も対空防備を考慮していた事がわかる。






89式高射射撃盤

詳細不明。3年式8cm高角砲を見ると、砲架に曲線円盤や曲線円筒といった計算器が付属しているので、これのことかもしれない。陸軍の11年式高射照準具や88式高射照準具にあたるものといったところだろうか。






91式高射装置(艦艇用)

海軍初の本格的な艦上用高射装置。「日本光学社史」[3]に詳しい説明が載っているので引用する。

艦上高射装置で、照準装置と計算装置とが一体となっているもので、昭和の初め艦本第一部からの注文で、本格的な艦上用高射装置を製作することになり、研究を重ね色々試作を行い、試験の結果、設計製作されたもので、試作は昭和8年9月に完成した。
本高射装置は基線長4.5mのステレオ測距儀から距離を、羅針儀から艦首振れ角を受信する。高射装置の上部には目標を照準する為の照準望遠鏡が2個あって、一方は目標の上下を、他方は左右方向を照準して高射装置全体を旋回し、目標の俯仰角および旋回角を測定する。その他、別に水平線を視準する2つの動揺望遠鏡があって、目標方向の縦およびこれと直角方向の横動揺角を測定する。
これらの諸元をもとにして、上下見越角および左右見越角を求めるのであるが、砲の射表値、風力修正、自速修正、空気比重修正、動揺修正を取り入れて、目標に正確に命中する弾着見越位置を計算し、更に集中角修正を加減して砲に必要な射角、旋回角、信管秒時を伝達する。砲はこの諸元の方向に向けられ、高射装置に付属の銃把によって発砲操作が行われるようになっていた。計算には加減乗除はむろんのこと、三角函数、微分積分、平面カム、立体カム等の機械的計算機構が用いられ、これら機構の動作・連絡には多数の歯車が用いられ、伝達を軽くし精度を確保する為には、軽荷重ボールベアリングが多数用いられた。
計算式は対照準面角速度方式である。(式は略)


「計算機屋かく戦えり」[5]では以下の通り。

「いや、試製高射装置を開発している間に飛行機の性能や戦術が大きく変ってきたために開発されたのだろうと思われます。91式は幅880mm、奥行き880mm、高さ1150mmで、箱型をしていて、28個の計算機と6個の通信機を搭載していました。装部品数38000点。まさに機械式アナログコンピュータでしたね。操作の簡素化によって、望遠鏡の照準や指針の追尾などを分担する操作員は計11名ですみました。用意された方程式は試製高射装置とほぼ同じでしたが、計算機構、計算手順などを大幅に変更していたんで、まったく新しく作った装置とも言えます。ただ、装置が目標を追って回転すると共に操作員も艦上を移動せねばならないのは同じでした。また、測距儀と計算機が別々の位置にあるんで、敵機が複数いる場合、操作員が別々の機を追ってしまうことも出てきた。軍艦にだいぶ配備したんですが、実際にはあまり好評ではなかったようです。」



米海軍の調査報告書[2]にも記述されている。外からの評価として面白いので、関係しそうなところを引用しておく。

射撃指揮装置と計算機がセットになった高角射撃指揮システムは、1つの台座上にまとまっているがプロット室と安定装置が無く、アメリカのMk33システムと良く似ている。唯一の違いは、日本のシステムには測距儀が付いていないことである。

この91式高射装置は1920年の後半に設計され、1930年に艦艇に装備された。基本的には対空用として設計されていたが、対艦用にも使用できた。完全なタコメトリック方式(メーターの指針を追従させることで計算を行う方式)の装置で極座標系を用い、方程式の解き方はヴィッカーズ社の陸軍用高射指揮装置(Vicker's Army Predictors)と同じだった。
レンズは水平(旋回)と垂直(仰角)の2方向で、指揮装置としては実際には3軸であり、この方式は94式へと引き継がれた。
このシステムの運用は厄介で、11人もの操作員を必要とする。11人の内の10人が指揮装置の操作を、そして残り1人が伝令である。サーボモーターや自動追従装置は無く、操作員が指針を合わせた。

…略…

3.システムの能力
このシステムは、測距儀が射撃指揮装置から分離しているという欠点を持っている上に、更に測距儀に旋回角や仰角の補助装置(目標の仰角と方位角を測定する側との連動装置の事か)がついておらず、実際のところ2軸だったために、測距員が指揮装置と同じ目標を捕らえるのが相当に難しかった。
参考にしたヴィッカーズのシステムと違って、高度の代わりに傾斜距離を基本にしていたので、上昇下降する目標の測定修正がやりやすかった。しかしこれは理論上は有利であっても、実際には5番目の操作員(縦横偏差)の作業が、ピッチとロールが激しい時に難しくなるという欠点を持っている。
指揮装置の旋回は手動で、機器に補助動力(rate aiding、動きを拡大して動く動力)は無かった。
91式は基本的には対空用だが、対艦用にも使用可能である。しかし光学機器の光透過性が悪かったために、対艦射撃の際に夕暮れなどで光量が足らないと、極めて使用しにくくなった。

91式は終戦時まで日本海軍で使用され続けていたが、より高性能な94式が入り次第、交換されていった。メンテナンスは難しいが、自動追従装置や電子部品が無かったのでメンテナンス頻度は少なかった。






94式高射装置(艦艇用)



左:94式高射機、右:94式高射射撃盤、共に日本光学社史より



日本海軍の主要艦上高射装置である。ウォーターラインシリーズの空母や戦艦で、やたらと面倒なパーツの一つだったのは覚えてが、かなり重要な機能を持っていることに砲台を回るようになるまで気が付かなかった。


「日本光学社史」[3]に詳しい説明が載っているので引用する。

本装置は艦艇用高射砲指揮装置であって、照準装置の部分と計算装置の部分とを分離して、重要な計算機構は艦内の発令所に装備する分離式のものである。艦本第一部の注文によって設計し、昭和11年に管制した。照準装置の部分を高射機、計算装置の部分を高射射撃盤と称した。
高射機には4.5mステレオ測距儀と照準望遠鏡とが取り付けてあって、距離、仰角、方向角と縦横とを高射射撃盤へ伝達する。射撃盤ではこれらの諸元により上下見越角と左右見越角とを計算し、通信器を介して高射機に送り、ここで仰角・方向角が加えられて砲側に伝達される。信管秒時は射撃盤から直接砲側に伝達される。
高射機は照準望遠鏡と測距儀、その他通信装置よりなり、照準望遠鏡は4個あって、その照準操作は91式高射装置と全く同様であるが、高射機全体は防震台の上に装備され、操作人員は10名であった。
測距儀は横動揺によってスタビライズされ、旋回および俯仰照準眼鏡の対物レンズ前方のプリズムは、俯仰手の操作によって共に俯仰され、横動揺によってスタビライズされる。横動揺および縦動揺照準眼鏡の対物レンズ前方のプリズムは、相互に動揺角だけスタピライズされ、従って測距儀と照準望遠鏡とが確実に同一目標を測的することができる特徴をもっている。なお測距儀および照準眼鏡の光学的性能は91式と同じである。
高射射撃盤はテーブル型で発令所に装備された。初期には12.7cm高角砲のものが製作されたが、後には高初速8cmおよび10cm高角砲用のものも製作された。
諸元の計算式は91式高射装置と殆ど同様であるが、機械的構造には相当の改良が加えられ、数多くの計算機構中、大部分が機械的計算機構であるが、距離描画器ならびに動揺修正機構には光学的計算機構が用いられた。指揮装置に光学的計算装置を用いたのは、これが初めてであった。


「計算機屋かく戦えり」[5]では以下の通り。

「91式の操作性の見直しと性能向上を目指して、34年から開発が始まったのが、”94式高射装置”です。91式は潮しぶきを受ける艦橋に配備したので銅合金で造っていたんですが、銅は柔らかいので精密に作ろうとするとがっちりしたつくりにしなきゃいけません。工作機械のような重くて大きなマシンになっていました。91式後、高性能のセルシンモーター(回転動作を遠隔点に電気的に伝える装置)の開発があり、強力な通信が可能になったんで、94式は高射機(計測装置部分)と高射射撃盤(計算機部分)とをわけた分離型にしました。
高射機とは、照準望遠鏡、動揺望遠鏡、測距儀などを防震台つきの旋回架台上に搭載したもので、目標を追尾することで高角と方向角を求め、そのデータを距離と動揺のデータとともにセルシンモーターで高射射撃盤に送りました。こうした装置は従来どおり艦橋に配備し、油圧装置によって操作員全員を乗せたまま覆塔とともに旋回できたので、腰掛けたまま操作が行えるようになりました。覆塔の大きさは、幅1380mm、奥行き6800mm、高さ900mmです。高射射撃盤は、計算装置を一括して筐体に収めたもので、艦内の発令所に置かれるようになり、操作環境が著しく改善されました。計算機部分は特殊鋼材と軽合金で作られるようになって軽くて丈夫で精度の高いものになっていました。計算結果はセルシンモーターで高角砲に伝導されていたんですよ。
これらの改良により、高射機に乗る操作員自体は7名まで削減されたのです。おかげで、94式は全ての軍艦に搭載されましたね」
「94式では、自動で針と針を一致させられる自動追従機能がついていました。しかし、軍からは、万一のための用意に手動による方法も残すようにという要請があり、要員が削除されることはなかったのです。終戦近くなると資材や熟練工が不足してしまったことから、今度は「不要な機能はもう全部削れ」という命令が来ました。結局、その段階で自動追従機能ははずす羽目になりました」



当然、米海軍の調査報告書[2]にも詳細な記述が為されている。実際に使用された射表や、日本光学から提出された試験レポート等が入っていて面白い。その中から関係しそうなところを引用しておく。

1.一般
94式高射装置は日本海軍の標準的な火器管制装置で、終戦まで使われた。

完全なタコメトリック式(メーターの指針を追従することによって計算を行うシステム)で、3軸方式の指揮装置(94式高射機)とデッキの下のプロット室に置かれた計算機とで構成されるが、この計算機はデッキの傾きを球座標分解儀(?spherical resolver)で計算するようになっている。数年間かけて幾つかの更新と改良が行われ、指揮装置の光学部分の旋回仰角機構に浮遊ジャイロを内蔵して垂直安定をはかっている。

このシステムは全体的にアメリカのMK37と良く似ているし比較することが可能である。91式の発展型であり、基本的な部分で多くの共通部分を持っている。例えば、正確な傾斜距離(slant range)の測定が必要となる極座標系の計算システムを持ち、上昇ならびに下降する目標の捕捉を容易にしている、というところなどである。
91式には無かった、傾斜板ポンプ(tilting plate pump)の原理を使った水圧駆動装置を備えている。この水圧駆動旋回装置は自動でも動力補助(rate-aided)でもない。


2.高射機
指揮装置(高射機)は写真5、6で表される。空母龍鳳に搭載されている写真は図7にある。測距儀は水平旋回方向と垂直仰角方向に動くようになっており、仰角手(Layer)と旋回手の光学レンズが付いている。また対空と同様に対艦射撃も可能だが、しかし最新の艦艇(大和級)ですら、高射機システムにレーダー測距(radar range)が導入されているにもかかわらず、盲射撃用のレーダーアンテナは装備されていなかった。


3.計算機
計算機(高射射撃盤)は形も重さもアメリカのMk1計算機に似ている。アメリカに送ったサンプルと、押収してアメリカに送付した書類の記述にある通り、追従動作だけが磁気クラッチ方式になっている他は、操作は全て機械式である。計算機は3軸座標データを2軸座標データに変換するために球形デッキ傾斜補正器(?spherical deck tilt corrector)を内蔵している(?91式では平面連結機構だった)。追従は光学システムによって行われるが、これは図8の計算機の左端で見ることができる。この光学追従の正確さは不明だが、改良によってこの装置に多くの異なったバージョンが作られていることから、とても成功したとは言えなかったのではないだろうか。この計算機は距離描画機能を持っているが、これはスリットによって映し出される光の線と現在の距離の傾斜線とを合わせることによって、より良い距離精度を得る為のものである。
…以下略…


4.記述
製品:日本光学工業会社製
1937年6月から装備開始、月当り5セット製造され、1セット136000円だった。


諸性能:

操作速度:
旋回 16度/秒
仰角 8度/秒

計算精度:
方位角と仰角 12分
信管 0.02秒

平均的な順調な追尾時間: 20秒
計算時間: 10から20秒

計算機への入力:
現在距離 1.5〜20km(自動)
現在高度 0〜10km(手動)
仰角 -15度〜105度(自動)
方位角 ±220度(自動)
縦揺 ±10度(自動)
横揺 ±15度(自動)
方位角修正 ±200mm(手動)
仰角修正 ±200mm(手動)
未来距離 850〜12500m(8cm砲)
未来距離 750〜12500m(10cm砲)
未来距離 700〜12500m(12cm砲及び12.7cm砲)
距離速度 ±500ノット(手動)
距離修正 ±3000m(手動)
距離描画 ±3000m(手動)
信管修正 ±10秒(手動)

計算機からの出力:
方位角偏差 ±45度(自動)
仰角偏差 ±30度(自動)
信管 1〜43秒(自動)


物理的な寸法と重量:
計算機:
長さ 1.5m
幅  0.58m
高さ 0.92m
重量 1.25トン
指揮装置:
旋回圏 直径5m
指揮装置の台座 直径1.8m
高さ 1.6m
重量 3.5トン


通信装置:
距離: セルシンモータ シングル(500m/rev) 指揮装置→計算機
現在仰角: セルシンモータ シングル(1°/rev) 指揮装置→計算機
現在方位角: セルシンモータ シングル(2°/rev) 指揮装置→計算機
傾斜角: セルシンモータ シングル(2°/rev) 指揮装置→計算機
水平偏差(艦上): 差分式セルシン(?) シングル(3°/rev) 指揮装置→砲側
垂直偏差(艦上): 差分式セルシン(?) シングル(3°/rev) 指揮装置→砲側
信管: セルシンモータ シングル  計算機→砲側

水平偏差(陸上): 差分式セルシン ダブル(28°、360°) 指揮装置→砲側
垂直偏差(陸上): 差分式セルシン ダブル(10°、90°) 指揮装置→砲側
信管: セルシン ダブル(10′、50″) 計算機→砲側


5.終戦まで行われた(行われる予定だった?)改良
A:計算が終わるのを待たなくても、計算結果が指揮装置に送られる前に予測された敵の進路と速度で射撃を開始できるようにした。
B:大量生産を容易にした(例えば、直径が1/8インチ以下のボールベアリングを使わないようにした)
C:レーダーによる測距(radar range)、後にはレーダーによる方位角と仰角の測定によって、間接射撃と盲射撃が可能になった
D:方位角と仰角とで、誤差を角度10分以内にした
E:目標の指示と捕捉をやりやすくした
F:計算の正確さを上げる為、視界角を25度、方位角を45度に上げ、500ノットの目標にも対応できるようにした
G:三次元カムを使わず、弾道曲線円筒(ballistic drum)を使い、その上の指針を操作員が手動で追従させるようにする。
H:距離と垂直偏差に対する風速修正に対する風速修正機構を無くす(手動に変更か?)
I:距離の変化量に対する距離描画を無くす代わりに、信管時間計算(fuze prediction)に加速度積分器(?rate integrator)を使うようにした。

実際はこうした改良の内の幾つかだけが94式で実施された。こうした改良の難しさを示す為にも、後に開発される3式艦上高射装置を説明しなければならないだろう。この3式高射装置はこのレポートのパート1(E)に書かれている。







95式陸用高射装置(ノハ金物)


左:95式陸用高射装置、指揮装置の製品解説より、右:トラック島の95式陸用高射装置[11]



開戦が迫り、国内の基地や要港、並びに前線基地の対空防備用に、多数の高角砲台の建設が必要となったものの、海軍は陸上用の本格的な指揮装置を持っていなかったのと、また新たに開発する余力も無かった為に、陸軍と協定を結んで97式高射算定具を海軍でも95式陸用高射装置として採用することになった。何故陸軍のものよりも年式が若くなっているのかは不明である。


「日本光学社史」[3]、「指揮装置の製品解説」[4]、「計算機屋かく戦えり」[5]での記述は以下の通りである。

陸軍用として試作された97式高射算定具を、海軍の陸上基地でも採用することに陸海軍間の協定で成立し、艦本第一部の注文により、海軍用に一部変更されたものが95式陸用高射装置である。昭和12年に第一号機が完成した。本装置には12.7cm砲用と8cm砲用との2種類があった。原理および構造は97式高射算定具と全く同じである。
戦時中は引き続き性能の優れた精巧複雑な万能型ともいうべきものが設計製作されたが、後期になって量産に重きをおいた戦時型ともいうべき型のものの設計製作に移行していった。


97式高射算定具(QY金物)を利用。陸海軍間で協定が成立し、昭和11年から製造。97式高射算定具との違いは、
(1)射表を8cm高角砲、12.7cm高角砲のものに変更(後に10cm高角砲用のものも)
(2)通信方式を直流ステップモーター方式から交流セルシン方式に変更
(3)三脚架をやめてペデスタル方式とする(円錐形の固定台)
60cmの立方体の筐体の両側に単眼鏡がつき、方向角βと高角αを計測。高度データは2mステレオ式測距儀から受信してインプット。10名の要員がつき、銃把が付属してそれで発射する。他の照準装置で測定した値を追尾可能である。



「いえ、私は陸軍用の装置にはまったく関係しておりません。けれども、97式の海軍用バージョンを私たちの工場で作りましたので多少知っておるんです。というのも、海軍では艦上用の高射装置にたいへん手間取ってしまい、基地防衛の陸用高射装置を開発する余裕が無くなっていたんです。そこで陸軍と協定を結び、開発中の97式高射算定具を海軍でも採用するようになった。それで36年、射表を海軍の大砲用に、通信方式を直流ステップモーター方式から交流セルシンモーター方式に変えるなどした海軍用”95式陸用高射装置”の開発に着手しました。この95式は43年までに68台製造しました」


この95式陸用高射装置も、陸軍の97式高射算定具と同様に生産性がかなり悪くて数が作れず、別途新しい陸用高射装置の開発を行わざるをえなくなるのである。
ただ、この時に陸軍の後継高射算定具(2式)を再度採用しなかった理由は判らないが、95式の採用時にも内部に反対派がおり、95式の失敗で反対派が勢いを得たからかもしれない。しかし米海軍の報告書のニュアンスからも判るように、陸上用の指揮装置を開発した海軍は世界中でも恐らく日本海軍だけであり、国家内国家的なセクショナリズムを何とかできなかったものかと思う。






2式陸用高射装置


米軍の捕獲した2式陸用高射装置[10]

左右:室蘭の2式陸用高射装置[9]

左:トラック島の2式陸用高射装置[11]、右:2式陸用高射装置の機構ダイヤグラム、二式二改陸用高射器参考書より



昭和18年にヴィッカーズ式の指揮装置を参考に愛知時計機械で開発されたもので、生産性を考慮した戦時タイプの製品だったらしいが、それ以上の事は不明。愛知時計機械に伺ったところ、昭和20年6月7日の空襲と戦後の伊勢湾台風の為に会社には資料が殆ど残っていないそうである。
防衛省の戦史資料室所蔵の「二式二改陸用高射器参考書」[6]に計算機構のダイヤグラムが載っており、これとUSPatent1831595(1925年出願)にあるヴィッカーズの指揮装置のダイヤグラムとを見比べると一部に良く似ている部分がある。非常時の緊急開発であり、恐らくはこのあたりを基にして開発していったのではないかと思われる。「海軍砲術史」[7]によると、生産台数は愛知時計機械で320台、日本光学で5台であった。

「海軍電気技術史」[1]の記事や、実際の配備状況(呉警備隊と横須賀警備隊)を見ると、主に89式12.7cm連装高角砲と10年式12cm高角砲と一緒に配備されていたようである。

横須賀海軍砲術学校が作った「防空砲台設営参考書」[8]には、95式と違って位置修正装置が無いので、砲座から離すと精度が落ちるからなるべく近づけるようにとの指示がある。






3式陸用高射装置(94式陸用高射装置、ウ射金物)



左:94式陸用高射機、右:94式陸用高射射撃盤、共に指揮装置の製品解説より



はっきりとした事は判っていない、謎の高射装置である。

米海軍の調査報告書[2]添付の日本光学からのレポートには、94式高射装置の陸上用向け製品のことを3式陸用高射装置として書いているが、同じ米海軍の調査報告書内の3式陸用高射装置の項には、これとは全く別の高射装置の記述がある。
しかし呉や横須賀で数台づつ実戦配備されていることからみて、日本光学の出している「指揮装置の製品解説」[4]にて94式陸用高射装置として説明されているものが、3式陸用高射装置である可能性が高いと思われる。

戦局の進展に伴い海軍としても大量の陸用高射装置の必要に迫られたが、前項の95式陸用高射装置は生産性が悪く、到底その需要に間に合わないということになって、その対応策としてまず2式陸用高射装置の計画が、呉工廠と愛知時計電機(株)の共同設計で進められ、生産は豊川工廠と愛知時計が担当し、当社もその試作に協力した(テ金物)。その後さらに精度の高い基地防衛用のものも必要となり計画されたのが94式陸用高射装置である。
本装置は高射射撃盤(ウ金物)と高射機(陸用照架)とにより構成され、94式高射装置の設計をそのまま利用し、動揺修正装置や自速修正などの部分を撤去し、集中角計算装置を陸上用に設計更新したもので、組合せて使用する高射砲は、艦上用と同じ10cm砲の他、超高度で飛来する敵機を撃墜する目的で、射程の長い12.7cm(1式のことか?)および15.5cm砲であった。図1はその外貌を示す。終戦までに16台製造した。
高射機(陸用照架)は呉工廠と当社とで共同設計をすることとなり、同工廠と緊密な連絡をとりながら当社で設計を進めた。
写真3は設計の初段階に呉工廠が製作した実物大の模型で、写真4は当社で製造した試作品の外貌写真である。この高射機の量産は工廠側が行うこととなった。


呉警備隊と横須賀警備隊の引渡目録を見ると、98式10cm連装高角砲と一緒に配備されている。






3式高射装置(艦上用)


3式高射機(左)と3式高射盤(右)のスケッチ、
共にJapanese Antiaircraft Fire Control / U.S.Naval Technical Mission To Japanより



米海軍の調査報告書[2]に記述がある。開発中で未完成だったようである。以下引用

1.一般
このシステムは艦載機器であり、後に第1章のF節で説明する陸用の三式とは別物であり、名称が一緒なのは偶々同じ時期に制式化されただけである。
このシステムの開発が始まったのは1942年7月のミッドウェイ海戦の後であり、標準の高射装置だった94式が、改良型ですら海軍の要求性能に見合っていない事がこの海戦で判明したからであった。
三式高射装置は基本的には高角砲用であり、94式の後継機として開発された。装置の製作は呉工廠が行った。三式の設計において第一に要求されたのは計算時間の短縮であり、旋回手と俯角手と指揮官が同一目標を視認できるようにし、目標の識別ミスを最小限にしたことである。システムの未来位置(prediction)は直交座標系によって計算され、全てタコメーター式(tachymetric)である。計算機(高射射撃盤)は計算結果を直接に砲側へ通信する(直列原理で?(series principle))。
主な特徴は以下の通りである。

A.レーダーからの情報を使い完全な盲射撃が可能になった。
B.指揮官は、どんな目標にでも指揮装置の旋回を合わせられるように、旋回速度を落とす旋回速度調整(scooter control)が可能になった。
C.計算時間を待たずに近似的な偏差を得られるように、目標の推定コースと推定速度をセットできるようになった。
D.別の簡単な弾道計算式を用いた。
E.弾道計算用三次元カムを使わず、代わりに手動追従(hand follow-ups)を行う
F.未来距離と偏差の垂直成分への風速補正によって可能な限りで高い正確性を確保した。


2.計算機(高射射撃盤)
以下に計算式(略)


この装置の開発は終わらなかったが、終戦時に試作品は完成しつつあった。
この装置の図もデータも存在しないが、添付してある5枚のイラストによってこの装置の基本的な原理の考え方が判るだろう。
(以下図等略)


調べた範囲の日本語の資料で見かけないので、本当にあったかどうかは不明であるが、参考までに。






4式高射射撃装置


左:4式高射射撃装置[2]、右:小笠原の母島の静沢陣地の4式高射射撃装置



本来は高射機関砲用の高射装置だが、簡易的な高角砲用高射装置の機能も持っている為、数合わせで配備されたようである。戦時日誌にある「4式高射装置」は、この装置かと思われる。
米海軍の調査報告書[2]の関係する部分だけ引用

B.簡易型短距離高角指示システム(4式3型高射射撃装置)

95式高射射撃装置の後継機種で、25mm機銃や12cm連装ロケット砲用の指揮装置だが、98式10cm高角砲や12cm高角砲の陸上用の補助指揮装置としても使用された。95式と比べて相当に生産工程を簡略化しており、また艦上用の短距離指揮装置の他にも陸上での使用も考慮してあった。更に0.5馬力の摩擦式トルク増幅器を採用して好評だった。
95式との主な違いは、旋回が手動になったことと、対Logカムを廃止して円筒曲線が使用されている。(偏差は機械式を止めて円筒曲線を使用し、見越角は自動セットを止めて分離するようになっている)


要目(高角砲関係で必要な部分のみ)
対応射程:10cm、2000〜14000m、12cmもしくは12.7cm、2000〜10000m
目標速度:最大400ノット
信管:10cm砲〜38秒、12cm砲〜28秒、12.7cm砲〜35秒
操作圏: 直径2m
重量:295kg
操作員:指揮官、旋回手、測距手、信管設定手、目標追尾手






5式高射装置


5式高射機(左)と5式高射盤(右)の機構図のスケッチ?、
共にJapanese Antiaircraft Fire Control / U.S.Naval Technical Mission To Japanより



「海軍電気技術史」[1]のみに出てくる謎の高射装置である。
「10cm高角砲は昭和19年に初めて陸上に装備されたが、強力な基幹砲として内地数箇所に装備された。その要領は12.7cm高角砲と同様で、高射装置は2式高射装置の性能に艦船用94式高射装置の能力を兼ね備え、精度並びに計算諸元を増加した5式高射装置が試製され、射撃電波探信儀諸元が導入されるようになった。この高射装置は田島岳で実験射撃が行われて性能を認められながらも、量産にはいたらなかったと思われる。」(海軍電気技術史)

3式陸用高射装置の項でも書いているが、米海軍の調査報告書[2]には94式陸用高射装置とは別の高射装置を3式陸用高射装置として記述している。この記述ではこの高射装置は開発中で完成はしなかったようだと書かれており、引渡目録に7台は確認できる3式陸用高射装置とは別物であった可能性が高いと思われる。
もしかすると3式陸用高射装置(94式陸用)や2式陸用高射装置とは別に新しい高射装置が開発されており、これが海軍電気技術史に書かれている「5式高射装置」であった可能性がある。

ということで、米海軍の調査報告書[2]にあった3式陸用高射装置の記事を5式陸用高射装置の物として、以下に引用しておく。


F.三式陸上用対空火器管制システム(三式陸用高射装置)

1.一般
同時期に開発が始まったものの、戦争終結時には陸用三式高射装置は艦船用三式高射装置よりもより進化し、また一つの実験機が完成していた。特にこの装置の部品(計算機だけ、指揮装置ではない)は実際には豊川海軍工廠で見つかったが、これは砲撃や爆撃で完全に破壊されていない範囲内にあった非常に数少ない装置の内の一つであった。

この計算機は最新型の高初速砲(1式12.7cm50口径高角砲)用に設計され、以下のような目標の基に開発されていた。
A.終端距離(30000m、計画値)での高い正確性
B.弾道風速修正(?ballistic wind)や温度、初速といった一般的な修正での高い正確性
C.砲台と指揮装置との許容間隔を大きくし、最大500mに引き上げた
D.材料と工程で、厳密に経済性を考慮
E.大量生産を考慮
F.他の簡単な代用弾道計算にも対応できるようにした
G.陸用で固定して利用する為に、重量や大きさ、操作員の数の制限をなくした
H.殆どの通信、特にAとB(方位角と仰角のことか)の通信は、2通りのスピード…コースにし(two speed -- course)、細かくして(fine、誤字か?)正確さを最大限にするようにした。(複式通信装置採用の事か?)
I.レーダーによる完全な盲射撃(ただし自動追従ではない)を最重要視した。


この装置と五式雷雲(後にG章のIパートにて記述)とは(本来陸軍が開発すべき)陸上用だったにも関わらず、海軍の火器管制に関する資料内で記述されている。なぜなら、これは海軍の哲学と海軍の設計によったもので、さらにこれらは海軍の援助のもとで、海軍工廠において作られ、海軍部隊によって使用されたからである。


2.指揮装置(高射機)

従来形である94式高射機に似ているものの、仰角(cross-leveling)配員と、方位角と仰角(level and cross-level)の為の光学装置が無い(?)。標準の4.5m測距儀が装着され、普通のセルシンモーターによる通信装置をもっている。またレーダーから方向データを受信する事が可能で、追従手が受信したデータに合わせる事によって(by matching pointers)、光学情報の代わりにレーダーからの情報に従うことができる。高射機の配置は図20の通りであるが、動力や補助動力(rate-aiding)といったものは使われていない。操作員は以下の通りである。
A.Layer  仰角手
B.Trainer 旋回手
C.Range setter 測距手
D.Range transmitter 測距発信手
E.Spotter 測距修正手


3.計算機(高射射撃盤)

A.基本理論
計算は直交座標系で計算している。
(式略)
基本的な理論はスペリー社の陸軍用指揮装置(Predictor)であるが、式の解き方は違っており、簡単に書くなら図21のダイヤグラムのようになっている。この計算機の主な特徴は、機械的なシャフトによって連結された4つの部品と、電気的配線のなされた部品の合計5つの部品で構成されているところである。このような方法で配置されているのは便利で、かつ陸上用なので場所と重量を考えなくても良いからである。高精度を出す為に非常に大きな計算機械が使われている(直径2フィート)。飛行時間は円筒に描かれた曲線に追従させることによって求め、弾道修正は以下の4つから求める。
(1)風速による垂直と水平偏差
(2)風速による飛行時間の修正
(3)I.V.Drop(?弾の重力落下の事か)と空気の密度による垂直偏差
(4)I.V.Drop(?)と空気の密度による飛行時間の修正


B.物理的配置
5つの箱について説明すると
(1)斜め距離(slant range)と仰角(elevation)とを受信し、現在の平面距離と高さを計算する部分
(2)式を計算する部分(式略)
(3)偏差が速度メカニズムによって計算される。円筒の曲線に指針を追従させることによってδ(水平偏差)とΔx(距離の変化分)も得られ、死節(dead time)を考慮した飛行距離の修正が計算される
(4)飛行時間と四分儀(quadrant)仰角(elevation)が円筒曲線への指針追従によって得られる。弾道修正箱からの垂直偏差の修正と弾道修正による飛行時間とが、セルシン通信機(selsyn receivers)に表示される。これらの修正値は差分として砲の仰角データに加えられる。一方、水平偏差は砲の旋回伝達装置に直接に加えられる。
(5)修正値は電気計算機によって計算される(例えば、Wheatstone Bridge タイプの電気回路で、戦艦長門の高角砲に使用されている電気式対空火器管制システムに採用されている原理に似ている)。未来水平距離と未来高度から求められる弾道計算は、円筒曲線に指針を追従させることによって決定するが、このとき円筒の回転は未来距離に比例している。


C.要求されるデータ(略)
D.配員:図23による








5式陸上用対空火器管制システム、「雷雲」


左:システム図、中と右:ユニットの一部、
共にJapanese Antiaircraft Fire Control / U.S.Naval Technical Mission To Japanより



米海軍の調査報告書[2]には、5式陸上用対空火器管制システム「雷雲」というシステムが紹介されている。
これは最大5ヶ所の砲台の高角砲を1ヶ所から戦闘指揮しようというもので、最大30門の12.7cm高角砲の射撃を集中することが可能だったらしい。別の日本の資料でも、呉の高烏砲台に5式砲戦指揮装置が試験配備されたというものがあり、存在は確かなようである。
以下に記事を引用しておく。

1.歴史
終戦時に最も新しく進んだ考えを取り込んでいるので、日本の火器管制システムの中で恐らくこのシステムが最も興味深い。一井(いちのい)中佐が殆どの設計と計画の責任者である。

呉の重要範囲をB-29の攻撃から守る為のものである。装備は実質完成し、終戦時には満足の行く試験結果が出ていた。

2.一般
最終目標は、空中の最小の空間内に射撃を最大限に集中することである。
呉の周辺の丘の頂上に配置された高射砲台を制御する。それぞれで3基づつの12.7cm連装高角砲を装備する砲台が全部で5ヶ所である。これは30門の高射砲が1分間に10発射撃するとして、1分間に300発を発射可能な計算になる。
更には停泊した巡洋艦にケーブルを敷設して艦載の高角砲を雷雲からの射撃データによって制御する計画もあった。

それに加えて、陸用3式高射装置(注:5式のことか)を16インチ砲用に改造して使用することによって、条件さえ揃えば戦艦も爆撃機の編隊を攻撃できるようにしようとさえ考えられていた。

艦艇の高角砲群を含める場合でも、陸上の連装高角砲3基5群のみの場合でも、1ヶ所の主砲台とその他の補助砲台とに分別されることには変わりない。各砲台はそれぞれで測距儀と補助指揮装置(高射機)を装備し、主砲台はそれに加えてレーダーアンテナと主指揮装置(高射機)を装備するが、主指揮装置は既に記述されている三式高射装置(注:5式のことか)と同一のものである。

これらの支砲台に伝達する砲撃情報を提供する計算装置は、山の中腹にある建物の中に置かれ、一般の情報センター(?)と密接に連絡されている。

この計算装置は雷雲システムの中心であり、7つの大きなユニット(0.8m×0.6m×0.6m)で構成されている。これらのユニット(図27を参照)は次に挙げるように分離分割された特殊な機能によって構成されている。

A:設定ユニット
全ての初期設定(風速、目標速度、弾道データ等)はこのユニットでされるため、このように呼ばれている。

BとC:通信ユニット
各ユニットで2ヶ所づつの支砲台に対して、飛行時間や四分儀仰角(quadrant elevation)の補正を行った砲撃情報を発信する(図28を参照)

D:偏差ユニット
水平偏差、横滑り(?drift)、そして旋回(?bearing)を提供し、これらのデータを4ヶ所の支砲台に通信する為のユニット。(この偏差ユニットから4ヶ所の支砲台に対してデータを送信するには通信ユニット2個が必要なようであり、またこの通信ユニットが機械的に設定ユニットに結合されてるのと同様に、偏差ユニットも設定ユニットへ機械的に結合されている)

E:射撃ユニット
全ての砲台の射撃管制を実際に行っているのがこのユニットである。飛行時間データを提供する曲線図で構成されており、全ての高角砲が信管設定に見合った時間に射撃する…別の言葉でいうなら、全ての砲から発射された弾が同時に同じ場所で爆発するように調整を行う。図29と、図31の右側のダイヤグラムを参照のこと。

F:状況ユニット
これは平面位置指示装置(plan position indicator)で、レーダーの情報によって指揮官が攻撃してくる爆撃機の編隊の位置を確認し、必要なら新しい目標を選択する。本来は目標の現在位置を表示するためのものだったが、指揮官により必要な情報を扱えるようにするために、目標の未来位置情報を扱うよう変更されている。

G:三式計算機(高射装置)注:5式のことか
この雷雲システムで使用する一般的な計算機は、前に説明した三式陸用高射装置(注:5式のことか)である。しかし呉にはこの三式陸用高射装置(注:5式のことか)は装備されておらず、もっと単純なタイプの計算機が用いられていた。三式陸用高射装置(注:5式のことか)は将に配備途中であった。


3.メカニズムと計算式
A.計算の解決法(略)
B.計算機能と質(略)


3.機構と計算方法
a.解法(略)
b.計算機能と計算量
(1)風速
砲弾が、飛行時間T(s)の間に風でL(m)流されるとすると、L/Tが幾らかの風速(ただし実際の風速はWv)、またWv、距離、高さの機能を表すことになる。(?)
(2)飛行時間と見越し角
飛行時間と四分儀仰角の標準高度曲線円筒から得ることができる。このとき、円筒の回転角が水平未来距離になる。
(3)信管時間
同時炸裂を得るための手法は「射撃ユニット」と書かれている下にある表2を参照している。紙は矢印方向に動き(図31の右側のダイヤグラム参照)、移動可能な光源からスリットを通って光の線が写り、それぞれの砲台の信管時間を表示する。この描画器の操作員が適切なボタンを押す事によって、各砲台は正しい修正値のもとで射撃を行うことになる。


4.電気計算機の正確性
貧弱なサイン波の形状の為に、コンポーネント中の電気計算機は、2°よりも良い正確性を得るまでは至らなかった。これらの計算機は通常の同期から改造されたものだが(adapt from ordinary synchros)、1°の正確性を要求されるような特殊な仕事用に設計されるように計画されていた。(?よくわからん)

2基の計算機が研究の為にアメリカに送られた。飛行時間と四分儀仰角(quadrant elevation)の曲線の描かれた円筒2個も同時に発送した。









参考文献

[1] 「海軍電気技術史」、防衛省戦史資料室/蔵
[2] Japanese Antiaircraft Fire Control / U.S.Naval Technical Mission To Japan
[3] 「日本光学社史」、日本光学
[4] 「指揮装置の製品解説」、日本光学工業株式会社、昭和62年発行、防衛省戦史資料室/蔵
[5]
「計算機屋かく戦えり」、アスキー
[6] 「2式2改陸用高射器参考書」、防衛省戦史資料室/蔵
[7] 「海軍砲術史」、海軍砲術史刊行会
[8] 「防空砲台設営参考書」、横須賀海軍砲術学校、防衛省戦史資料室/蔵
[9] 「(写真資料、室蘭等)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB13 R315、R316
[10] 「Photograhic Interpretation Handbook - United States Forces, Japanese Electronics 15 March, 1945」, Photographic Intelligence Center, Division of Naval Intelligence, Navy Department, 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R64
[11] 「(写真資料、トラック島)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB-13 R311A R312








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