日御崎 電波探信所 山頂部



 高尾山山頂には電探台(A)と指揮所(B)、またそこから南に下る尾根上にはトイレ(C)と機銃座もしくは監視用蛸壺(D)とがある。



山頂部:



左:電探台Aを南から、右:電探基礎A


左:基礎中心部、右:アンカーボルト


左:山頂から北西方向を望む、右:電探台Aから指揮所Bを


左:指揮所Bの西壁、右:同左の南壁



左:南の出入口から指揮所Bの内部、右:指揮所の北東隅の櫓


左:指揮所内部から南西の出入口を、右:東にある三角点から指揮所Bを


左:指揮所Bの東壁、右:櫓の下部、鉄筋が露に



左:櫓を北西側から、右:指揮所Bから電探台Aを


 西側のピークには電探台Aがある。一段盛り上げた上に11号電探のコンクリート基礎があり、3方向に階段がある。基礎には直径約3cmのアンカーボルトが8本、直径212cmの円周上に配置されている。そしてこの円周の内部に入り込む形で内幅25cmの溝が付けられている。恐らくは電線ケーブルを引き回すためのものかと思われる。このアンカーボルトの本数と配置から、11号電探の基礎であると思われる。

 そして面白い事に、8本xφ212cmのアンカーボルトとは別に、2組のアンカーボルト植え付け用の穴が設けられている。一つは直径約135cmの円周上に8ヵ所の穴(直径約10cm)が開けられており、またもう一つは直径約85cmの円周上に4ヶ所の正方形穴(1辺約10cm)と3ヶ所の丸穴(直径約10cm)とが、多少いびつながらも8ヵ所目が溝上になるように、ほぼ均等に開けられている。「電波探信儀名称付与標準案」[1]によると2式1号1型電波探信儀は、ノーマルから改1になる際に、旋回盤が甲一型から甲一型改一に変更があったと書かれていること、また戦時日誌から昭和17年中頃と比較的早い時期から電探工事が始まっていることから、ノーマルの基礎寸法でアンカーボルト植え付け用の穴を開けたものの、後に改一に変更となり、改めて開け直したのではないかと邪推してみる。ただ、そうなるともう一組の方が余ってしまう。他で最も近そうなものはヱ式聴音機が8本×φ70cmだが、寸法的に厳しいものがある。

 電探台Aと高尾山三角点の間の鞍部に、指揮所Bがある。恐らくは戦後の鉄回収の為に破壊されているが、瓦礫の量などから北東の櫓のみ2階建で、他は平屋造りではないかと思われる。寸法は基本部が1辺約4.5mの正方形で、櫓部が東西約2.3m、南北約1.9mである。


尾根部:



左:電探台Aから南へ伸びる尾根道、右:トイレ跡C


左:トイレ跡Cを北東から、右:機銃座?Dの北側の窪地を道から


左:Dの内の南側の円形窪地、右:Dの近くの道の石垣


 電探台Aを南に下って直ぐの所に、トイレ跡Cがある。大と小とが1基づつで、大の裏手には汲み取り口もある。普通は指揮所等の近くに配置するものだが、スペースが取れなかったのかもしれない。

 トイレ跡を更に南に下ると、道の脇に2ヵ所の窪地Dがある。南側の比較的明確な円形窪地の内径は約1.5mと機銃座には少し小さく、見張用の蛸壺かもしれない。