亀ヶ首 防空高角砲台





亀ヶ首 防空高角砲台(2006.4.23)


米軍の航空写真(M124-43、国土地理院)


灰線は未調査部



3基の砲座と1棟の兵舎が残り、他に兵舎跡や水槽、円形窪地等が広範囲に残っている。
作りも残存状況も呉市近辺ではぴか一である。かなり辺鄙な場所にあるが、一応頂上付近まで車道も通っており、お勧めの場所である。

2007.4.18追記
航空写真を見ると、砲座(272mピーク)の東の141mピーク付近に何らかの施設らしきものが写っている。倉橋町史には何の記述も無く畑の付属施設の可能性もあるのだが、砲台の対応方向(恐らく南東)と砲台付近の立地を考慮すると、建設当初2ヶ所あった聴音探照所の内の一ヶ所がここにあってもおかしくないし、既に遺構が確認されている砲台南部と海越の2ヶ所だと形が悪い。
引渡目録内に未装備の電波探信儀があるのを考慮すると、本来の防空砲台付属の聴音探照所は砲台南部と141mピークの2ヶ所で、海越のそれは建設途中の電波探信所なのではないかと、思ったりするのだが遺構形状を確認していないので何ともいえない。要探索。


2014.7.13追記
航空写真では、砲座の南西、南、南東の3ヶ所に聴音照射所らしいものが写っている。南西のものは下にも書いているように、前期砲台としては造りが甘く、戦争末期に聴音照射所の再編成を行った後に造られたものではないかと思われ、そうなると南と南東の2ヵ所が新規建造時のオリジナルとなるかもしれない。




砲台北部






左:北端西側の観測所らしき円形窪地、右:同左の南側に接した方形窪地



左:北端東側の観測所らしき鍵穴型窪地、右:同左の方形部



左:兵舎跡のコンクリート基部と土塁、右:水槽


北に延びる尾根に平坦地が連なっている。
最北端には円形窪地と土塁、連絡通路の組み合わさった複雑な地形形状が残っている。高射装置や高角双眼鏡といったものが配置されていたのだろうか。
砲座のある平坦部に近づくにしたがって、何ヶ所か掘削された平坦地があり、兵舎跡と思われるコンクリート基礎や水槽が残っている。兵舎跡の北側と西側には削り残しで土塁が造られている。




砲台中央部






左:北側の砲座、右:砲座の中央部



左:北側の砲座の北部の出入口、右:砲座底面に掘られた溝?壁面側に穴



左:砲員退避所への通路と階段、右:地上へ上がる階段と通路へ降りる階段



左:砲座壁面と弾置き場?、右:砲座北側の連絡通路



左:砲座出入口の底、一段低くなっている、右:砲座脇にある砲員退避所、砲座底面よりも低くなっている



左:排水口の枠、右:砲座間にある鍵穴型窪地



左:南側の砲座、右:南側の砲座の中央部、水が溜まっている



左:砲座脇の砲員退避所、右:砲座壁面の断面



左:南側の砲座脇の水槽、右:南側と西側の砲座の間にある水槽



左:西側の砲座の底面、手前に溝、右:西側の砲座



左:西側の砲座、右:西側の砲座の出入口、壁面が緑色に塗装されている


砲台の中央部の広い平坦地に、3基の砲座がある。
複雑な構造の砲座で、砲座に隣接した砲員退避所に降りる階段が2ヶ所ほど砲座の底面に造られている。この階段と地下室への通路がある部分は砲座の壁面もその分広がっている。砲座の壁面も凝った格好よいデザインである。初期の段階に築かれたおかげで余裕のある設計になっているのか、それとも担当者の趣味だろうか。
砲座中央部の穴と、砲座壁面とを結ぶ溝が底面に掘られている。倉橋町町史では排水溝と書かれているが、諸電線を通していた溝かと思われる。
北側の砲座の出入口は底が一段低くなっており、3段程の階段もある。西側の砲座の出入口の壁面には、当時の緑色の塗装が今も残っている。

砲座間には、U字型の断面をしたコンクリート製の溝が引かれている。電線が埋められていた溝だとは思うのだが、この溝に付随するような排水口や水槽が3ヶ所あったり、北側の砲座の南側に国立公園の碑が建てられているところを見ると、一時期には公園として整備された時に造られた排水溝かもしれない。

また鍵穴窪地と円形窪地が1ヵ所づつあるが、測距儀や高射装置、高角双眼鏡といったものが配置されていたものと思われる。




砲台西部






左:西側の砲座の西下の平坦地にある兵舎残骸、右:同左の近くの掘削平坦地と中央のコンクリート構造物



左:指揮所西面、右:指揮所内部



左:指揮所西面の窓の裏側、右:指揮所



左:指揮所東側中央にある、煙突状構造上側、右:同左の下側



砲座のある平坦面の尾根と、その西のピークにかけての平坦面には、兵舎や水槽等が建てられている。
特に西のピークの平坦面に建つレンガ製の指揮所は保存状態も良い方である。




砲台最西端






左:水槽、右:畑


最西端にも幾つかの平坦地と加工の跡が残っているが、畑が作られてしまったために当時の様子は判らなくなっている。ただ、畑の南下に築かれている大規模な石垣や、上に配置された水槽から、この畑の位置に兵舎があったものと思われる。




砲台南部






左:兵舎跡のコンクリート基部、右:兵舎脇の水槽跡



左:南側の円形窪地、2m近い高さがある、右:同左の内部



左:南から2番目の鍵穴型窪地、右:大型の円形窪地内部



左:中央部のコンクリート基礎?、右:大型の円形窪地壁面



左:大型の円形窪地、右:同左の南東部にある窪地



左:尾根上の掘削平坦地、右:最北端の円形窪地



NTTの電波中継所の南側の尾根上にも、幾つかの遺構がある。
最南端の平坦地に兵舎らしき建物の基礎と、その近くに水槽が残っている。
兵舎の北側には4ヶ所の円形窪地が並んでいる。兵舎の直ぐ北側のものは2m近い高さがある。北から2番目の円形窪地は大型で、中心には石もしくはコンクリートの板が残っている。大きさから聴音機が配置されていたものと思われる。最北端にも円形の窪地があるが、他のものよりも円が崩れている。
前期に造られた砲台の聴音照射所にしては施設が貧弱であり、大須山砲台と同じく、聴音照射所の再編成後に造られたものかもしれない。




NTTの電波中継所の北西側に、室尾の集落に降りる山道がある。倉橋町史に古老の話として、レンガ1個を運び上げる毎に1銭の代金が出たので、朝に4つ、夕方にも4つ運んで1日に8銭と、良い小遣い稼ぎになったそうである。
また同じ倉橋町史には、工事は昭和12年頃始まった事、高射砲の手前にレーダーの入ったレンガ造りの建物が有り、このレーダー室から照準を合わせて発射ボタンを押すのだと聞いたという話が載っているが、当時の日本にレーダーによる射撃システムはあるはずも無く、高射装置か何かをレーダーと合点したものと思われる。






海越の聴音探照所?



米軍の航空写真(M124-43、国土地理院)


灰線は未調査部




亀ヶ首砲台の南1km程の山中にも遺構が残っているらしい。倉橋町史によると東端の127mのピークに探照灯の台座が残っているらしいが、未調査である。
砲台に付属する探照灯と聴音機のセットの一つかもしれないし、建設途中の電波探信所かもしれない。




その他:
米軍の航空写真を見ると、砲座のあるピークから東へ連なる尾根上の141mピーク、兵舎のあるピークから南に伸びる尾根上、またNTTの電波塔の北東側に広がる平坦地などにも何らかの遺構らしきものが写っている。誰でも良いから端から端まで探索し尽くしてもらえないだろうか。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和15年9月11日 官房機密第6287号(S17.8)
昭和16年7月 竣工(S17.8)
昭和16年11月 防空砲台、第二砲台群(下士官6、兵20)
准仕官以上3、下士官兵99、有線電話
12.7cm高角砲4門、サ式4m測距儀1、150cm1型陸上用管制器付2
97式2型空中聴測装置2、ディーゼル交流発電機2、電動直流発電機2、一部未完成
准士官以上3、下士官18、兵81 
昭和16年12月 防空砲台
97式2型空中聴測装置2  
昭和17年1月 防空砲台  
昭和17年4月 89式40口径12.7cm連装高角砲2基(1基未装備)
96式150cm1型陸用探照灯及管制器2
サ式4m高角測距儀1、仮称ヱ式空中聴音装置2
高射装置1 未装備、測距儀1 未装備
配員 下士5(臨23)、兵16(臨47)
通常弾薬1000、演習弾3、88式信管200
91式歯輪付時限信管改一1000、91式伝火筒1000
莢2号電気火管3型1200、莢2号撃発火管4型200
38式小銃弾1800、14年式拳銃弾240
昭和17年8月 12.7cm連装高角砲2基、150cm探照灯(管)2、サ式4m測距儀1
仮称ヱ式聴測装置2、7倍双眼鏡2、12cm高角双眼望遠鏡2
S16.7竣工 官房機密6287(15.9.11)、砲座3基の所2基装備
昭和17年9月 防空砲台第2砲台群  
昭和18年1月 防空砲台(第1砲台群)  
昭和18年6月 機密呉警備隊命令第41号(18.6.25)、警戒隊派遣、准士官1、下士官兵5  
昭和18年10月 官房設機密第2690号(18.10.7)桟橋新設工事施工訓令
昭和19年3月 官房設機密第641号により下士官兵戦時要員教育応急施設として兵舎構築中
昭和19年6月 12.7cm連装高角砲2基
官房設機密第641号により下士官兵戦時要員教育応急施設として兵舎構築中(練習生収容しあれり)
普通科砲術練習生第10期陸上対空測的班118名6-9月
昭和19年7月 防空高角砲台 12.7cm連装高角砲2基
官房設機密第641号に依り下士官兵戦時要員教育応急施設 完成

機密呉鎮守府命令第235号、昭和19年7月1日(呉鎮)
呉海軍工廠長は左に依り防空砲台照射聴測装置整理移設を実施すべし
亀ヶ首砲台→三津峰砲台
96式150cm探照灯1型陸上用1、同管制器2型1
備考:(1)亀ヶ首、大須山各砲台に残る1組は砲台付近適当なる位置に移設す
昭和19年8月 12.7cm連装高角砲2基 既設
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 既設
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 完備
昭和19年11月 新配備 36cm単装砲3門 未配装備 呉鎮命令第436号による応急砲台、配員 准士1、下士9、兵81
12.7cm連装高角砲2基 完備 呉鎮命令第425号に依り情島へ移送未着工
150cm探照灯1、空中聴測装置1、砲移設完了せば照聴所とす
昭和19年12月 12.7cm連装高角砲2基 一部付属装置の外完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備  
昭和20年2月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
白木山・亀ヶ首のヱ式空中聴測装置各1を三高、小仁方に移設を令す(呉鎮、S20.2.2)
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲2基
95式陸用高射装置付属品補用品共 1組
2式陸用高射装置 1組
サ式4m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 2基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
12cm高角双眼望遠鏡 1個、8cm高角双眼望遠鏡 1個
仮称4号3型改一電波探信儀(L2) 未装1、貨物自動車 1台
ディーゼル交流発電機陸上用60KVA120V三相60KVA配付 2基
建築物 兵舎4、其ノ他付属施設9

用地:164308m2、建物:1630m2



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