笠戸 中央部(高角砲、兵舎)



米軍の航空写真(M114-37、国土地理院)








笠戸 中央部(高角砲) 全体図:






東部、高角砲台:




左:遊歩道から砲座A(右)、右:砲座Aの内部(右側の2ヵ所の窪みは砲側弾薬庫の名残)


左:砲座Aの内部、右:砲座Aから待避所Cへの通路


左:待避所C(上を遊歩道が通る)、右:待避所Cの内部


左:待避所Cの内部、右:待避所Cから砲座Bへの通路


左:砲座B、右:砲座Bから待避所Cを望む


左:砲座B内部から南縁を見上げる、右:砲座Bの東縁


左:遊歩道脇から待避所Cの入り口を、右:待避所Cから北へと伸びる通路


左:両脇に指揮所施設D、右:D付近の方形窪地


左:D付近の円形土塁その1、右:同左


左:D付近の円形土塁その2、右:同左内部





左:指揮所建屋E、右:同左屋上


左:指揮所建屋Eの北面、右:同左の南面


左:Eの内部(東面)、右:Eの内部(西面)


左:Eの東面、右:Eの北面





左:Eから弾薬庫Gへと下る通路、右:待避所Cから北に伸びる通路との合流点


左:弾薬庫Gの東側入り口、右:弾薬庫Gの東側の土塁


左:弾薬庫Gの内部、右:同左内部のコンクリート基礎


左:弾薬庫Gの内部にある方形コンクリート、右:土塁の上から南を


左:弾薬庫Fを東上から、右:弾薬庫F内部


左:弾薬庫Fの内部にある方形コンクリート、右:同左内部のコンクリート基礎




笠戸防空砲台は中期頃に計画されていた事もあり、比較的凝った構造をしており、また後期にかけて築城された為、時代の異なる指揮所が並んで存在するなどして面白い。

砲台平坦部の真ん中に砲員待避所と思われる半地下式建屋Cがあり、そこから西と南の砲座への通路と、北東と南西へと伸びる弾薬庫への通路とが伸びている。構造を見るに、工事の中断が無く昭和18年頃までに完成していれば、Dの指揮所付近に3つ目の砲座があったのではないかと思われる。
砲座A、Bはどちらも、ただの大きな穴しか残っておらず、一見して砲座だということはわかり難い。ただ良く見ると、縁の部分に砲側弾薬庫らしい窪みなどが残っている。待避所Cは壁がレンガ、天井が鉄筋コンクリート製で、東西と南の3ヶ所に出入り口がある。内部構造を見るに、いずれの出入り口にも引き戸が設けられていたようである。
砲台平坦部の東側には、時代の異なる指揮所DとEがある。Dは後期以降の指揮所で、内径約2mの円形土塁が2ヵ所、1辺3m弱の方形窪地が1ヵ所ある。測距儀を考えると、もう1ヵ所少し大きめの円形窪地があっても良さそうだが、埋められたのか他には見当たらない。Eは初期から中期頃の指揮所で、壁はレンガ製、天井が鉄筋コンクリート製であり、屋上には何らかの施設跡と思われる穴が複数見受けられる。壁の多くが崩されて、大きな地震でもあれば一気に崩れそうな状態になっている。
砲台平坦部の北下と西下に2ヵ所の弾薬庫GとFがある。そして2ヵ所の弾薬庫と待避所C、指揮所Eとの間には連絡路が設けられている。弾薬庫GもFもほぼ同じ構造であるが、Fの方は薮に埋もれて形状を把握し難い。計測していないが、1辺10m弱の方形で、四方を切岸、土塁で囲っている。またそれぞれにコンクリート製水槽のようなものと、コンクリート製基礎のようなものが1つづつある。







西部、兵舎周辺:




左:兵舎平坦地Hから東側の切岸を望む、右:Hの東辺を南北に縦断する謎の溝


左:兵舎平坦地Hにあった水槽、右:兵舎平坦地H、薮


左:南西隅付近にある流し台J、右:同左


左:北西隅付近にあるコンクリート基礎I、右:同左


左:水槽Lその1、右:水槽Lその2






砲台の西には、兵舎施設がある。ただ薮が酷くて、地面を確認することが難しい状態にある。
兵舎平坦地Hの東西は切岸になっており、東側には謎の溝が南北を縦断している。本来の軍道はそれぞれ南東隅と南西隅と連絡していたようであり、現在通っている遊歩道はそれらを無視してつけられている。東側が兵舎、西側が風呂場やトイレ、烹炊所のようであり、施設跡や基礎のようなものは西側に多い。
遊歩道を西へ少し登ると円形窪地Kがある(写真は撮ったものの判り辛かったのでカット)。内径3m弱で、機銃座か、もしくは戦後の炭焼き窯跡かと思われる。またその少し上には、2ヵ所の水槽Lがある。どちらが三槽式だったかは確認できていない。









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