串山、分析山、鍋山、浄水場





串山 防空機銃砲台(2006.4.18)






米軍による航空写真(M280-108、国土地理院)


山頂の拡大図(M280-107、国土地理院)




左:公園中央部、右:中央部の石垣と穴



左:南東隅の階段と壁跡、右:同左の北側



左:電波施設下の石垣、右:南斜面にあるコンクリート製倉庫



休山から見た串山


現在、串山公園として整備されてしまっており、遺構らしきものは余り残っていない。
公園の中央部は楕円形の平坦地になっており、北側の石垣には防空壕とは言えない小さな穴が空いている。
米軍の航空写真を見ると、地形は現状とほぼ一緒だった事が判る。無数の円形が写っているが、埋めて畑になった機銃陣地かと思われる。現在トイレのある平坦面に2ヶ所の円筒のような構造物があるのだが、初期に配備された13mm四連装機銃関連の施設だろうか?。

戦時日誌の記述から、銃座が最大で13mm四(2)、13mm連(2)、13mm単(1)、25mm連(6)、25mm単(8)の合計19となるが、航空写真を見ると銃座らしきものが16と、山頂に円筒形の構造物が2基、また山頂の西に広い平坦地があるので、時期毎に移り変わる銃座が、それぞれ別々に構築されていたことが推測できる。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌による記事
昭和16年2月14日 兵備一機密第1818号
昭和17年1月 兵舎仮設中
昭和17年2月 機銃砲台2/25兵舎完成、
S17.2竣工 兵備一機密1818(16.2.14)
昭和17年5月 機密呉鎮守府命令第135号機銃防空砲台仮設の件(呉工廠内)13mm連装機銃1(呉鎮)
昭和17年8月 13mm四連装機銃2基、7倍双眼鏡1
昭和17年9月 坪ノ内として機銃砲台一覧に
昭和18年1月 機銃砲台
昭和18年11月 機密呉鎮守府命令第441号応急用防空機銃砲台構築に関する件、13mm機銃3基(呉鎮)
昭和19年6月 新設完備せる機銃砲台(応急)に15名配員
13mm四連2基 既設
13mm連装機銃2基、13mm機銃1門 応急(分散格納)により新設完備
昭和19年7月 13mm四連2基 既設、13mm連2基応急既設、13mm単1門応急既設
昭和19年8月 13mm四連2基 既設
25mm機銃6門 官房艦機密第4992号該当予定地、工事中
昭和19年9月 13mm四連2基 既設
25mm単8門 工事中(官房艦機密第4992号)
昭和19年10月 25mm単8門 工事中(官房艦機密第4992号)、13mm4連2基 既設
昭和19年11月 新配備 25mm連3基(緊急戦備、官房艦機密第4992号による)
 配員 准士1、下士2、兵71
既設 25mm連3基、13mm四連1基、13mm連1基
昭和20年8月31日 引渡:
建築物 兵舎1 

建物:170m2







分析山 防空機銃砲台(未攻略)


左:山を南から、右:東から



休山から見た分析山


右:米軍の航空写真(M280-131、国土地理院)


山そのものは残っているが、日新製鋼の私有地になっているらしい。終戦翌年の米軍の航空写真を見ると、兵舎や一部の銃座や塹壕等は残っているが、他は埋められて畑になっている。
戦時日誌を見ると、銃座は最大で13mm連(2)、25mm連(2)、25mm単(6)となるが、航空写真からは6基程しか確認できない。19年8月の25mm連2基は前後の記事の内容から恐らくは13mm連2基のミスかと思われるが、それでも2基足らない。兵舎の東西両脇にも2基づつあったのだろうか。

現在は完全に畑になっており、殆ど遺構は残っていないものと思われる。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌による記事
昭和19年6月 新設完備せる機銃砲台(応急)に8名配員
13mm連装機銃2基 応急(分散格納)により新設完備
昭和19年7月 13mm連2基 応急既設
昭和19年8月 25mm機銃6門 官房艦機密第4992号該当予定地、工事中
25mm連2基 応急既設(13mm連2基の間違いか?)
昭和19年9月 25mm単6門 工事中(官房艦機密第4992号)
13mm連2基 既設(応急分散)
昭和19年10月 工事中 25mm単6門(官房艦機密第4992号)、既設 13mm連2基
昭和19年11月 13mm連2基 既設、25mm単6門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和20年2月 応急砲台 13mm4門 分析山
昭和20年8月31日 引渡:
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設1 

建物:155m2







浄水場 防空機銃砲台?(2006.4.18)





米軍の航空写真(昭和20年4月の偵察写真)



米軍の航空写真(M312-2-136、国土地理院)



現状



左:南東側からの全景、右:貯水タンク兼ゲートボール場



左:西端の東屋、右:東端の平坦地と切通し



戦中・戦後の航空写真を見ると、宮原の浄水場の南西側に長細い小山と、その北西斜面、そして浄水場の西端に幾つかの円形構造が確認できる。米軍は小山の山頂に機銃3基、浄水場の西端に機銃3基、浄水場内に探照灯1基をカウントしている。
米軍の偵察写真だと、浄水場の西に3+4基の銃座、南の山に3+3基の銃座が写っているが、戦後のものだと西に3基、南に6基となっている。

浄水場南西側の小山だが、現在は公園として整備され、貯水タンクの上にはゲートボール場が、西端には東屋が造られている。山頂部には痕跡は残っていない。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和18年11月 機密呉鎮守府命令第441号応急用防空機銃砲台構築に関する件、25mm機銃3基(呉鎮)
昭和19年1月 官房艦機密第157号(19.1.14)「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」
訓令により25mm連装機銃3基着工 1月末日完成
昭和19年2月 25mm連装機銃3基 完成
昭和19年6月 25mm連装機銃3基、官房艦機密第157号により新設完備
昭和19年7月 25mm連3基 既設
宮原変電所に25mm機銃(単装)6門の銃座設置の件命令(呉鎮)
昭和19年8月 25mm連3基 既設
昭和19年9月 25mm連3基 既設
昭和19年10月 既設 25mm連3基
昭和19年11月 25mm連3基 既設





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