南高烏の防空砲台(休石砲台)





南高烏 防空砲台(2006.4.18、2011.2.19再訪)




米軍の航空写真、候補1の方(R462-5、国土地理院)


米軍の資料による高烏防空砲台と南高烏防空砲台




左:墓の脇の円形窪地、右:道路から墓(西方向)を望む、右奥の木立の中に円形窪地



左:水道施設とその奥に夢見荘、右:水道施設の裏手、左が夢見荘





左:みはらし荘、右:さくらの里の展望広場



左:音戸ロッジ(現在は取り壊され別の建物に)、右:付近の地図



場所不明。

「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery」という戦後にまとめられた米軍の資料に高烏と南高烏の地図が載っているのだが案外いい加減で、等高線がでたらめな上に同一縮尺の25000分の1に重ねても道や高烏砲台の地形と合っていない。
位置関係を優先すると音戸夢見荘の付近(1)、左端の道だけを合わせるとみはらし荘の付近(2)となるのだが、この地図からだけでは判らない。


夢見荘の周辺を探索してみたが尾根や斜面に砲座らしい遺構は残っておらず、唯一夢見荘の北西に伸びる墓地のある尾根に内径約2mの円形窪地が残っていただけだった。前記の米軍の地図にはこの方向に3基の25mm単装機銃が描かれており、もしかしたらその内の1つかもしれないが、ちょっと内径が小さすぎる気もする。


呉周辺の防空砲台を調査されているYさんとヴぁもさんから教えていただいた情報によると、
・現在のみはらし荘の所で「畑に海軍さんが穴掘って大砲を植えていった」
・弾庫は警小屋の火薬本庫(要塞遺構)として、その横の谷に兵舎があった
・戦後すぐに畑に埋め戻してしまった
そうであり(聞き取り調査による)、
それを考慮すると矢張りみはらし荘の方の可能性が高いのかもしれない。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年11月 新配備 12cm高角砲5門 完備 呉鎮命令第436号による応急砲台
配員 准士1、下士10、兵110
昭和19年12月 新配備 応急高角砲台 12cm高角砲5門
昭和20年1月 応急砲台(12cm)完備
1/8試射済
昭和20年2月 応急砲台(12cm)完備
昭和20年8月31日 引渡:
12cm高角砲6門
97式2m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式管制器 1組 (仮設)
12cm双眼望遠鏡 1個

用地:9200m2、建物:305m2





休石砲台



左:西側からの全景と門柱、右:貯水槽辺りが砲座



左:東側の砲側庫、右:同左内部



左:東側の弾置き場、右:南側の弾置き場



左:東側の砲座、右:南側の砲座



さくらの里の一番南下辺り、海沿いに建つ老人ホームの直ぐ裏手に、明治期の休石砲台がある。
山側が溜池にされてしまったり、砲座に貯水槽が建てられたりしているものの、砲座や砲側庫、胸墻や門柱等がきれいに残されている。砲台に対して良心的なのは呉という町の特徴なのだろうか。

スカ式9cmカノン砲が2門配備されていた。



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