三高 聴音探照所(特設見張所)






左:米軍の航空写真(M539_1-21、国土地理院)、右:国土地理院の航空写真(MCG628-C26-3、1960年頃)


Yさんの聞き込みから三高山砲台(砲台山)の敷地内にあった事が判ったので、調べに行ってみる。
言われていた場所とはちょっと違ったが、それらしい遺構があったのでこれだとは思うのだが確証は持てない。中央からコンクリート基礎とか出てくると良いのだが勝手に掘るわけにもいかないし。









2007.3.11 探索


左:中央の砲座の東側平坦地から円形窪地A方向を望む、右:円形窪地Aを南から



左:円形窪地Aを北側から、右:同左を北東側から



左:円形窪地Aの方形突出部付近、右:円形窪地Aを南側から



左:円形窪地Aの東側の出っ張り、右:円形窪地Aを西側から



左:B付近の残骸を北側から、右:B付近の残骸の内最大のもの



左:B付近の残骸、右:B付近に転がる石



左:中央の砲座、右:南側の砲座



左:砲台山北側(千畳敷)にある窪地、右:円形窪地(大)



左:円形窪地(小)、右:海軍の標柱



左:南部堡塁の臼砲砲座、右:南部堡塁のカノン砲座






三高山砲台の、北部砲台に3ヶ所ある28cm榴弾砲砲座の中央砲座から南側砲座にかけての東側に平坦地があるのだが、この平坦地に鍵穴型の円形窪地Aと、何らかの残骸Bがある。
円形窪地Aは現在ゴミ捨て場のようになっており正確な形は判らないが、内径約6mの円形窪地から南側に方形窪地が伸びているようである。内側を石垣で補強している部分もあるので、何らかの施設であることは確かである。内部に土やゴミが溜まっており基礎があるかどうかは判らなかった。
Aの南側に、何らかの施設跡かと思われる残骸Bがある。今は崩れて石が散乱し、また残骸に草が生えて元の形状が判別できなくなっている。ただ掘り込んだ跡は見当たらなかった。

また砲台山山頂の北側にある千畳敷と呼ばれている緩斜面に、用途不明の窪地が3ヵ所あった。何らかの施設跡というには難しい。一応保険という事で。

南部砲台のカノン砲砲座と臼砲砲座も候補だが、コンクリート基礎らしきものは見つからなかった。





日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年3月 四郎五郎山 将来砲台建設要望
昭和19年11月 150cm探照灯1 新設 官房艦機密第5347号に依り工事中
機密呉鎮守府命令第443号
 秋月、吉松山、音戸、情島、新開、飛渡ノ瀬、三高、毘沙門、小仁方に探照灯台設置を令す(呉鎮)
昭和19年12月 探照灯台 工事中
昭和20年1月 探照灯台 工事中
昭和20年2月 新配備 探照灯台
探照灯台 工事中
白木山・亀ヶ首のヱ式空中聴測装置各1を三高、小仁方に移設を令す(呉鎮、S20.2.2)
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基 仮設

建物:206m2
用地:210891m2、建物:16m2(三高山堡塁)





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