三津峰山南部 高角砲陣地





右:米軍の航空写真(M308-138)




左:砲座A、北西から、右:砲座A、東側



左:砲座Aからの連絡通路、右:同左



左:砲座Aからの連絡通路、右:砲座A脇から砲座B方向



左:砲座B、右:砲座Bの連絡通路



左:砲座Cを東から、右:砲座Cの東側



左:G付近、右側に砲座C、右:F付近の瓦礫



左:砲座Cからの連絡通路、右:同左…多分



左:砲座D、右:砲座Dからの連絡通路、砲座脇



左:砲座Dからの連絡通路の真中、右:同左南端



左:砲座Dの南西の平坦地、右:同左から北側



右:米軍の航空写真(M308-138)



左:円形窪地Eの縁にある円形窪地、右:同左を西外から



左:円形窪地Eの内部、右:同左の縁



左:円形窪地Eの東にある窪地、右:崩落した地下壕跡?っぽい窪地H



左:平坦地I、右:平坦地J



左:平坦地Jの南東側の水槽、右:平坦地Jの北西側の水槽



左:平坦地Jの西上の尾根を走る溝、右:同左内部にある石垣



左:平坦地Kを北西の道路から、右:平坦地Kを南の土塁上から



左:平坦地Kの南東側の土塁、右:平坦地Kを東上から



左:平坦地Kの北側、右:平坦地Kの水槽



左:平坦地M、私有地、右:同左付近から南西に下る旧道



左:平坦地Lの北斜面の不法投棄されたゴミ、右:平坦地Lの南東側



左:平坦地Lの中央部付近、右:同左のレンガ壁の残骸



左:平坦地Nの瓦礫、右:同左の東の切り通し



右:米軍の航空写真(M308-138)


道路脇のトイレの向かい側に道があり、南側に進むと平坦地に4ヶ所の砲座が残っている。道を整備した際に一部が埋め立てられてしまっているのが勿体無いが、完全に破壊されていないだけでもありがたい。其々の砲座からは連絡通路がクランクに折れ曲がりつつ、西側の斜面へと延びている。クランクに折るのは暴発の際の用心の為だろうか。航空写真を見ると、この西側斜面下に兵舎等の施設が写っているものの、道路建設で削り取られてしまっている。
F付近には不法投棄のゴミに混じって、コンクリートや石材、レンガの瓦礫が転がっている。詳しくは見ていないが、レンガが有るということは何らかの施設の残骸かもしれない。

砲座の南西には円形窪地Eと、その縁の上に小さな円形窪地がある。内径は10〜15mであり、大きさから恐らくは聴音機用の擂鉢状窪地かと思われるが、戦時日誌によると19年末までは聴音機がリストにあるものの最終的には配備されておらず、建設途中に不要になったので別の用途に改造したのかもしれない。小さな方の円形窪地は内径約3mで、少し小さめだが探照灯用の窪地かと思われる。Eの東下斜面には大きな窪地Hがある。恐らく崩落した地下壕跡かと思われるが確証はない。
Eの南東下には平坦地Iがある。10〜15m四方の広さだが用途は不明である。その南にも平坦地Jがある。同じく10〜15m四方の広さでIよりかは明確であり、北西と南東に1基づつコンクリート製の水槽がある。恐らくは建物があり、水槽は天水桶かと思われる。またJの西の尾根上には、南に向かってジグザグに溝が掘られており、途中3ヶ所に石垣がダムのように組まれている。用途は想像もつかず、また戦後のものかもしれない。
南西端にも平坦地Kがある。広さはJと同じくらいで、北と南の隅にコンクリート製の水槽がある。Jと同じ建物があったようである。

砲座から道路を挟んで西下には、広い平坦地LとMとがある。航空写真を見るとこの付近には兵舎が建っていたようだが、Mは戦後に手が入ったようで地形が当時と明らかに異なっている。現在は私有地のようで柵がされている。またMの南端からは西へとむかって旧道が延びている。Mの北東上の平坦地Lは兵舎のあった平坦地で、あちこちにレンガやコンクリートの瓦礫が落ちている。ただ北斜面には不法投棄のゴミや土砂が溜まっており、元々はもっと広かったようだ。
道路のカーブの西に平坦地Nがある。航空写真を見るとこの付近にも兵舎があったようで、瓦やコンクリート片などの瓦礫が散乱している。ただこれも戦後の不法投棄ゴミの可能性もある。またNと道路を挟んで東には、切り通しがある。航空写真にはそれらしいものは写っておらず、何なのかは不明である。





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