中野村の聴音照射所(特設見張所)





中野村 聴音照射所(特設見張所)(2006.12.1)




Aを登るが途中で道が消える、Bは荒れている、Cは山際で荒れている




米軍の航空写真(左:M907-13、右:M907-A-12、国土地理院)


左:全体図、右:米軍の航空写真(M492-44、国土地理院)



瀬野駅から八世以山にかけての尾根道は広島市安芸区のハイキングコースとして整備されている。そしてこのハイキングコース上にある東中倉山山頂付近が中野村聴音探照所跡である。パンフレットや登山者のホームページを見ると、ここが陸軍の志和無線中継所跡と誤って紹介されている。
瀬野側から登ると、かなりの距離を歩かされてしまうので、北の奥屋側から登ってみた。一応ハイキングコースにある道を登ろうとしたのだがB付近で道が荒れており、といって引き返すのも面倒だったので谷道(A)を登る事にしたら、今度はAの文字付近で道が消えて無くなってしまった。ただ近くから青いビニールテープの印が急斜面上に続いていたので、これを頼りに遊歩道まで強引に登る。東西の尾根道に出ると後の道は良い。
下りは登山者のホームページでも紹介されていたCを通るが、山際の最後の最後で道が消えてしまう。ほんの3、4mなので強引に下りたら泥濘にはまってしまう。別に道があったのかもしれないが、踏み跡は見当たらなかった。

遺構そのものは良く残っている。兵舎が1棟と油脂庫が1棟がまだ建っており、他にも水槽等が良く残っている。
ただ余りに残りすぎているので不気味でもある。その上、東下の発電施設の有った平坦地Rの、東端にある水槽内に、犬か何かの腐乱死体が浮いている。役所に届けはしたものの、色々な都合で死体の処理はされないので、探索の際は注意しなければならない。ただ余程近づかない限り見えないし臭わないので、それ程怖れるものではないだろう。自分は知らずに行って突然に見つけてしまった為に、パニックになって山を駆け下りる羽目になった。一人で山に入るものではない。





頂上付近





左:Bの窪地その1、右:Bの窪地その2と3



左:水槽C西側、右:水槽C東側



左:水槽C付近から見た兵舎群平坦地O、右:平坦地Aの南側



左:平坦地Aの円形窪地、右:同左中心部のコンクリート基礎



左:コンクリート基礎、右:基礎付近に散乱するガイシ破片



左:平坦地Dを南から、右:円形土塁E



左:円形土塁Eを北から、右:同左の連絡路



左:窪地F、右:F周辺のコンクリート片



左:F周辺のコンクリート片、右:Fから兵舎N付近に伸びる連絡路





東中倉山の山頂には、中央にコンクリート基礎の残る円形窪地Aがある。円形窪地の内径は約6m、基礎の直径は約110cmで6本のアンカーボルトが付いている。また基礎の近くには電線用のガイシの破片が幾つも転がっており、電力消費の大きい探照灯がここに有ったのではないかと推測される。円形窪地Aには北東と西とに通路が有る。西側には小さな平坦地があるが、それ以外に構造物は見当たらなかった。
頂上平坦面の南東下には2基の水槽がある。位置からして、平坦地Oにある兵舎群への水の供給を担っていたものと思われる。
頂上平坦面の南下には用途不明の窪地群Bがある。このタイプの小窪地(直径1m前後)は良く見られるのだが、何に使われていたのか判らない。
平坦地Aから北東に伸びる細い回廊を経て平坦地Dに至る。割と広めの平坦地だが、兵舎等の遺構は見当たらなかった。Dの北側には遺構EとFとがある。Eは円形土塁の内部に方形窪地があり、方形窪地から北に連絡路が伸びている。Fは北西-東南方向に窪地が掘られ、その上に厚さ5cmのコンクリート製のアーチ状の屋根のようなものが付けられていたようだが、現在では壊れて破片が散乱している。またFからは兵舎Nの方向に連絡路らしき溝が続いている。EとFの辺りには管制器か何かが置かれていたと思われる。





北側尾根部と兵舎





左:円形窪地Jを南から、右:J中心部のコンクリート基礎



左:Jの内側の石垣、右:Jを東側から



左:平坦地L、右:平坦地K



左:兵舎Nの北側、右:兵舎Nの内部



左:兵舎Nの天井、右:兵舎Nの南側



左:兵舎N北側出入口付近の水槽、右:兵舎Nの西側のトイレ跡G





北に伸びる尾根上には、大きな円形窪地Jがある。窪地の内径は約13mで、中央には直径70cmのコンクリート基礎が置かれており、この基礎には8本のアンカーボルトが付いている。窪地の内側には所々に石垣が拭かれている。また南側に突起部らしきものもある。もしも円形窪地Aが探照灯なら、こちらは聴音機になるだろう。
円形窪地Jの北側には、平坦地KとLとが続いているが、これといった遺構は無い。更に北に道が続いていたが、道も荒れていたのでLから先には行っていない。
円形窪地Jの南側には、平坦地Iと、Iと土塁を隔てて兵舎Nが建っている。また兵舎Nの西側にはトイレ跡らしき水槽Gがある。
兵舎Nは用途不明だが、規格化された建物のようで、宮島や昇仙峰の聴音照射所(特設見張所)にある兵舎とほぼ同型である。一般の兵舎から離れて装備機器に近い場所に位置しているので、指揮所等の用途に用いられていたと思われる。兵舎の北東側にはコンクリート製の水槽がある。雨水受だろうか。





東下の兵舎群(O)





左:北東端の兵舎跡(基礎?)、右:中央部東側の水槽



左:中央部西側の水槽、右:同左の脇にある階段



左:平坦地Oの西側の斜面の石垣、右:平坦地Oの西側を南から



左:南側の兵舎跡の脇の水槽、右:平坦地Pを北から





山頂付近の遺構から10m程下がった場所に、大きな平坦地Oがあり、幾つかの兵舎跡が残っている。
恐らく兵舎の基礎と思われる高さ10cm程の長方形のコンクリートが3、4枚ある。兵舎の屋根かとも思ったが、それにしては壁材の破片が少なすぎるので、基礎だけコンクリートで他は木材で造られていたのかもしれない。
中央部には階段つきの水槽と、半円形に近い形の水槽がある。階段つきの方は浴槽かと思われるが、半円形の方は用途不明。平坦地Oの東側には高い石垣が組まれている。斜めに通路らしきものもついているが、どこに繋がっているのか不明である。もしかしたら平坦地Cへと続いているのかもしれない。
平坦地Oの南東側には細長い平坦地Pがあるが、ここには遺構らしきものは無い。Pの南端の南側は緩やかな斜面になっており、どこかに道が通じていたのかもしれないが、そこから先には行っていない。
兵舎Nから平坦地Mを経由して平坦地Oへ、更に平坦地OからQを経由して発電施設Rへと軍道が付けられているのだが、現在のハイキングコースは軍道を無視して直線につけられている。おかげで傾斜がきつくて昇り降りし難くくなっている。保存の面からしても軍道を復旧してもらえないものだろうか。





発電所





左:北西隅の油脂庫を西側を通る登山道から、右:同左を東から



左:平坦地Rの中央部の兵舎跡の脇の水槽、右:中央部の兵舎跡(基礎?)



左:南東隅の水槽(問題の水槽、これくらいの距離が限界)、右:平坦地Rの中央部から油脂庫





頂上から南東へ標高で30m程下った尾根の鞍部に、発電所施設Rがある。ハイキングコースからは切れた土塁越しに兵舎(油脂庫)が見えるだけだが、案外と広い。
西に油脂庫、中央に水槽付きの兵舎、東端に発電機用の水槽、南側に用途不明のコンクリート構造物が配置されている。
ただここでトラブルに見舞われた為、落ち着いて写真も撮れなかったので(殆どピンぼけ)、地図等も多分にいい加減である。良く探索すれば揚水所への通路等も残っているのかもしれないが、腐乱死体が完全に自然に戻ってくれるまでは詳細調査も無理だろう(もう8年前なので、さすがに無くなってしまっただろうと思いたい。2014年)。





ハイキングコースの脇というアクセスのしやすさ(あくまでも藪漕ぎをしなくて済むという範囲でのアクセスのしやすさ)の割に遺構が良く残っている度合いでは、呉周辺ではぴか一だろう。コース外の場所もそれ程荒れておらず、偶に手が入っているのかもしれない。所有が何処にあるのか知らないが、是非とも史跡として保存してもらいたい。
聴音探照所としての設備一式がほぼ揃っているのもありがたい。他に揚水ポンプの配置された場所が有る筈だが、聞き取りも何もしていないので判らない。航空写真から南下の谷地かと思われるが、北東下の谷地や北西下の谷地も候補に残るかもしれない。また航空写真から、25000分の1の地図上の北東へ降りる山道は当時からも道としてあったようである(軍道かどうかは不明)


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年12月5日 官房機密第11482号
昭和16年11月 聴測照射所、第五砲台群、工事中
昭和16年12月 聴測照射所 工事中
官房機密11482
昭和17年1月 聴測照射所 工事中
昭和17年2月 聴測照射所 工事中
昭和17年3月 特設見張所 既設(?)
昭和17年4月 96式150cm探照灯1型陸用及管制器2型陸用1 未
配員 下士(臨5)、兵(臨12)分隊士のみ
昭和17年5月 特設見張所 5月中工事着手
昭和17年7月 96式150cm探照灯1型陸用及管制器2型陸用1
仮称ヱ式空中聴音装置1
配員 下士1(臨6)、兵(臨11)
昭和17年8月 特設見張所(丁)既設
仮称ヱ式空中聴測装置1、150cm探照灯(管)1
12cm望遠鏡1、7倍稜鏡4
昭和17年9月 特設見張所(照聴所)、丁乙
昭和18年1月 照聴所(丁)(第2砲台群)
昭和19年6月 既設照聴所
昭和19年7月 既設照聴所
昭和19年8月 既設照聴所
昭和19年9月 既設照聴所
昭和19年10月 既設照聴所、150cm探照灯1、空中聴測装置1
昭和19年11月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和19年12月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年2月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
ディーゼル交流発電機陸上用40KVA220V三相60KVA配付 1基
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設2

用地:18318m2、建物:383m2(中野)
用地:14014m2、建物:403m2(東中野特設見張所)?



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