黄幡山・八郎山 防空機銃砲台





黄幡山・八郎山 防空機銃砲台(2006.4.17)


米軍の空中写真(昭和20年4月の偵察写真)




左:北部の拡大、右:南部の拡大




米軍の空中写真(M282-19、国土地理院)



左:黄幡山東下の切通しの防空壕、右:同左



左:円形窪地、銃座跡?、右:同左



左:円形窪地のある最北端の平坦地、右:尾根上にある水槽



左:尾根上の景色、右:比較的大型の水槽



立ち入り禁止の看板



螺山の西側、広海軍工廠のすぐ東側の山にも防空機銃砲台が築かれた。
戦後は海軍工廠跡に米軍が入り、この山も立ち入り禁止地区になってしまい、探索は難しい(その割には地元民の畑になっている)。

最北端の、慰霊碑の先にある平坦地に、辛うじて2ヵ所ほど円形窪地を発見した他は、これと言った遺構は残っていなかった。
一応尾根上に3、4ヶ所コンクリート製の水槽が残っているのだが、蜜柑畑等ではあちこちにこれと同じものがあるので、当時の物か戦後の物か良く判らない。尾根上は至るところで畑や墓所になっている。

昭和20年4月の偵察写真を見ると、黄幡山の北端とその南側の2ヶ所に機銃陣地が写っている。銃座の数からして、北端の陣地が黄幡山機銃砲台、南側の陣地が八郎山機銃砲台かと思われる(104mピークには小屋らしきものしか写っていなかった)。
終戦直後の航空写真をみると、殆どの銃座が埋め戻されて畑になっており、銃座は今回確認できた慰霊碑の西側の2ヶ所の窪地しか残っていないと思われる。



黄幡山 防空機銃砲台
日付 呉海軍警備隊戦時日誌による記事
昭和18年11月 機密呉鎮守府命令第441号応急用防空機銃砲台構築に関する件、25mm機銃2基(呉鎮)
昭和19年1月 官房艦機密第157号(19.1.14)「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」訓令により
25mm連装機銃3基着工 1月末日完成
昭和19年2月 25mm連装機銃3基 完成
昭和19年6月 25mm連装機銃3基、官房艦機密第157号により新設完備
昭和19年7月 25mm連3基 既設
昭和19年8月 25mm連3基 既設
25mm機銃6門 官房艦機密第4992号該当予定地、工事中
昭和19年9月 25mm連3基 既設
25mm単6門 工事中(官房艦機密第4992号)
昭和19年10月 既設 25mm連3基、工事中 25mm単6門(官房艦機密第4992号)
昭和19年11月 25mm連3基 既設、25mm単6門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和20年8月 引渡
建物:130m2



八郎山 防空機銃砲台
日付 呉海軍警備隊戦時日誌による記事
昭和19年8月 25mm機銃6門 官房艦機密第4992号該当予定地、工事中
昭和19年9月 25mm単6門 工事中(官房艦機密第4992号)
昭和19年10月 25mm単6門 工事中(官房艦機密第4992号)
昭和19年11月 25mm単6門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和20年8月 引渡
用地:11400m2、建物:150m2





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