砲座周辺





右:米軍の航空写真(USB15-R14-517、国会図書館)


左:砲座Aを北から、右:砲座A


左:砲座Aの内部を南から、右:同左


左:砲座Bを西から、右:同左


左:砲座Bの内部を南東から、右:砲側弾薬庫のアップ


左:砲座Bを北東から、木の生えている辺りが東側の出入口、右:同左


左:観測所Cを東から、右:同左中央部を南から


左:南端の円形窪地、右:南西端の円形窪地


左:観測所Cの中央部を西から、右:同左から北西を


左:北西の方形窪地、右:同左から東を


左:方形窪地を東から、右:同左から南を




左:観測所Cから東に伸びる溝を南から、右:同左から方形窪地Dへと伸びる溝


左:方形窪地Dの南脇へと降りる溝、右:方形窪地Dから南へ延びる道


左:方形窪地Dを南から、右:同左内部


左:方形窪地Dを北西上から、右:トイレ跡らしきコンクリート水槽


左:観測所Cから方形窪地Eを見下ろす、右:方形窪地Eを東上から


左:方形窪地Eを北上から、右:方形窪地Eを西から、奥上が観測所C




山頂には2基の砲座と観測所、観測所の付属施設、そして弾薬庫らしき窪地がある。

砲座AとBは内径7m前後の円形窪地で、深さがかなりある。どちらも金物盗りによってコンクリート部が破壊されているが、辛うじて崩れずに形を保っている。砲座Aは南西、Bは東に出入口らしき開口部がある。砲員待避所が近くにあるのかもしれないが、斜面側は回りこめなかったので確認できていない。

砲座の北には観測所Cがある。7ヵ所の円形、方形窪地で構成されている。大きさから南西端の円形窪地(内径約3m)が測距儀、北西端の石垣で組まれた方形窪地(内寸法3×3.5m)が高射機のものかと思われる。他は望遠鏡や指揮者位置等だろうか。また観測所施設がここまで綺麗に残っているのは珍しい。

観測所Cからその北東下にある方形窪地Dまで溝が続いている。連絡路としては狭すぎる事から、恐らくは埋められていたケーブル類を掘り起こした跡ではないかと思われる。方形窪地Dは南北約5m東西約3mで、斜面が低くなる東側は土塁が盛られている。配員の詰め所もしくは通信所だろうか。南の出口からは南下へと通路が下っていっている。北は平坦地へと続いており、その北西端にはトイレ跡らしき長方形のコンクリート水槽が埋め込まれている。

観測所Cの北西下には方形窪地Eがある。内寸法は約5mの正方形であり、形状から弾薬庫かと思われる。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 大峯山を新宮に変更 官房艦機密第157号に依り工事中
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第6511号(?)に依り工事中
士官2、准士官、下士官兵24(19.10.20)
12.7cm連装高角砲2基 土工事中、官房艦機密第157号
昭和19年11月 工事中
昭和19年12月 13mm単1門
工事中
昭和20年5月 12.7cm連装高角砲2基 13mm単1門 既設
試射5/16実施
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲 2基
2式陸用高射装置 1基
98式4.5m高角測距儀 1基
92式3型110cm探照灯 1基

用地900m2
兵舎他、木造16棟、759m2



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