新開 探照灯台
2023.3.4 探索
2023.8.29 更新
江田島の南西部、深江漁港の南東南約1kmにある標高122mの山頂付近に新開探照灯台がある。明確な登山道は無いが、三角点のある山頂から北に下る尾根に取付けさえすれば移動は容易である。
探照灯掩体と管制器掩体、そして幾つかの穴があるだけである。探照灯用の電動直流発電機室は見つけることができなかった。名称の「新開」という地名は山の南麓であり、そちらが本来の麓であるとすれば、そちら側にも遺構があるのかもしれない。
それから、この施設の名称なのだが、戦時日誌の昭和19年11月から、既存の聴測照射所も含めて「探照灯台」となっている。昭和19年11月に呉鎮守府命令で新開を含む計9ヶ所が追加されることになるのだが、この中には聴音機の無い照射所もあり、見張としての機能よりも夜間戦闘時の照射の機能を重視したものになっていたことから、その際に呼称を「探照灯台」に変更したのかもしれない。新開は最初から「探照灯台」だったので、こちらに合わせておく。
目次
航空写真から見た新開探照灯台
施設:
探照灯
管制器
来歴
参考文献・リンク
航空写真から見た新開探照灯台
米軍の航空写真(M124-101、国土地理院)
この付近は、終戦直後の航空写真に良い写真が無く、探照灯掩体の丸い穴すら確認できない。管制器のあるピークから南西にかけて何か写っているが、あの辺りは羊歯に覆われていて地形を確認できていない。また戦後の航空写真も早々に樹木に覆われており、航空写真から施設を確認することはできなかった。
探照灯
左:探照灯掩体Aを東から、右:もう少し近寄る
左:探照灯掩体の南縁、右:北縁
探照灯掩体Aは、内径約7m、深さ約2mの円形窪地になっており、更にその底部には内径約2mの浅い円形窪地がある。探照灯の基礎を含め、コンクリート遺物は残っていない。また掩体への出入口も開けられていない。
左:探照灯掩体Aの内部にある浅い円形窪地、右:Aの中心から内部壁面を見る
左:探照灯掩体Aの内部壁面、右:同左
左:探照灯掩体Aを南から、右:北東下から
150㎝探照灯の一般的な円形窪地型の掩体の内径は約5mであり、また深さもせいぜい50㎝くらいまでが多いのだが、新開の掩体はそれよりも広く、深くなっている。後に探照灯電探(L2等)を設置することを考慮して、地下室を造れるように掩体を造成したのかもしれないし、艦載機による空襲を考慮したものかもしれない。ただどちらにしても、他に同じような探照灯掩体を持つ探照灯台が見つかっていないので、何とも言えない。まさかとは思うが、実はここは聴音機掩体で、別に探照灯掩体が存在していた…というオチもあるかもしれない。
管制器他
左:管制器のあるピークを北から、右:窪地Bから北に延びる溝
左:窪地B、右:窪地Bから北西に延びる溝
探照灯掩体Aのあるピークから南に続く尾根を進むと、尾根の斜面西側に方形窪地Bがある。目測で約1m×1.5mくらいで、北東と北西に溝が出ている。猪のヌタ場になってしまっているので、元の形状とは異なっているかもしれない。また、元は地下壕だったものが崩落して現在のような地形になっている可能性もある。その場合、この地下壕に電動直流発電機が置かれていたかもしれない。
左:管制器掩体Cを南東から、右:管制器掩体Cを北東から
左:Cの内部に落ちていたコンクリート片の表、右:裏
左:管制器掩体Cの南西縁、右:北東縁
尾根のピークの北端に、管制器掩体Cがある。内径は約3mで、南東側に出入口がある。元々、底面はコンクリート敷だったようで、掩体内にコンクリート片が落ちていた。
管制器掩体Cの南西下に方形窪地Dがある。1辺約2mで、それ程深くはない。用途は不明。
左:方形窪地Dを東から、右:方形窪地Dを西から
左:崩落した地下壕E、奥上が管制器掩体C、右:地下壕Eの内部
左:管制器掩体Cの南にある平坦地、右:平坦地Fを西上から
管制器掩体Cの北東下に、崩落した地下壕Eがある。用途は不明である。
管制器掩体Cの南上に、比較的広い平坦地がある。ただ一面羊歯に覆われており、地形を把握できなかった。
探照灯掩体Aの南東下に、平坦地Fがある。戦後、この付近まで畑が来ていたので、畑跡かもしれない。
来歴
日付
呉海軍警備隊戦時日誌
[1]
[2]
等による記事
昭和19年11月
150cm探照灯1 新設 官房艦機密第4992号に依り工事中
機密呉鎮守府命令第443号
秋月、吉松山、音戸、情島、新開、飛渡ノ瀬、三高、毘沙門、小仁方に探照灯台設置を令す(呉鎮)
昭和19年12月
探照灯台 工事中
昭和20年1月
探照灯台 工事中
昭和20年2月
新配備 探照灯台
探照灯台 工事中
昭和20年8月31日
引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
用地:27769m2、建物:200m2
参考文献・リンク
[1]
「呉海軍警備隊戦時日誌」昭和16年11月~昭和20年2月 防衛省戦史資料室/蔵 アジア歴史資料センター C08030470300 - C08030475400
[2]
「呉鎮守府戦時日誌」昭和16年12月~昭和20年2月 防衛省戦史資料室/蔵 アジア歴史資料センター C08030323300 - C08030330300
[3]
「兵器軍需品施設等目録 呉海軍警備隊」 防衛省戦史資料室/蔵 アジア歴史資料センター C08011271900
[4]
「呉鎮守府管内海軍施設目録」 防衛省戦史資料室/蔵 アジア歴史資料センター C08011285100