太華山 電波探信所・防空高角砲台


太華山 電波探信所・防空高角砲台


右:米軍の航空写真(M731-115)


2012.5.12 探索

左:山頂の電探壕跡、擂鉢状の地形は無くなり、平坦地となっている、右:同左


左:展望台から見下ろす、右:大きな円形


左:電探から南の砲台方向を、右:電探のあった平坦地を見上げる


左:建物跡?、右:反対側も平坦地


左:あちこちに石垣跡、右:別の石垣


左:砲座のあった平坦地、右:同左続き


左:砲座平坦地北下の石垣、右:同左続き


左:砲座のあった平坦地を北から、右:同左を南の展望台から見下ろす


左:平坦地に残るコンクリート残骸、右:同左の南側


左:別のコンクリート残骸、右:南西端から砲座平坦地を


左:北西下の駐車場、右:駐車場の北端


左:駐車場の北下の石垣、右:同左続き


左:駐車場の北西下の石垣、右:同左の続き


左:石垣は結構立派、右:駐車場北下に転がっていた瓦礫



徳山の南側にある太華山の山頂に、電波探信所が、また電波探信所が工事中止の後には防空高角砲台が造られていた。しかしいずれも工事中のままで、完成はしていない。
航空写真を見ると、広い円形の広場の方に円形すり鉢構造物が、その南に砲座が2基写っている。このすり鉢構造には電波探信儀が装備される予定だった。



現在、車道が整備されて頂上の直ぐ下まで車で登る事ができる(軍道を利用した狭い道であるため、山頂近く以外では一方通行になっている)。山頂も良く整備されているが、その為に以降らしいものがほとんど残っていない。


山頂にあった筈の射撃用電探の擂鉢状窪地は、崩し埋められ平坦地になっている。所々にコンクリートの残骸が地表に顔を覗かせているが、当時のものかどうかは不明である。
山頂の円形平坦地と、少し南にある砲座のあった長円の平坦地との間にも、以降らしきものが幾つかある。中途半端に古い石垣が随所に見られる。

南側の砲座のあった平坦地もすっかりと埋められており、地表に出ている幾つかのコンクリート残骸以外にそれらしいものは見られない。ただこのコンクリート残骸も砲台関連のものかどうかは不明である。

駐車場の北下から北西下にかけて、石垣が残っている。また石垣の近くに当時の建物の残骸と思われる瓦礫も転がっていた。



太華山 電波探信所
日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年8月 特設見張所、乙戊(未完成)
電波探信儀1号1基
(電波探信儀1号)内報艦本機密第3号ノ5720(17.6.3)
近く工事に着手
昭和17年9月 特設見張所(照聴所を除く)、戊乙工事中
昭和17年11月 探信所 工事中
昭和17年12月 探信所(戊)工事中
昭和18年1月 探信所(乙戊)工事中 徳山支隊
昭和18年3月 施本機密第2664号、特設見張所(戊)施設工事要領変更内報(18.3.22)
昭和18年4月 呉建機密第21号ノ213、特設見張所(戊)施設工事要領変更内報の件通知接受(18.4.5)
呉建機密第21号ノ398、特設見張所(戊)施設工事要領変更訓令の件通知接受
昭和18年5月 官房設機密第1345号、特設見張所(戊)施設工事要領変更の件訓令接受(18.5.13)
特設見張所(戊)工事中
昭和18年10月 探信所工事中
昭和18年11月 探信所工事中
昭和18年12月 電波探信所 工事中止
昭和19年7月 2式1号電波探信儀1 工事中止の状態にあり



太華山防空高角砲台
日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年8月 98式10cm連装高角砲2基 官房艦機密第3500号に依る新設予定地
昭和19年9月 98式10cm連装高角砲2基 官房艦機密第3500号に依り工事中
昭和19年10月 10cm連装高角砲2基、工事中、官房艦機密第3500号
昭和19年11月 工事中
昭和19年12月 工事中
昭和20年1月 呉警備隊機密第31号ノ18
 昭和19年官房艦機密第5347号に依る4号電探の兵員配員の件上申
昭和20年3月 13mm単1門 3月末据付完了、工事中
昭和20年4月 13mm単1門 現装
昭和20年5月 10cm連装高角砲2基、工事中、官房艦機密第3500号
13mm単1門 既設
昭和20年8月31日 引渡:
10cm連装高角砲 2基 未装備
96式150cm探照灯(220V) 1基
4号1型電波探信儀1、6KVA発電機1

用地、16500m2
兵舎他、木造11棟、708m2

太華山見張所 用地:16530m2、建物:323m2



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