高畑山の防空砲台





高畑山 防空砲台(2006.4.14、2007.3.21再訪)


右:米軍の航空写真(昭和20年4月の偵察写真)、砲座が2基しかない




米軍の航空写真(R462-11、国土地理院)


探索範囲


呉市街の直ぐ北にそびえる鉢巻山(400m)の山頂にある。鍋土峠にある呉寿光霊園内に鉢巻山への登山口があり、山頂まで軍道が通じている。傾斜は緩やかだが距離があり、40分ほどかかる。
航空写真を見ると、広い範囲に施設が写っている。面白いのは昭和20年4月の偵察写真では砲座が2基しか写っていないのだが、終戦後のものだと3基になっている。戦時日誌や引渡目録の記事からも、途中で12.7cm連装高角砲が増設されたものと思われる。



付属施設





左:平坦地A、右:平坦地B



左:平坦地Bの南側、右:左下が平坦地B



左:軍道脇の平坦地の石垣、右:同左のコンクリート基礎



左:軍道と連絡路Jとの合流点の平坦地、右:軍道脇の何らかの施設



左:平坦地Cの西側、右:平坦地Cの東側



左:平坦地D、右:平坦地D



左:大型水槽E、高い方は空、右:低い方は水が溜まっている



左:平坦部Fにある埋没式水槽、右:同左の中



左:平坦地Fの東下の平坦地、右:平坦地Gにある円形窪地?



左:平坦地F、右:平坦地G



左:平坦地Gから平坦地Hの西側を見下ろす、右:平坦地Hの東側を見下ろす



左:平坦地H、所々に残骸がある、右:平坦地Hにある残骸



左:落ち葉に埋もれているが水槽、右:平坦地Hの西側にあるL字窪地I



左:平坦地Hのレンガ基礎、右:平坦地H北側の通路と思われる凹みJ



左:登山道の部分だけ切り開かれている、右:通路?J、西方向






霊園の裏手から緩やかな軍道が鉢巻山山頂付近まで続いている。
軍道の脇には何ヶ所か平坦地が設けられているものの(A〜D)、何があったのかは不明である。平坦地Dの北西上に平坦地があり、現在はNHKか何かの電波塔が建っているが、ここも何があったかは判らない。
鉢巻山の山頂には2基のコンクリート製水槽Eがあるが、生活用水の水槽かと思われる。その北下に平坦地Fがあり、その南東隅には地下水槽がある。兵舎が建っていたと思われるが残骸は殆ど何もない。

平坦地Fの北には平坦地Gがある。Gの北側には円形窪地が崩れたような窪みがあるが、何なのかはよく判らない。Gの北下には平坦地Hが広がっている。Gとの高低差がかなりある。
航空写真を見ると、平坦地Hには大小2棟の兵舎が写っている。現在は兵舎の外周に沿って水槽やレンガなどの瓦礫が転がっているだけである。西端には用途不明のL字型窪地Iがある。北端には通路跡らしい溝Jが西下の軍道へと続いている。平坦地Hは1年前に来た際には一面の藪で砲座まで行くのに鉈が必要だったが、現在は登山道が整備されており軍道の終端(平坦地D)から砲座Kまで鉈鎌無しで行けるようになっている。





南部砲座




左:砲座Kの南縁、右:砲座Kを東側から



左:砲座Kの北縁、右:砲座Kの内部



左:砲座Kの北側、右:平坦地Lの西端



左:Mへ上がるスロープの東側の石垣、右:Mの南東下の土留の石垣



左:Mの南西下の石垣、右:Mの西下の石垣






左:平坦地M、右:平坦地Mの南西隅の土塁



左:平坦地Mの東側の窪地、右:平坦地O




平坦地Hの北側には砲座Kがある。後から追加されたらしく他2基の砲座と比べて出来が荒い。内径は測った筈なのだが記録していない。7〜8mくらいだったと思う。砲座Kの北西には平坦地Lがある。Lの脇に平坦地MとHとを結ぶ通路が続いている。
平坦地Mの外周は石垣で補強されている。南西隅に土塁が残っていたり窪地らしきものがあるのだが、あまりはっきりと残っていない。航空写真での形状や位置からして測距儀や高射機等が置かれていたのではないかと思われるが、どうなのだろうか。





北部・西部砲座




左:P-O間にある土塁、右:砲座Pの東側の通路と土塁



左:砲座Pの出入口の東側の土塁、右:砲座Pの出入口



左:砲座Pの内部、右:砲座Pの内壁の立ち上がり部分



左:砲座Pの外壁、右:砲座Pの内壁北側



左:砲座Pの出入口を内側から、右:砲座Qの出入口



左:砲座QとOとの間に転がっていた部品、右:出入口西脇の石垣



左:砲座Qの西下にある方形窪地R、右:同左



左:砲座Qの外壁西側、右:砲座Qの外壁南側



左:砲座Qの内部、右:砲座Qの中央部の円形窪地



左:砲座Qの内壁の立ち上がり部分、右:砲座Q内部から出入口方向



左:砲座Qの東縁、右:砲座Qの東縁上から出入口(南西)方向を望む



左:砲座Qの北東下の平坦地、右:砲座Qの北下の窪地




北側と西側に2基の砲座がある。
砲座Pの東側は爆風避けなのか、土塁と通路とが入り組んでいる。砲座Pの内径は約7m(内壁の立ち上がり部分)で、中央には窪地や基礎といったものは無い。
砲座Qの西下には方形に削り取った窪地Rがある。砲座の出入口脇から連絡路が付けられているので砲側待避所なのだろうか。砲座Qの出入口の南側に、さび付いた鉄製の部品が落ちていた。形状が特異で、わざわざこんな場所に持ち込まれることも無さそうなので、砲台関係の部品かと思われる。
砲座Qの内径は約6m(内壁の立ち上がり部分)で、中央には直径1.5mの窪地がある。内壁の立ち上がり部分は石垣で組まれており、3基の中では最も仕上がりがいい。砲座Qの北側にも平坦地や窪地があるが、用途は不明である。

完成当初は2基、引渡時は3基となっており、かつ昭和20年4月の航空写真で南側の砲座がはっきりと写っていないことから、南側の砲座が後から追加されたことは判るのだが、西側Pと北側Qの砲座とで内径や形状が異なるのは良くわからない。





探照灯等




左:平坦地S、右:平坦地Sの北端



左:北向きの斜面にある円形窪地T、右:円形窪地Tを東側から



左:円形窪地U、右:Uの中心にあるコンクリート基礎



左:円形窪地Uの東側に開いた出入口、右:円形窪地U、北縁から西方向



左:円形窪地U、右:平坦地VをUの南側から



左:平坦地Vの東壁、右:平坦地Vの西端の土塁



左:平坦地W、右:海軍の標柱X



左:窪地Y、右:窪地Y内の段差



左:窪地Yの南東方向へ続く連絡路、右:同左の出口付近



左:方形窪地Z、右:同左



左:円形窪地a、右:同左を少しアングルを変えて




一番北側のピーク付近に、探照灯等の施設がある。
円形窪地Uは内径約5mで、内部のコンクリート基礎(直径約130cm)の形状から探照灯が設置されていたものと思われる。東側に出入口があり、南側へと続いている。Uの北下の斜面には円形窪地Tがある。内径は目測で約2m、探照灯の管制器かと思うが、こんな近くに、しかも斜面上に配置するものなのかは判らない。
Uの南側には削り出し平坦地Vがある。西側には土塁があり、南西隅から通路が南側へ回りこんでいる。瓦礫が所々にあるので建物が建っていたと思われる。探照灯の直流発電機を設置していたのだろうか。
Vの南には方形とも円形とも言えない窪地Yがある。東西の幅が約3.5mで内部は2段になっており、南側から東へ曲がる連絡路がある。Yの西下には平坦地Wが、南側には円形窪地aと方形窪地Zとがあるが、これら一連の施設跡が何の目的の物なのかは良くわからない。砲座の中心の平坦地Mではなくこちらの方が測距儀や高射機なのかもしれない。
以上の施設の近くには、海軍の標柱Xもある。

砲座との間の尾根の一番低くなった場所に、平坦地Sがある。瓦礫はあるかどうかは不明である。


実は、この付近を探索中に近くでガサガサと音がしており、イノシシや熊に襲われてはと気が気でなく、十分な探索が出来なかった。せめて円形窪地aの内径と、内部の基礎の有無くらいは調査しておきたかった。





軍道・その他


左:砲座Kから北東に降りる登山道脇に転がる海軍標柱、右:同左登山道脇の海軍標柱その2



左:軍道の石垣、右:軍道



左:軍道、右:霊園奥にある登山口


軍道の他に、砲座Kから北東に降りる登山道もある。この登山道脇には2ヶ所に海軍標柱がある。内1ヶ所のは転がっている。

またこの砲台にはかなり立派な軍道が築かれている。巾といい、脇の石垣といい、また所々にある水門といい、明治期の砲台のものと良く似ている。(航空写真にはこの軍道は写っており、戦時中に既に存在したことは間違いないものの、ここまで綺麗に整備されていたかは不明である)
もしかすると日本築城史にある、宮島の向かいにあるとされている高畠堡塁というのは実はここであり、それを利用して防空砲台を築いたのではないか。それなら鉢巻山にあるのに「高畑山」の名前がこの防空砲台についているという謎も、戦争末期に造られた防空砲台には珍しく立派な軍道がついているという謎も解けるかと思われた。しかし後日に防衛庁資料室を訪れた際、偶々いらした要塞研究の大家であるHさんに、この高畑山防空砲台の軍道の件を質問してみたところ、「高畠堡塁は築城史の著者が高烏堡塁と間違えただけものであり、上記のような事は有り得ない。それよりも日清戦争時に築かれた陸軍の臨時堡塁を利用したのではないか」ということだった。Hさん著の付属資料の日清戦争時の呉周辺の地図によると、灰ヶ峰、灰ヶ峰の北西、高烏、休山(石鎚山)の4ヶ所に臨時堡塁のマークが記入されている。灰ヶ峰北西のものと鉢巻山とでは位置が大分ずれているものの、この立派な軍道がある理由としては、これくらいしかないのではないだろうか。ただ戦後のある時期に鉢巻山山頂に公園か何かが建設されてその際に整備されたという可能性も指摘されており、呉市の資料を漁ってみるしか確認のしようがない。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和18年12月 機密呉鎮守府命令第319号、
防空砲台構築準備委員会に於て左の通第一着手として処理に決す、12.7cm砲台として適
昭和19年4月 官房艦機密第157号(19.1.14)
「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」訓令により新たに工事着手
昭和19年6月 12.7cm連装高角砲2基、官房艦機密第157号により新設工事中
昭和19年7月 12.7cm連装高角砲2基、官房艦機密第157号により新設工事中
昭和19年8月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第157号に依り工事中
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第157号に依り工事中
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第157号に依り工事中
昭和19年11月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第157号に依り工事中、11/15試射済
昭和19年12月 12.7cm連装高角砲2基 一部付属装置の外完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年2月 12.7cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲3基
2式陸用高射装置 1組
98式4.5m高角測距儀付属品補用品共 1組
97式2m高角測距儀 鏡管のみ 1組
96式管制器 1組 (仮設)
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
12cm高角双眼望遠鏡 1個
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設5 

用地:91000m2、建物:869m2



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