高烏 防空高角砲台





2006.4.18 探索
2006.5.22 再探索
2011.2.19 再探索




米軍の航空写真(M2-6-114、国土地理院)


左:米軍の航空写真(R462-6、国土地理院)




明治期に高烏高台が築かれた場所に、高烏防空砲台が築かれた。
現在は高烏台公園として整備されている。砲台南西部は明治期砲台そのままであるが、28cm榴弾砲の砲座の辺りに3基の砲座が造られていた。砲台の北東部には大きなすり鉢状構造が残っているが、ここには電波探信儀が設置される予定であった。
また航空写真を見ると、北側の尾根上にも何らかの施設が写っているのだが、砲台の関連施設なのかただの影なのかは不明である。




米軍の資料による高烏防空砲台と南高烏防空砲台(等高線はでたらめ)
「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery」





砲台南西部(明治期要塞:高烏砲台)





左:清盛像の北下辺り、右:同左から兵舎跡を



左:水槽、右:水槽の西下のトイレ跡



左:兵舎内部、右:28cm榴弾砲の砲座



左:28cm榴弾砲の胸墻部、右前は展望台、右手前の基礎跡は用途不明、右:28cm榴弾砲の砲座



左:胸墻部の藤棚、右:胸墻部



左:28cm榴弾砲の砲座、右:28cm榴弾砲の砲座



遺構の破壊は多少あるものの、全体としては保存状態が良い。
殆どが明治期そのままで、唯一兵舎の裏手の水槽が鉄筋コンクリート製だったので、これは昭和期に入って増設されたものかと推測される。
3ヶ所ある28cm榴弾砲の砲座を挟むようにして3基の12.7cm高角砲砲座が造られていたのだが、現在は埋め立てられてしまい痕跡も無い。ただ航空写真を見るに胸墻部にある展望台と藤棚が少し南東に出っ張っており、ここに2基の砲座があったのではないかと思われる。また米軍の資料にある地図によると、3基の砲座の北東に2式高射装置が、また南西に4式高射装置があったようである。




砲台北東部





左:大型擂鉢構造を南西から、右:大型擂鉢構造、南東から



左:掘削平坦地、角部、右:掘削平坦地、右奥が大型円錐



左:探照灯と思われる円形窪地、右:同左



左:聴音機と思われる円形窪地、右:同左南西隣の掘削平坦地


北東に延びる遊歩道を進むと、芝生の広場に出る。よく見ると直径15m弱のすり鉢構造になっている。同じような構造は螺山防空砲台にもあるが、電波探信儀をここに設置予定だった。ただ終戦時は未装備で、聞き取りによるとここには代わりに探照灯が置かれていたらしい。また米軍の地図によると、この南西側に3基の25mm連装機銃が、そして東屋の西下付近に5式砲戦式装置が置かれていたようである。
広場から更に北に延びる遊歩道脇に、測距儀か何かを置いていたと思われる円形窪地1ヵ所と、掘削平坦地が2ヶ所ある。また更に北に進むと、なだらかに下がる尾根の先に円形窪地と掘削平坦地が1ヵ所づつある。円形窪地は堀が甘く、西側にかすかに盛り上がりがあるだけである。米軍の地図によると、北東の方が聴音機、南西の方が探照灯だったようである。



引渡目録内に5式砲戦指揮装置というのがある。これは複数の砲台の高角砲を統一指揮するシステムで、終戦時には高烏を中心にして三津峰と南高烏を結んで試験的に運用予定だったらしい。
アメリカ海軍の技術調査報告書にもこの5式砲戦指揮装置が出てくるが、こちらではシステム名に「雷雲」がつけられている。この報告書によると、12.7cm連装高角砲3基装備の防空砲台を最大5ヶ所まで同時に運用できるシステムだったそうだ。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和3年2月2日 官房機密第134号(S17.8)
昭和12年11月 竣工(S17.8)
昭和16年11月 防空砲台、第二砲台群(下士官5、兵14)
機密呉鎮守府命令第394号、大向、高烏山砲台8cm砲各1(付属兵器共)灰ヶ峰砲台に移動作業開始
准仕官以上1、下士官兵64、有線電話
8cm高角砲3門、ステレオ式2m測距儀1、110cm探照灯1
90式2型聴音機1、ディーゼル直流発電機1
准士官以上1、下士官11、兵54 
昭和16年12月 防空砲台
ディーゼル直流発電機  
昭和17年1月 防空砲台  
昭和17年4月 3年式40口径8cm高角砲3門
ステレオ式2m高角測距儀1、89式高角射撃盤2型改一1
須式110cm探照灯1、90式空中聴音機1
38式小銃6、12cm双眼鏡1、7倍双眼鏡1、6倍双眼鏡1
配員 下士3(臨12)、兵19(臨28)、分隊長のみ
昭和17年8月 8cm高角砲3、89式射撃盤1、110cm探照灯1、ス式2m測距儀1
90式聴音機1、観測鏡1、7倍稜鏡2、12cm高角双眼望遠鏡1
2、4番砲装備 計4門(?)
昭和17年9月 防空砲台第2砲台群  
昭和18年1月 防空砲台(第1砲台群)  
昭和19年3月 官房艦機密第157号(19.1.14)「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」訓令により8cm高角砲1門増備
昭和19年6月 8cm高角砲4門  
昭和19年7月 防空高角砲台 8cm高角砲4門  
昭和19年8月 8cm高角砲4門 既設  
昭和19年9月 8cm高角砲4門 既設  
昭和19年10月 8cm高角砲4門 完備  
昭和19年11月 8cm高角砲4門 畑高地へ移設
98式10cm連装高角砲2基 官房艦機密第4992号に依り工事中(飛渡瀬と間違いか?)
(飛渡瀬の記事:12.7cm連装高角砲3基 官房艦機密第12092号に依り工事中、熊野に装備すべきを同所に変更)
昭和19年12月 新宮、烏帽子、高烏、螺山 計12門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 新宮、烏帽子、高烏 計12門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年2月 8cm高角砲4門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備  
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲3基
3式陸用高射装置付属品補用品共 1組
4式陸用高射装置付属品補用品共 1組
94式4.5m高角測距儀付属品補用品共 1組
須式110cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
90式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
12cm高角双眼望遠鏡 1個
8cm双眼望遠鏡 1個
5式砲戦指揮装置、付属品補用品共 1組(実験用)
仮称4号1型電波探信儀(S3) 未装1
建築物 兵舎2、其ノ他付属施設6

用地:87661m2、建物:175m2



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