徳山周辺の防空高角砲台と特設見張所、その他












櫛ヶ浜 応急防空砲台(消滅)




右:米軍の航空写真(USB15-R14-0637、国会図書館)

場所不明。航空写真を見るとそれらしいものが写っているのだが、これが本当にそうなのかは判らない。参考までに。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年1月 大迫田 7cm野戦高射砲3門
昭和20年3月 大迫田 13mm単1門撤去
昭和20年4月 田名徳山を櫛浜と名称変更
昭和20年5月 7cm野戦高射砲 3門





富海 聴音探照所ではなかった




右:米軍の航空写真(R507_3-15、16、19)

不明。航空写真を見ると防府第二トンネルの南側付近にそれらしいものが写っているのだが、該当する施設が無い。
山に入ってみたところ、一応建物があった痕跡があるものの、戦後入植した際の民家、というような造作だった。可能性があるとすれば陸軍の超短波警戒機甲の陣地だろうが、それにしても弱い。

ともかく、海軍の施設ではなかった、ということで。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
記述なし









束荷村 聴音探照所(工事中止)



右:米軍の航空写真(M741-A-97)

内海跡村や岩国北方高地で建設途中の施設らしいものが航空写真で写っていたので、こちらも探してみた。
束荷の集落の南東にある標高186mの山頂付近にそれっぽいものが写っているような、写っていないような…



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年3月 特設見張所 将来要望
昭和17年8月 特設見張所(丁)工事中止
予定内報施本機密第13033号(17.2.4)
工事中止施本機密第2543号(17.8.5)
昭和17年9月 機密呉鎮守府作戦命令第97号、陸上防備部隊の項特設見張所から削る





沼田 聴音探照所(工事中止)

こちらも航空写真を探してみたが、見つからなかった。
観音岳辺りが見晴らしが良いので適していると思われるが、登山記録を見てもそれらしいものは見つからなかった。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年3月 特設見張所 将来要望
昭和17年8月 特設見張所(丁)工事中止、都渡郡湯野村
予定内報施本機密第13033号(17.2.4)
工事中止施本機密第2543号(17.8.5)
昭和17年9月 機密呉鎮守府作戦命令第97号、陸上防備部隊の項特設見張所から削る





呉警備隊 厚狭派遣隊


山陽町史によると、
昭和19年に成松に防府海軍通信学校厚狭演習所が開設。
兵舎が成松、実習室が厚狭中学校(現在の厚狭高校北校舎)グラウンドの北東に設けられた。
本校で学習した学生が、田布施、四ツ辻、嘉川、苅田(福岡県)、宇佐(大分県)の演習所間で演習を行う。100名前後
とある。
厚狭派遣隊の記事とは異なるかもしれないが、参考まで。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年8月31日 引渡:
(仮称)3式1号電波探信儀3型 未装6
TM式短移動無線電信機改三1
TM式軽便無線電信機改二1
92式特受信機改四1
兵舎5棟





呉警備隊 宇部派遣隊

宇部にあった陸軍の警戒機陣地を探索した際に、地元の方から、本山岬に海軍の見張所があり、双眼鏡を見せてもらったことがあるという話をうかがった。
宇部に海軍の見張所があったという記録は無く、陸軍と海軍の混同の可能性もあるが、もしかしたら、この宇部派遣隊のことかもしれない。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年8月31日 引渡:
(仮称)3式1号電波探信儀3型 未装4
95式短五送信機2、92式特受信機改四1
兵舎3棟





長島 機雷見張所

日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年4月(?) 4月27日設置終了





祝島 機雷見張所

日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年4月(?) 4月27日設置終了





姫島 機雷見張所

日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年3月 特設見張所 将来要望
昭和20年4月(?) 4月27日設置終了









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