螺山の防空砲台





螺山 防空砲台(2006.4.17)


右:米軍の航空写真(R462-47、国土地理院)


米軍の航空写真(昭和20年4月の偵察写真、USB15-R14-0075、国会図書館)


広町市街地の南東側にある螺山山頂にも防空砲台が築かれていた。砲座を中心として、兵舎跡や探照灯や聴音機、電波探信儀の台座が南北の尾根上に広く分布している。
山頂のNHK電波塔まで比較的巾のある車道が付いているので、取り付きやすい。





砲座周辺

米軍の航空写真(M282-58、国土地理院)


右:米軍の航空写真、S24電探がまだ残っている(M282-58、国土地理院)


米軍の航空写真、98式10cm連装高角砲がまだ残っている(M282-58、国土地理院)


米軍の航空写真、98式10cm連装高角砲がまだ残っている(M282-57、国土地理院)



左:西側の砲座、右:砲座の内部



左:砲座の出入口、右:出入口から砲座内部



左:砲座脇の弾置き場?、右:連絡通路(砲座に向かって)



左:連絡通路(砲員待避所前から西向)、右:連絡通路(砲座側から)



左:砲員退避所、右:連絡通路(東端から西向)



左:東側の砲座の出入口と連絡通路、右:連絡路脇の凹み



左:東側の砲座、右:同左



左:東側の砲座付近の円形窪地、右:西側の砲座付近の水槽跡



左:西側の砲座からの連絡路、右:円錐構造南西下の2段窪地



左:円錐構造南東下のL字窪地、右:同左



左:円錐構造を南下から、右:円錐構造の内部



東西に2基のコンクリート製の砲座がある。形状と数からして98式10cm連装高角砲の物かと思われる。
砲座内部は深く、中央の基部は掘り起こされて大きな穴があいている。其々の砲座からは連絡通路が砲員退避所まで連なっている。ただ東側の砲座の砲員待避所は戦後の航空写真では存在しているものの、今は埋もれてしまっている。また昭和20年4月の航空写真では2つの砲座の間に測距儀用の円形窪地らしきものが写っているのだが、戦後の航空写真では既に埋められてしまっている。
また砲座の周りには小さな円形窪地と水槽の跡が1ヵ所ずつあるが用途不明で、畑の設備かもしれない。

そこから北側に一段高く平坦地があり、東西其々の傾斜に窪地が掘られている。西側のは上下2段に、東側のはL字型になっている。
更に北側には、直径約30m、深さ2m程の緩やかなすり鉢構造がある。しかし現在は木々に埋もれてしまっている。戦後の航空写真を見ると、すり鉢の中心に電波探信儀らしいアンテナが写っている。またすり鉢構造の周りに2ヶ所の建物らしきものが写っている。




中央部

米軍の航空写真(左:M282-58、国土地理院、右:USB15-R14-0075、国会図書館)
4基あった砲座は埋められて一面が畑になっている


左:米軍の航空写真、北側の兵舎(M282-59、国土地理院)




左:円錐構造北平坦部の段差、右:斜面に掘られた方形窪地



左:窪地の北上にある水槽の残骸、右:電波塔の東下にある切欠き平坦地



NHKの電波塔


円錐構造の北側の尾根上も、平坦地が2段にかけて作られている。脇に細長い方形窪地があるが、用途は不明である。またこの窪地の北上にはコンクリート製の水槽の残骸がある。
NHKの電波塔周辺は奇麗にされてしまっている。昭和20年4月の偵察写真を見ると、この位置に恐らく8cm高角砲のものと思われる4基の砲座が写っているが、戦後のすぐに埋められてしまったようで、痕跡すらない。
またこの北側から道路のヘアピン部までも幾つかの兵舎が建っているのが写っているが、確認していない。





北部にある兵舎跡

右:米軍の航空写真(M282-59、国土地理院)




左:平坦地南下の尾根上の窪み、右:切欠平坦地端の窪地



左:切欠平坦地北側のコンクリート基礎、右:水槽その1(最北)



左:水槽その2、右:水槽その3(最南)



左:切欠平坦地の南端、右:平坦地中央付近の十字窪地(イノシシの巣)



左:切欠平坦地、かなり広い、右:東上から平坦地を



螺山へ続く車道の、北側に大きくカーブを描いた地点に灘山への道がある。登山道の一部らしく、所々に赤いビニールテープが付けられている。

尾根の一番低くなっている部分は、大きく削り取られて平坦地が作られている。平坦地にはコンクリート基礎や水槽等があるので、兵舎等が作られていたものと思われる。
平坦地の中央付近には、新しく掘られた十字型の溝がある。イノシシの巣かと思われる。





南東尾根上にある聴音探照所

米軍の航空写真(M282-57)


航空写真を見ると西側の砲座から南に伸びる尾根上に、大小4ヶ所の円形窪地と付属施設らしきものが写っている。聴音機と探照灯がこの辺りに配備されていたらしい。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和12年9月4日 官房機密第3562号(S17.8)
昭和12年11月 竣工(S17.8)
昭和16年11月 防空砲台、第一砲台群(下士官5、兵11)
89式高角射撃盤2型1、8cm高角砲常装3号通常弾薬包300
准仕官以上1、下士官兵61、有線電話
8cm高角砲2門、ステレオ式2m測距儀1、シ式75cm探照灯1
美式聴音機1、ディーゼル内火直流発電機1
准士官以上1、下士官11、兵50
昭和16年12月 防空砲台
斯式75cm探照灯1、英(?)式空中聴測機1
昭和17年1月 防空砲台
昭和17年2月 官房機密第1979号訓令に依り呉軍港防空砲台(大向、烏帽子、螺山、灰ヶ峰)変電所新営工事施工の件指令す(呉鎮)
官房機密第2216号訓令に依り大向、烏帽子、螺山及灰ヶ峰防空砲台電気施設増設の件指令す(呉鎮)
昭和17年4月 3年式40口径8cm高角砲2門
ステレオ式2m高角測距儀1
高角式75cm探照灯1、90式空中聴音機1
89式高角射撃盤2型1(通信装置未完成)、照準点的機1
六極補極附復巻直流発電機(ディーゼル)1
8cm砲弾600、内200信管付、38式小銃6
配員 下士4(臨10)、兵10(臨23)
昭和17年6月 探照灯用部外電力用変圧所新設中
昭和17年7月 探照灯用部外電力用変圧所新設中
昭和17年8月 8cm高角砲2、89式射撃盤1、75cm探照灯1、ス式2m測距儀1
90式聴音機1、観測鏡2、6倍双眼鏡2、8cm高角双眼望遠鏡1
昭和17年9月 防空砲台第1砲台群
昭和18年1月 防空砲台(第1砲台群)
昭和18年7月 官房機密第1922号訓令による8cm防空砲台装備兵器中探照灯・聴音機の換装基礎工事7/1以降兵力をもって実施中
昭和18年8月 官房艦機密第4198号(18.8.18)(呉鎮機密第25号ノ286)、直流発電機械撤去の件訓令接受、時期を得次第工事に着手の予定
艦本機密兵電第970号(18.8.27)、電気兵器供給の件通牒接受
昭和18年9月 螺山・鹿ノ川防空砲台道路新設工事施工訓令(官房機密第2471号、18.9.9)接受、右の兵力により工事施工中
昭和18年10月 官房艦機密第1922号(18.4.22)訓令に依り照聴所電気兵器換装工事完成(10.5)
電気兵器供給 完了
昭和19年3月 官房艦機密第157号(19.1.14)「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」訓令により8cm高角砲2門増備
昭和19年6月 8cm高角砲4門
昭和19年7月 防空高角砲台 8cm高角砲4門
昭和19年8月 8cm高角砲4門 既設<
昭和19年9月 8cm高角砲4門 新宮へ移設
昭和19年10月 98式10cm連装高角砲2基 呉鎮命令第402号、工事中

機密呉鎮守府命令第402号(呉鎮守府S19.10)
官房艦機密第5347号(呉鎮機密第75号の51の2)に依る98式10cm高角砲を螺山に装備す
但し螺山の探照灯は付近適地に移装す
昭和19年11月 98式10cm連装高角砲2基 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年12月 新宮、烏帽子、高烏、螺山 計12門 完備
10cm連装高角砲砲台工事中
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 新配備 98式10cm連装高角砲2基 1/13試射済 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
呉警備隊機密第31号ノ18 昭和19年官房艦機密第5347号に依る4号電探の兵員配員の件上申
昭和20年2月 10cm連装高角砲2基 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年8月31日 引渡:
10cm連装高角砲2基
2式陸用高射装置 1組
3式陸用高射装置付属品補用品共 1組(高射器欠)
98式4.5m高角測距儀付属品補用品共 1組
97式2m高角測距儀 鏡管のみ 1組
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、
電動直流発電機 1基 管制器付属品欠
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
12cm高角双眼望遠鏡 1個
仮称4号2型電波探信儀(S24) 既装1
建築物 兵舎2、其ノ他付属施設5

用地:77600m2、建物:533m2



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