吉松山の防空砲台





吉松山 防空砲台(2006.4.17)


米軍の航空写真(M282-111、国土地理院)



北部拡大図(M282-112、国土地理院)



中央部拡大図、高角砲の架台だけが残っている(M282-111、国土地理院)



東部拡大図、建物は既に無い(M282-111、国土地理院)



戦後間もない頃の米軍の航空写真、烹炊所が残っている(M144-A-4-17、国土地理院)



山頂から麓までの軍道と北麓の建物、米軍の航空写真(左:USB15-R14-0125、右:0124、国会図書館)



北麓の建物、建物跡(M282-87、国土地理院)




広町の市街地の北東側にそびえる吉松山の山頂にも防空砲台がある。

航空写真を見ると、山頂周辺に砲座、北の尾根筋に探照灯、東下に兵舎や烹炊所などが、そして兵舎を起点として右回りに軍道が北へと伸びている。また北麓にも幾つかの建物があるが、砲台に関連したものかどうかは不明である。
登山道は軍道とは関係なく、山の南西側から登るものと、南東側の尾根沿いに登るものと2通りあるが、南西側から登る道は傾斜が急で、運動不足の人には辛いかもしれない。神社の裏手の墓地の、赤いレンガ塀の立派な墓の脇に登山口がある。頂上まで約30分。





山頂、砲座






左:最南端の砲座、右:砲側の弾置場



左:砲側弾置場の内部、右:砲座への出入り口



左:砲座の内部、右:出入り口を上から



左:連絡通路(向こう側が最南端砲座)、右:連絡通路を北側に向かって



左:真中の砲座、右:同左



左:砲引退避所?、右:待避所?の壁面の残骸?



左:最北端の砲座、右:同左



左:最北端の砲座の北東の平坦部、右:最北端の円形窪地



左:西側の砲座、右:同左、南に向かって



左:西側平坦地の円形窪地、右:西側平坦地の窪地その2



左:西側平坦地の西下の石垣、右:登山道から見た螺山と黄幡山


頂上を削った平坦地に3基、その北の尾根上に1基の計4基の石造りの砲座がある。石垣の砲座は珍しいが、北西下の斜面に石切場らしきものがあることから、地材地消だったようである。比較的良く手入れされているが、潅木や雑草が覆い始めている。
平坦地中央には砲員待避所かと思われる大きな窪地と、そこから南北に伸びる連絡通路らしき溝が残っている。ちらほらとコンクリート片も残っているが、何だったかは判らない。

北と西の尾根上にも削り出された平坦地や円形窪地が残っている。北尾根には探照灯があった筈なのだが、探照灯の円形窪地(直径約5m)は見つけられずじまいだった。西側の尾根には指揮所跡らしい幾つかの窪地があり、またその西下には2m弱の高さの石垣がある。





日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和18年12月 官房艦機密4992
機密呉鎮守府命令第319号、防空砲台構築準備委員会に於て左の通第一着手として処理に決す、12.7cm砲台として適
昭和19年8月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年9月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年10月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年11月 機密呉鎮守府命令第443号 秋月、吉松山、音戸、情島、新開、飛渡ノ瀬、三高、毘沙門、小仁方に探照灯台設置を令す(呉鎮)
昭和19年12月 12cm高角砲4門 一部付属装置の外完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 12cm高角砲4門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年2月 12cm高角砲4門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年8月31日 引渡:
12cm高角砲4門
2式陸用高射装置 1組
ステレオ式2m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
12cm高角双眼望遠鏡 1個

用地:23700m2、建物:738m2



ここから以下のページへいけます。