法印山 電波探信所



2009.2.7 探索




右:全体図

須崎市の東側にある法印山の南東側260mピーク付近に、須崎の第23突撃隊の電波探信所の跡がある。法印山へは、西側にある電波塔付近から尾根伝いに行くのが普通らしいが、南西麓からも荒れてはいるがそれなりに立派な登山道がついている。ただこちら側から登る際には鉈鎌が必要かもしれない。
配備されていたのは22号電探(もしくは32号電探)で、対水上見張用のものである。





左:平坦地Aの南東下の電探基礎、右:同左から南東方向を望む



左:電探の方形窪地の北隅、右:同左の東壁



左:電探基礎のアンカーボルト、右:Aの南東側の山道



左:道から電探の方形窪地側を望む、右:平坦地A



左:地下壕Bを東側から、右:同左の奥



左:地下壕Bを南東側から、右:同左を北西側から



左:地下壕Bの出口付近、右:地下壕Bを北西側から



左:地下壕B付近に散乱する玉砂利、右:地下壕C



左:地下壕C、右:同左の北東側



左:D付近の地下壕その1、右:その2



左:D付近の平坦地、右:同左、東側



左:麓の登り口付近、右:麓から山頂方向を望む






標高260mピークの南東下に電探を配置していたと思われる方形の窪地がある。その中心から少し南東側に六角形のコンクリート基礎がある。6本のアンカーボルトが約78cm間隔に並んでおり、蒲生田のものと同じである。この方形窪地は南東側に開けており、北西側は高さが約4m、南東側が約1mとなっている。奥行きは約8.5m、左右は約5mである。
山頂付近は三角形の平坦地となっているが、これといった施設跡は無い。

Aの北東側に伸びる尾根には崩落した地下壕Bがある。幅は約2m、奥行きは約5m程である。記録が残っていないのでここが何かは不明だが、蒲生田の記録から推測するに電信室もしくは補信儀室か何かかと思われる。またこの地下壕の付近には蒲生田と同じく玉砂利が散乱している。

Aの北下の斜面には崩落した地下壕Cがある。大きさはBとほぼ同じであるが、倒木などが蔽っているので形状の把握は難しい。Bと同様に電信室もしくは補信儀室か何かかと思われる。

北側に伸びる谷筋を下ってゆくと、平坦地らしき場所Dがある。余りハッキリとした平坦地ではないが、それなりに広い。この東側の斜面には2ケ所の崩落した地下壕がある。奥行きは殆ど無く、工事中だったのかは判らない。恐らくは燃料庫と発電機室かと思われるが確証は無い。


基本的には蒲生田の特設見張所と同じような作りになっているが、こちらは標高の高い位置に築かれている。残念ながら兵舎や烹炊所があったと思われる平坦地は見つけられなかった。



日付 記事
昭和20年6月1日現在 特設見張所(辛)現状より

須崎(第23突撃隊):
22号1基 d 1基
(d:恐らく電波探知機)
特攻:△
訓令518号
見張所辛として新設す
昭和20年8月 引渡:(施設目録より)
電波探信儀 1基
無線用ガソリン交流発電機 1基


資料:(番号はアジア歴史資料センターのリファレンス番号)
・兵器舟艇軍需品施設目録(第23突撃隊)(C08011120200)
・「電探関係配備一覧表」 E兵器540 防衛省戦史資料室/蔵






ここから以下のページへいけます。