蒲生田 特設見張所


2008.12.7 探索




右:全体図




紀伊水道に四国側から突き出した蒲生田岬に、海軍の特設見張所が築かれていた。
存在すら知らなかったのだが、アジア歴史研究資料センターの阪神警備府の引渡資料の中に見つけたので行ってみた。
配備されていたのは22号電探(もしくは32号電探)で、対水上見張用のものである。




○電探本体





左:円形窪地Aの中心にあるコンクリート基礎、右:同左を北側から



左:基礎のアンカーボルト、右:円形窪地Aの南側壁面



左:円形窪地Aの連絡路の北側入り口、右:連絡路を上から



左:進入路から基礎を、右側に配線?や穴あり、右:同左を正面から



左:同上の穴、2ヵ所と配線?、右:穴アップ



左:平坦地B、右:同左、玉砂利が散乱






遊歩道の階段の脇から円形窪地Aへの侵入路がある。
窪地Aの内径は約5.5mで深さは約2m、中央には六角形のコンクリート基礎がある。基礎の寸法は1辺が約1mの六角形。この上に6本のアンカーボルトが約78cmの間隔で配置されている。ボルトの直径は約2cmである。22号電探は2本のラッパを載せた小屋がグルグル動くというものなので、恐らくは上のラッパだけが稜線の上に突き出るように調整されていたのかもしれない。
また北東側に連絡路が伸びている。この連絡路の西面に機器のケーブル等を通したと思われる穴が2ヵ所開いている。また後から写真を見ていて気がついたが、穴の上辺りに錆びた太いケーブルらしいものが写っているが、これが何なのかは今となっては判らない。
窪地Aの西側にはゆるい土塁で囲まれた平坦地Bがある。一面に玉砂利が散乱しているが、何の目的で砂利が敷かれているのかは不明である。




○各種壕




左:壕C付近にあるコンクリート片、右:壕C



左:壕Cの出入口?を東から、右:壕C



左:壕Dを南上から、右:壕Dの出口脇の平坦地



左:壕Dを正面から、右:壕D、斜面は急



左:壕Eの上部、右:壕Eの下部



左:壕E、右:壕Eを正面から



左:壕Fの下部、右:壕Fの上部



左:壕F、右:壕F上部にある穴



左:壕J、右:同左






電探のピークから北に下る2本の谷筋に幾つかの壕と平坦地がある。
紀伊防備隊の引渡目録等から推測すると、壕Cが電信室、Eが発電機室、Dが燃料庫、JもしくはFが捕信儀室かと思われる。何れも崩落して竪堀のような溝にしかなっていない。所々に小穴が開いているが、施設の物なのか狸の穴なのかはわからない。




○烹炊所、兵舎等


左:平坦地Hを東から、右:同左を西から



左:平坦地Hの北側斜面、右:平坦地Hの東側の溝



左:平坦地I、右:同左から池方向を



左:平坦地Gを南西から、右:同左中央部の窪み



左:平坦地Gを北東から、右:同左北東隅



左:平坦地Gの南西隅にある出入口、右:平坦地Gを北西下から






谷筋の池に近い辺りには兵舎や烹炊所のものと思われる平坦地があるが、資料からGが兵舎、HとIが烹炊所かと思われる。建物の基礎やトイレ槽と思われるようなものは見つからなかった。
それぞれの長辺の長さは、Gが約15m、Hが約8m、Iが約5mである。




○全体



左:北側の池、右:駐車場から、中央のピークが電探所



左:蒲生田の灯台、右:灯台付近から電探所を、奥のピーク




付近は遊歩道が整備されている。
景色は良いのだが、国道からこの岬までの道の悪さは、運転に自信が無ければかなり厳しいものかと思われる。





日付 記事
昭和20年6月1日現在 特設見張所(辛)現状より(電探関係配備一覧表)

蒲生田埼:
22号1基、32号?  d 1基
対潜見張:○、特攻:△
訓令518号
見張所辛として新設す
昭和20年8月 引渡:(施設目録より)

兵舎1(50m2)、烹炊所1(10m2)
土地面積約4万m2、随道約70m2(電探室、電信室、発電機室、燃料庫、捕信儀室)


電探装置(完成)
電信室 随道 2x2x10m(WHL)(未完成)
発電機室 随道 2x2x8m (未完成)
燃料室 随道 2x2x6m (完成)
兵舎 木造 40m×30m(?)(未完成)


電波探信儀1、電波探知機1、電信機1組



資料:(番号はアジア歴史資料センターのリファレンス番号)
・紀伊防備隊引渡目録その3(C08011206800)
・嵐基地施設目録(第22嵐部隊)(C08011210200)
・兵器軍需品艦艇施設目録(第22嵐部隊)(C08011210100)
・「電探関係配備一覧表」 E兵器540 防衛省戦史資料室/蔵





○その他、陸軍の砲台予定地など



左:蒲生田から尻杭へ抜ける旧旧道、右:陸軍の砲台予定地?、奥の山の尾根付近




a:蒲生田特設見張所(海軍)、b:陸軍の砲台予定地?、c:陸軍の監視所(次郎峰山)



国土地理院の航空写真M1107-A-21、22での旧旧道、マッピングはいい加減



戦争中の事に詳しい土地の古老の方に話を伺うことができた。


・特設見張所の位置(a)には日露戦争時に望楼が築かれていた。この望楼には海軍の1個分隊(約10名)が駐屯し、連絡用に徳島への直通電話と電線が引かれていた。施設や機材は日露戦争後に撤収されたが、子供の頃までは電柱の跡が残っていた。

・昭和20年11月に進駐軍が来て特設見張所の施設を破壊していった。また見張所の跡へ鉛管を掘りに行った事がある。

・日露戦争当時、温泉施設の南側にある次郎峰山の山頂(地図c)に陸軍の監視所も築かれ、1個小隊(約30人)が駐屯していた。

・終戦間際に淡路由良の陸軍要塞の備砲を蒲生田に移設する計画が立てられ、蒲生田から尻杭へ抜ける道沿いの尾根付近(地図b)に砲台を建設することになった(海岸沿いの旧道は昭和40年に完成、トンネルは平成19年頃)。兵隊の宿舎が多く築かれていたが、工事の途中で終戦。戦後もしばらくは道沿いに資材やコンクリートの袋が散乱していた。大砲も移設されていたが、橘駅までは来た時に終戦を迎えた。

・戦前まで蒲生田には電気が来ていなかったが、陸軍の砲台建設の際に椿泊から電線が引かれ、それを終戦後に四国電力が払い下げを受けて、昭和23年に電気が使えるようになった。



話を基に陸軍の砲台跡を求めて旧旧道をに分け入ったが、途中で採石の為に道が削られて無くなってしまい、山の斜面に分け入るも藪が酷くて諦める。
現在のトンネルの上付近に大型のアンテナが建っているので、そこへの保守路を見つけて登って東へ下った方が楽に行けるのかもしれない。





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