筋山砲台 田の首砲台 弟子待魚雷発射所


2007.1.8 探索(筋山、弟子待)
2011.11.12 探索(筋山)
2015.2.21 探索(田の首)



終戦直後の航空写真(R515-2-1、国土地理院)





 霊鷲山山頂付近が龍司山保塁である。戦後、仏舎利塔や公園の建築により、砲座を含む大部分が破壊されてしまったが、棲息掩蔽部と周囲の壕や一部のトーチカ、兵舎跡平坦地はどうにか残っている。アクセスは、火の山の南西麓附近の駐車場から旧軍道を長距離歩くか、山の南東下もしくは山の北下から登山するしか無い。



現代本邦築城史より:

田ノ首砲台

任務:
 敵艦の進んで其の近距離に達するに及び平射を以て俄然其の艦体(原文は旧漢字)を洞射し此の屈曲航路内に於いて敵艦の進退動作に最大の妨害を与えんとするにあり。

備砲:
 加式鋼製28口径27cmカノン 4門

起工:明治20年9月28日、竣工:明治21年12月28日

除籍:昭和10年3月13日 陸密第153号にて全部除籍

 大正8年 要塞整理要領にて備砲を12cm速射カノンに改む
 大正12年 再整理要領にて備砲を旧27cmカノンに複す



筋山砲台

任務:
 其の前方を航過する敵艦を平射し以て此の海峡口を扼守するにあり。

備砲:
 26口径24cmカノン 6門

起工:明治21年4月4日、竣工:明治22年8月31日

除籍:昭和10年3月12日 陸密第153号にて全部除籍











筋山砲台


左:車道に近い辺りの軍道、右:少し上るとまともになる


左:真ん中付近から東方向を、右:西方向


左:砲座、右:砲座最奥部


左:弾薬置き場、右:同左逆側


左:砲側庫、右:西側を


左:砲側庫、右:砲側庫


左:西端の砲側庫、右:同左付近から東を


左:西端上にある観測所、右:同左


左:観測所を南西から、右:観測所内部


左:門柱らしきもの、戦後のものか?、右:北東下の谷部にある平坦地


左:平坦地にある謎の八角形、右:平坦地を逆から

 車道脇は藪で酷いことになり、また入って直ぐの付近で軍道が崩壊してしまっているが、奥になると歩きやすくなっている。下関市内の明治期要塞の中では一番まともな砲台なのだが、戦後に入植者が入っていたこともあり、色々と改造されて微妙な状態になっている。
 北東下の谷地にインフラ施設があったようだが、こちらは藪に埋もれつつある。北西上に戦争中に造られた照空陣地があるが、この施設跡から軍道が追加でつけられており、その際に再利用された可能性もある。







田の首砲台


左:北東上から、ほぼ墓地になっている、右:同左撮影場所の北東上の尾根にあった標柱


左:墓地の隅に作られた公園みたいな場所、右:墓地の駐車場

 全面が墓地になり、何も残っていない。唯一当時の面影を知れるのは、北東にある山の尾根に建っていた標柱くらいである。







弟子待 水雷発射所


左:桟橋を南西から、右:北西から


左:桟橋中央部から東を、右:同左反対方向


左:魚雷保管庫入口、右:内部


左:北にある何からの跡、右:何かの跡を反対から

 筋山・田の首砲台の北東に、弟子待水雷発射所がある。石造りの桟橋のような構造物は、2007年当時で写真の通りであり、現在どうなっているかは不明である。
 資料が無いので、どのように使われたのかは不明である。






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