亀岡日帰り遠征

平成12年11月23日


城MLのNさん、Mさんと3人で、亀岡市周辺の城を攻めることとなる。御両人とも城の造詣も深く山城もOKで、住んでいる場所柄のせいで戦史研城郭班の人と遠征に行き難い中、これほどありがたいものは無い。おまけに人生でも大先輩である。これは失礼が出来ないぞと緊張も高まる。

午前6時前に起床。09:15にJR八木駅に集合という事だったので、8時半にはJR亀岡駅に着いて車を市役所の駐車場に不法駐車させなければならない。そこで2時間ほど見込んで6時半には寮を出発。
神戸から亀岡に向かうには、池田市から国道423号線を北上するのが普通なのだけど、金をケチッて下道で行くため、出来ることなら信号の多い海沿いの道を走りたくはない。そこで大廻りだけど、信号と車の少ない社町・篠山経由で亀岡に向かうことにする。
いつもの走り慣れた道で国道175線まで出て北上し、社町から国道372号線、いわゆる旧丹波街道を東へと向かう。さすがに田舎で車も信号も少ないために滅多に止まることもない。ところが、一つ前にやたらとゆっくりと走る車が入ってしまう。抜こうにも田舎道でカーブが多く、車も軽自動車なので馬力もない。30分弱もストレスの溜る走行を強制される。
所々、三桁国道特有の狭い道になったりして冷や冷やさせたが、無事に8時半に亀岡市内に入ることが出来た。早速指定された亀岡市役所に向かい、ここに車を不法駐車。荷物をまとめて徒歩で駅へと向かう。
ここで何を血迷ったのか09:08八木駅着の列車を09:08亀岡駅発と勘違いし(普通9時15分集合の時に09:08発の列車で間に合う筈がないのだが)、余裕をかまして亀岡城を見に行く。迷ったりして時間が無くなり、結局堀しか見れなかったが、これでも1城になるかななどと満足気に亀岡駅へと向かう。
と、次発の下り普通電車の時間が「09:30」となっている。「へ?」と慌てて時刻表を確認して、やっと自分の間違いに気がつく。寒いのに背中を汗が流れた。ともかく時刻表で特急で乗り過ごして引き返す方法などを考慮するも、どれも無理なことが分かって絶望的な気持ちになる。仕方がないのでNさんの携帯に30分遅れる旨を電話して遅れたことを詫びる。それから切符を買ってホームに入って本を読んで時間を潰す。サークルの先輩方ならまだしも、ほとんど面識の無いNさんとMさんに対していきなり失礼な事をしでかしてしまい、白い目で迎えられたらどうしようかなどと心配になり、読んでいる小説のページの上を目が滑っていく。
八木駅に到着。すみませんの連発。思ったほど不機嫌そうでもなくちょっと安心する。
ここで挨拶を済ませて、NさんのRVRで一つ目の八木城へと向かう。



八木城



八木駅の南西1kmにそびえる山が八木城である。神社の西にあるトンネルで京都縦貫道を潜ると、城の登り口と謂われが書かれた看板がある。登り口を入るとすぐに屋敷跡が見られ、そこから葛折りの山道を10分ほど登ると御対面所と言われる郭に出て、さらに5分ほどで本丸に至る。比高200m。



左:本丸の風景、右:本丸脇の虎口

内藤氏関連の城であるらしいが、詳しいことは城郭大系が無いので分からない。
良く整備されている上に規模が大きく、遺構も良く残っている。隅から隅までじっくり時間をかけて見てあるいていたら、1時間近くもかかってしまった。


次に神尾山城へと向かうが、途中に千代川小学校へと寄り道。



この小学校の校門は亀岡城の長屋門を移築したものらしい。ただ使われ方はぞんざいで、内側にはアルミサッシがはめこまれていた。


国道372号線を西に後戻りして、宮前町宮川にある金輪寺へと向かう。城自体の比高は200m弱なのだが、寺まで一応道がついているので、おかげでほとんど山道らしい山道を登らずに済んだ。

神尾山城






1526年に波多野植(「禾」偏)通の弟の柳本弾正が神尾山城に籠ったとあるのが初めての記述である。ただ、この辺り一帯は金輪寺を始め多くの寺坊のある天台密教の霊場であるため、それ以前にも城として機能していたかも知れない。
金輪寺の裏にある墓地脇の山道を登って行くと、すぐに城の遺構に出る。規模は大きいのだが手入れがされておらず、一面に雑木が生えていて見晴らしも悪く歩き辛い。あちこちに礎石や石垣の石が散乱しているところを見ると、かなり手の込んだ造りをしているのだろうが、これだけ山が荒れていると移動するだけでも苦労する。結局、主な郭だけを往復しただけになってしまう。
金輪寺まで引き返して、遅めの昼飯を食べる。境内の紅葉が奇麗に色付き、コンビニの弁当でもちょっとした紅葉狩りを楽しめた。中でも日の照り具合の関係か、一本の紅葉の木の中で、一方の端はまだ緑だった葉の色がだんだんと黄色くなり、反対端に至る頃には透き通るような紅色になってるものがあった。写真に撮ろうかと思ったが、その色合いを再現することが無理であることが分かっていたので、記憶に留めるだけにしておく。

この神尾山城の南々東2kmほどの桂林寺の裏山に滝ヶ峰城があるが、こちらは登り口が分からなかったということで今回はパス。推定地図だけを参考に。




一度亀山市街まで戻って、国道423号線を南下。法貴の坂道を登り、皿谷池を過ぎて500mほど行った辺りにある神社の入口付近で車を停める。ここから旧道が東の山沿いに南下しており、この旧道を5分ほど歩くと、左正面に送電線の鉄塔の建った笑路城が見えてくる。ここで東へ登る道に曲がり、5分ほ進んで下り坂になった辺りに、南へと脇道が現れるのでこれを登る。鉄塔管理用に引かれた道なので、具合は悪くない。これを10分弱登ると、本丸へと至る。


笑路城






上右:本丸下の井戸跡、下左:雑木に埋もれた看板、下右:鉄塔の脇の伝天守郭台跡

鉄塔に関する場所だけはしっかりと整備が行き届いていた。さすが関西電力である。一応発掘後に公園化しようとした形跡はあったが、看板は伸び放題になった潅木に埋もれてしまっていた。天守郭台跡と伝えられている場所には鉄塔の基礎が建ち、本丸周りの石垣は崩れ落ちてしまっている。とにかく鉄塔以外に見るものもなく、すぐに下山してしまった。


国道423号線をまた北上し、本日最後の穴太城へと向かう。

穴太城





右上:謎の五角形郭、下:穴太城全景(手前右端が神社辺り)

曽我部町穴太にある小幡神社の裏山がそうである。裏山を登り始めてすぐに、一番目の郭群に至る。長さ50mほどの範囲に土橋や堀切が良く残っており、天守台と伝えられる土盛りもあったが、城郭大系に書かれているような石段は見つからなかった。それから坂道になり、5分ほど登ると二番目の郭群に出る。やや広目で城郭大系で言う本丸の不規則な五角形の郭を中心として、長さ50mほどに平坦地が分布している。しかし一番目の郭群ほど鮮明には残っていない。そしてまた坂になって5分ほど登ると、三番目の郭群に出る。遺構はあまり残ってはおらず、Nさんは「ここはちょっと分からんねぇ」とおっしゃっていた。
日も暮れ始めたので、一旦麓まで降り、神社と川に挟まれた部分にある土塁を見に行く。現在は竹林になっている狭い場所に、高さ1mほどの土塁が二重に走っている。記述は何も無いが、川の土手や田んぼ跡というわけでは無いように思える。

これにて本日の日程をすべて終了し、Nさんに亀岡市役所の駐車場まで送って貰らい、自分の車に乗って元来た道をたどって神戸へと帰る。


今回の遠征は、Nさんが予め入念に下調べをして下さっていたので、登り口で迷うこともなく、非常にスムーズに行なうことが出来た。暇な時にでもあちこち回って登り口の確認くらいはしておいた方が良いかも知れない。

戦果

	攻撃対象	4城

	うち 棄権	0城

			4城	攻略



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