AFVを趣味に、たまにはマジで考える


AFVのスケールモデルを趣味にしながら、たまには少しマジなお話をと思った次第。(基本的に適当な人なので、マジな事を考えたとき位は残そうかな?って) そう、AFVやミリタリーに興味があったりすると、誰もが経験する感覚ではないでしょうか? 

私は残酷な人間では無いだろうか? 好戦的な人間なのか?って。         

どう考えても、ミリタリーって人殺しの道具。分かってはいるのだが格好いいと思ってしまう。  何故なんだろう?  子供の頃は、理由も節操もなく、ただ感覚だけで好きなモノを選んでいた。でもテーマは常に闘い!ウルトラマンやガンダム、恐竜からキン肉マンとどちらが強いのかどんな技、どんな性能なんてことが話題の中心。いい大人になった今は成長したかというとそうでもないらしい。身に付いたってことでは、女性の前や興味のなさそうな人には喋らないという貞操観念くらい。 ミリタリーに興味があるといえば、危険視される場合も多い(興味のない人に決して熱く語ってはいけない! 笑)。  作りながらたまに想像するのだが、例えばヨーロッパの誰かに見せればドイツ車両をみるだけで、鳥肌が立ち、ヒステリックに破壊されるじゃないだろうか?って。 実感もなければ、リアリティもないから好きなのか? もし、自分が当時の時代に生まれていたら、とてもミリタリーなんかに興味が持てなかったのだろうか。  そんな溝を何とか埋めようと、戦争映画に感情移入してみたりもしている 「プラトーン」をはじめ、「太陽の帝国」「プライベートライアン」「バンドオブブラザーズ」「戦場のピアニスト」・・と、最近の映画の描写はリアルで、その惨さ、悲惨さが大夫伝わるようになった。戦場にいけば、私なんか確実にアッパムと同じ反応だっただろう(プライベートライアンより)。戦争に行きたくない!やってはいけない!とは強く思う、でも、やっぱり相変わらずミリタリーは好きだったりする。別に考える自分がいるのは事実なのです。

アニメ界のドン、美しい映画を作る宮崎駿先生も実はミリタリーが好きな方。宮崎先生の言葉に「ミリタリーには人間の幼稚性、民族の幼稚性が色濃く反映される分野である、人間の愚かさを学ぶことになると・・。」何か答えがきれいすぎて正当化がうまいコメントでしたが、いっている意味は良く分かるような気がします。歴史を振り返れば、人間は戦争や争いの繰り返し、けれどもその当時、当時の人が決してバカだったとは思えません。ましてや、その歴史の延長の最先端な私達も、人間的に進化しているかというと疑問です。人間の本能とか、精神は今も昔も変わらないのだと思うのですよ。略奪や窃取の為に攻める戦争は、NOと言えるが、自分を守る為の戦争はどうも正当な感覚がある。本物の戦車に乗って本当の戦闘はしたくはないが、戦車自体は格好いいと思ってしまう。大きな矛盾を抱えながら生きているのが人間、人間らしい姿じゃないでしょうか? 高く美しい理想を作り出す部分もあれば、幼稚でどうしようもないダークサイドを持っている、それが人間なんだと。人間もインコンプリートなんですね。 

だから私はミリタリーと言う趣味を無理に、難しい理由をつけたり、頑張って正当化するつもりはなく、はっきりとダークサイドと認めちゃいます(笑)。人間が矛盾した生き物と認めちゃいます。  ちなみに、争いって、いつもどちらかの言い分の正当化が原因だと思います。善悪のレッテルや正当か邪道かの単純な2極化が原因。もう少し、お互いが矛盾した人間であることを認め、お互いの不完全であることを認めあい、不完全同志の妥協点を探すといった感覚を持てば、随分と争いも減るのではないでしょうかね・・・。 とにかく、成長できない幼稚性をもったまま、大人として生きていく限り、そのリスクや一般的にみられがちなイメージについては、見失いたく無いものですね。

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