From: nakamura
Date: Sat, 17 Feb 1996 18:37:53 +900
Subject: [climbing 2075] Thank you about inf. of Yatsu ,and 

京都・左京労山の中村です。

○自然との一体感
	山でこの様な感覚になるのは自分だけかと思っていたのですが、他にもこの
様な方がたくさんおられるようで、嬉しく思います。私は幼い頃からピアノを習って
いたのですが、音楽で大切なのは、音を通して自然・宇宙と一体化する事であり、こ
れが芸術のエッセンスでもあります。これは私の生き方の根底を支配していまして、
今物理の研究に携わっているのも究極的にはそうした「真理」というか、偉大なもの
に触れるためだとも言えます。(偉そうですみません。)でも物理学よりも登山の方
がそうした境地にたどり着くのは早いような気がします。
	私はいつも山にはいると感動していますが、特に感動したのは初めての冬山
で白馬へ行った時の事です。地吹雪の中アタックしていると朝日が昇り、あたり一面
モルゲンロートに染まりました。雪面付近は地吹雪で見えませんが、空は晴れており、
見えるのは雪と氷と、そして月。軽い顔面凍傷を負うくらいの烈風の中、こうした無
機質な「無生物」に囲まれて天と対峙したときに、この地球という惑星に人間という
生命をはぐくんでいる、その偉大な力に感謝するあまり、私は思わず涙ぐんでしまっ
たのです。低温とか烈風とか、過酷な状況におかれると自分を囲んでいる物(普段自
分の生命を維持してくれている環境)が意識の中から除外されて、じかに宇宙と向き
合えるのですよね。
	この話題は長くなりそうなので、ここで切り上げます。

From: nakamura
Date: Tue, 20 Feb 1996 15:12:53 +900
Subject: [climbing 2095] Yama de kando sita koto

京都・左京労山の中村 真です。

○自然との一体感の話

この様な話は私の場合自分の宗教観と切っても切れない関係にあり、ある一線を
越えると一般の方には理解不能かも知れません。
いろいろな時にいろいろ感動しているので、それらをミックスしてストーリーを
作ることにします。

1.乱雑と調和
	冬山で素晴らしい景色に一瞬息をのんだ経験は誰でもあると思います。どん
な芸術家でも無からあの景色を作るのは無理だろうと思われる、あれです。そんな時、
この景色を作っている雪の一粒一粒に想いをいたしてみます。
	雪の結晶はどれ一つとして同じ形のものは無いと言います。と言う事は目の
前に広がる広大な景色を作っている無限の結晶は、どれも不揃いの製品という事にな
ります。こうした「乱雑」な結晶一粒一粒がそれこそ好き勝手に降り積もり、その結
果この素晴らしい景色が出来上がっている。で、実際に見てみれば解りますが、一点
の文句の付けようも無いほど完全に調和した美を作り出しているのです。正に神業じ
ゃあないですか。もちろん水の分子が集まってあのような結晶の形になる事すら驚き
なのですが、それにも増して、このスケールの大きな芸術作品に、私は畏敬の念を感
じずにはいられません。
	物理法則だって、個々の素粒子の振る舞いは単に確率でしか表せないにもか
かわらず、それらが集まると、例えば天体の運行など、きちっと数学の言葉で表され
るのです。いつ日食が起きるか、今度ハレー彗星が来るのはいつか、ちゃんと計算で
きる。こうした乱雑をもとにした調和、ここに自然を支配する大きな力を感じてしま
うのです。

2.音楽と山と
	私は大学の頃までピアノを習っていました。ピアノで最も大切なのは自分の
出した「音を聴く」事です。腕の力を抜き、心を無にして、空中に浮いている音を聴
きます。音を出していない時は「無の音」を聴きます。そして次に出そうとしている
音を前もって「聴き」ます。こうしているとだんだん空間と一体化してきます。その
うちピアノの脇の植木鉢の植物の「寝息」を聴くようになります。植木鉢の次は窓の
外の街路樹、天空で輝く月、こういったものと一体化していく訳です。そしてこれら
と一緒に音楽を作り出していくのです。
	こんな調子で都会を出て、山の中にぽつんと入り込んだとします。もう、そ
こら中の生き物、木々や岩、雪、空、星、こういったものの「旋律」が聞こえてきま
す。そして全てがオーケストラとなって見事なシンフォニーを奏でているのがわかり
ます。登山を初めて間もない頃、紅葉の唐沢へ入った時には、このシンフォニーに本
当に酔いしれました。

3.冷酷と暖かさ
	3月に涸沢岳西尾根に行った時の事、凍てつく尾根でテントを張っていると
月の光が尾根を照らしていました。まだ経験の浅かった私にとってはあそこでさえ人
間の生命を拒絶するかの様な冷酷な場所に感じていました。こんなに寒くて危険で雪
と氷しかなくて、こんな所で自分を「生かして」くれている力って何なのだろう、と
思ったとき、月の光が目に入りました。遥か彼方から見守っているような、冷酷かつ
暖かい光。うまく言えませんが、人間として非常に謙虚な気分にさせられました。

4.人間の悲しさ
	大学時代、8月と3月に知床半島を訪れたことがあります。夏のあの背丈を
越える巨大なハイマツの薮こぎ、1000mほどの稜線に咲き乱れる高山植物、冬の
烈風、流氷(余談だが溶かして飲んでも塩辛くない)、エゾシカの群、こうしたもの
で「知床」という自然を満喫しました。さて、半島の稜線からは、本当に間近に北方
領土が見えます。双眼鏡を持ってくれば向こうの家まで見えるのでは、と思うくらい
すぐそこです。そして島の稜線に目をやれば、何の事はない、ここと同じ手つかずの
大自然があるのです。きっと同じ高山植物が咲き、冬は流氷が押し寄せ、稜線には雪
が積もる。自然にとって向こうとこちらの間の海に「境界線」は全くないのです。と
てもあそこがソ連(当時はまだソ連だった)だとは信じられません。結局悲しい境界
線をひいているのは人間だけなのだ、という事を思い知らされました。

5.岩壁の花
	夏に北アの岩場を登っていて、一輪の青いきれいな高山植物を見つけた事が
あります。本当にきれいな花。でもお前、俺みたいな物好きがわざわざこんな所に来
たから良いものの、下手したら誰も美しいアンタの姿を見てくれなかったんだぜ。そ
れに今だって、1億2千万の大半はこんな所と関係ない所で暮らして居るんだ。でも
この花は人知れず岩壁の片隅で美しく咲き続けるのです。誰も見ていないのに。

	うーん。自分で書いていながら何だなあ。20代の男が書く文章か?
とにかく私の場合は「自然との一体感」的感覚は下界でも感じる事ができ、ただ山へ
入って風雪に打たれたり、素晴らしい景色に恵まれたりすると、その感覚がいっそう
強まるようです。調子に乗りすぎました。結構恥ずかしいな。また、「一体感」とい
うより、「山で感動した話」になってしまいました。とにかく物や無生物にまで奥底
の「意志」を感じ、一体化していると自然と何事にも感謝の念が湧いてきて、人間、
謙虚になれるのですよね。偉そうなこと言いました。ちょっと暇だったもので。
					京都・左京労山 中村 真


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