ここのところ、フリークライミングばかりやっており、たまには尾根歩きでも
しようと思い立ち、南アルプス南部の赤石岳から荒川三山まで従走してきまし
た。
普通なら2泊三日のコースですが、何分、しばらく尾根歩きをしていなかった
身のため、3泊4日の余裕の山行で行ってきました。
久しぶりに山歩きをした者のの山行記録ですので、山と関係ないないようも多
いですが、よかったら最後までお読みください。
1993年8月1日〜5日
8月1日 自宅〜さわら島 曇り時々晴れ
板橋の自宅を午前5時頃出発、東名経由で静岡を目指します。
静岡市内の混雑を避ける為、インターを清水で降り、裏道を畑薙ダムへと向か
います。畑薙ダム迄の道は、なかなかカーブが多く、腕のつかれる道です。
途中これといったこともなく、8時畑薙ダム着。
問題はここからです、畑薙ダム〜椹島間の林道は、本来東海パルプの持ち物で
あり、昔は各自の責任において自家用車での通行が黙認されていたのですが、
現在は禁止されているようです。自家用車での通行を諦めた場合、畑薙ダム〜
椹島間約17Kmを歩かなくては行けません。
さて、なんとか車で通れるでしょうか?
畑薙ダムからしばらく走ると、ゲートが見えてきました。立て札を見ると、
「一般車立ち入り禁止」
とあります。そんなことが書いてあるであろうことぐらい想像していた私は、
十数年前に発行した、南アルプス南部のエアリアマップを取り出しました。
実は、この地図が発行された時は、この林道のマイカー通行は黙認されており、
その証拠に、地図にも、
「本人の責任においては、通行は可」
のようなことが書かれているのです。ゲートのオジサンに通してくれと頼み込
み、もし断わられたらこの地図をつきつけて、
「何がおきても自分の責任において処理します。なんなら一筆書きます」
と言って頼み込むつもりで(まあ、無理でしょうが)ゲート脇の小屋に近付き
ました。ところが、どこを探してもゲートのおじさんの姿は無く、おまけにゲー
トが空いているではありませんか。
しめしめと思った私は、途中で見つかって叱られたら引き返す覚悟で、車を乗
り入れました。結局、さわら島まで何のお咎めもなくついてしまいました。途
中、何台か東海パルプのらしき車とすれちがったのですが、叱られるどころか、
道をゆずってくれる人までいました。
ちなみにこのゲートですが、入り口に一時停止の標識と、電車の遮断機ででき
ています。もし途中で怒られたら、
「はい、確かに一時停止しました。でも、左右を確認したら電車が来ないので、
横断しました」
とかなんとかつまらないボケをかましてやろうと思いましたが、幸か不幸かそ
んなつまらないジョークも飛ばさずに済みました。おそらく、日曜日だったの
で、釣り人の為かなにかで開けっぱなしになっていたのでしょう。
畑薙〜さわら島の林道は、当然未舗装ですが道幅は結構広く、凹凸も大きくは
ありません。私の車は旧型のブルーバードですが、ゆっくりと走れば特にこれ
といった支障はありませんでした。
畑薙〜さわら島は17〜18kmぐらいで、約1時間ほどかかりました。
途中、歩いて下山する人たちのグループといくつかすれちがいました。
皆、暑さでへばっているようでした。
9時頃さわら島着。小屋の裏に何台か止めてある車の間に、それとなく駐車し
ます。
今回の山行では、車に、テント3つ(1人用のゴアライト、2人用のダンロッ
プ、4人用のドーム)、シュラフ二つ(テンシャンのダウン、綿)、コンロ2
つ(EPI、コールマンスポーツスター)を積んできました。これは、実際に山
行で使うパッキングを、できるだけほどきたくないのと、場合に分けて使い分
けするためです。
さっそく車からダンロップと綿シュラフ、それにコールマンを下ろし、テント
張りを行ないました。ここのテント代は400円也です。
昼食をとり、ビールを飲むと、もうすることはありません。一応、家を出る時
には畑薙〜さわら島の歩きを覚悟して来たのですが、そんなこんなで時間を持
て余し気味です。車のつかれも手伝ってか、あとは寝るだけでした。
椹島の小屋、「椹島ロッジ」は、なかなか清潔感のある感じの良いところです。
ダムからのリムジンバスに乗せてもらえるのは、2食付きの宿泊客のみ、とい
うのだけはいただけませんが。
テント場は、登山口にしてはあまり広くなく、20張りがせいぜいです。でも、
水はけはなかなか良さそうだし、トイレも(みためはボロイのですが)ちゃん
としてて、臭い匂いもなく清潔な感じがしました。
ちなみに、宿泊客には風呂も有ります。
8月2日 月曜日 曇り時々晴れ のち きり 夜半より雨
今日は、いよいよ登山開始日です。
テントを撤収し、ビスケットで簡単な朝食をとった後、5時頃出発しました。
ザックに入っているもので、使ったのはコッヘルだけだったので、パッキング
がとても楽でした。テント場の他の人たちも、だいたい5〜6時ぐらいに出発
して行くようです。
小屋の前には、朝食の順番待ちで、長だの列です。
赤石岳への最初の登りは、林道脇の鉄製の階段の登りから始まります。登り切っ
た所に、林業関係者用の名札がかかっています。会社などで良く見る、出退勤
確認用のあれと同じものです。おそらく、山へ入る時と出る時に裏返すのでしょ
う。もう、何人かの名札が裏返っていました。
今日の登りは赤石小屋までです。登山開始後、しばらくはつずら折りの急登が
続きます。途中、最後は三伏峠迄行くという2人の単独行者と、3人で抜きつ
抜かれつで登って行きました。
ようやく体が登りになれてきたころ、薄日が差し始めました。谷からは気持ち
の良い風が吹いてきます。
少し傾斜が緩くなってきたころ、作業用の林道を越え、登りはまだえんえんと
続きます。
今回の山行で、始めて高度計付きの時計を買いました。あれは良いもんですね
え。高度表示の数字が次第に大きくなるのは、とても良いはげみになります。
2つ目の林道を越えてしばらく行った所で、2070mの平坦地に到着。ここ
まで、ちょうど3時間。ほぼ予定通り。エアリアマップに、林道のすぐ上に2
027の三角点のある平坦地が書かれてますが、あれは間違いじゃないかとお
もいます。
普通赤石〜荒川三山を縦走する時は、千枚岳から入るパターンが多いですが、
今回は逆を行きます。これは、仮に途中でへばっても、赤石岳だけは登ってお
きたかったからです。それと、このコースは普通2泊3日で行きますが、今回
は3泊4日の日程で行きました。従って、1日の歩きは、せいぜい5時間です。
2070からやや傾斜のゆるくなった大倉尾根を歩くこと約2時間で、赤石小
屋に着きました。さすが皇太子の登った後だけあって、小屋は、とていもきれ
なものが新築されていました。地図には水場まで下り5分、登り15分とあり
ますが、実際は、蛇口からポンプで汲み上げた水が簡単に手に入ります。しか
もタダです。小屋の横には、屋根より高い展望台があります。
全く、皇太子様様です。
テント場に一番のりした私は、さっそく良い場所を探し、テントを張りました。
しかし、この場所が翌日悲劇を生むとは、、、、
2時ころ迄見えていた赤石山頂は、次第にガスの中に隠れるようになり、荒天
の兆しが見え出しました。
8月3日 雨、雨、雨、雨、
今日は、赤石小屋から荒川小屋までです。
昨夜、夜半から降り始めた雨は、夜中にはその激しさを増し、テントに叩きつ
けるように降り続いています。雨の音で何度も起こされ、結局3時半には起き
てしまいました。
起きてみると、シュラフがびちゃびちゃになっているのに気付きました。テン
トの一部も、なんだか床がぷかぷかしています。どうも、テントの床下が水溜
りになってしまったようです。
4時を回り、回りが白み始めた頃、テントから出てみるとやはりテントの回り
は水溜りだらけになっていました。あわてて、地面に溝をほり、水を逃したの
ですが、時すでに遅し、テントの中の一部はすでにぐちゃぐちゃ状態です。
気をとり直して、パッキングを行ない、簡単な朝食を済ませて5時出発。一路
富士見平を目指します。
今回、ゴアテックスのテントを新調し、始めて使いました。フライを使わない
であれだけの快適さを保てるのには、目を見張るものがあります。畳んでも、
ほとんど水を吸っていないため、重さもあまり変わりません。昨夜の浸水は、
買った時の防水液で、きちんと四隅の防水を行なっていなかったためのようで
す。
富士見平に出るまでは、ほとんど樹林帯の中です。小屋から約30分程で富士
見平に到着。周囲はきりのなかで、展望は全くありません。富士見平一帯は、
はい松が茂っています。
ここから一旦小さな按部に下がり、いよいよ赤石岳への登りに入ります。地図
上にある水場は一箇所だけではなく、3〜4箇所ぐらいに分かれています。中
には、滝のように流れている所もありました。まあ、雨のせいでしょうが。
赤石岳への登りは、最初カールの中の凹状の部分を登り、途中から尾根状の登
りに移ります。小屋から2時間ほどで、山頂近くのコルに到着。展望ゼロ。荷
物をはい松の影に置き、頂上を目指します。15分程で頂上に到着、展望ゼロ。
近くにあるはずの避難小屋さえ見えません。すぐにコルまで引き返し大聖寺平
へ向かいます。きりが深く見通しが悪いのですが、道を示すペンキがしっかり
とついているため、迷うことはありません。これもおそらく皇太子殿のおかげ
でしょう。
いったんやんだ雨が、大聖寺平に着く頃、又降り出してきました。そこで、休
むのはやめ、そのまま荒川小屋を目指します。小屋へは尾根の中腹をトラバー
スするため、風が当たらないのが助かります。
途中から樹林帯に入り、10時小屋到着。
荒川小屋は赤石小屋と違い、古いまんまです。でも、水がポンプで引いてあり、
蛇口からとり出せます。
テント場は水はけがよさそうで、昨夜のようなことは無さそうです。
ビール1本600円は痛かったですが、誘惑に勝つことはできませんでした。
明日は荒川三山を越えて千枚です。
8月4日 水曜日 曇り後雨
今日は、荒川小屋から千枚小屋までです。
昨日の雨は夜半でやみ、少し曇っているとはいえ、今朝は富士山まで見通すこ
とができます。4時に起きましたが、隣に張っている「早稲田山岳会」と書か
れたテントのひとたちは、もうすっかり出発の準備ができあがっているようで
す。
荒川小屋から、荒川三山への登り口は、小屋のすぐ脇から始まります。
簡単に朝食を済ませて5時出発。小屋から少し歩き始めると、すぐに樹林帯を
抜け、道の両脇が少し岩っぽくなってきました。
どのくらい歩いた後でしょうか、道の両脇に高山植物が目立つようになってき
ました。始めのうちは大した量ではなかったのですが、登り進むに従い、花の
種類や量がどんどん増えていきます。そのうち、お花畑の中を歩いているよう
な錯覚におちいるぐらいの量になってしまいました。
高山植物というと、「コマクサ」ぐらいしか知らないのが残念でなりません。
あらゆる種類の花が咲き誇っています。
お花畑がつきるころ、道は次第にトラバースぎみになり、やがて前岳のそばの
コルに着きました。「前岳」は、荒川三山に入れるにはちょっとチンケな感じ
がしませんか? なんとなく、「荒川三山」の、「三山」の名称にこだわるあ
まり、強引に仲間に入れたような気がします。
前岳から中岳に至る稜線は小さいピークが連なり、少しですが北アルプスを思
い起こさせます。
中岳を越えた、すぐそばにある避難小屋は、とても避難小屋とは思えないほど
りっぱな作りをした、二階だての建物です。これは、あとで千枚小屋で聞いた
話しですが、中岳の避難小屋に居ると、午前4字頃高山裏の小屋番のおにいさ
んが、料金(確か2000円)を徴収に来るそうです。
朝の曇り空は少しずつ好天に向かっているようです。少しがれている登りを終
えると、やっと悪沢岳の山頂に着きました。荒川三山の中では、この悪沢岳が
最も「山」らしさを持っていると思います。振り返ると、先ほどまでいた中岳
の避難小屋を、遠くの方に見ることができます。
でも、どうしても赤石岳の山頂だけが、曇の中です。30分待ちましたがとう
とう山頂は姿をあらわしてくれませんでした。
悪沢岳から千枚岳に進むに従い、天気が急速に悪化して行きます。最初は顔に
なんとなく霧がまとわりつくという感じがするだけだったのですが、千枚岳を
過ぎる頃には、完全に雨に変わっていました。
千枚岳から千枚小屋までは、わずか30分程度なのですが、私はここで危うく
道を見失いそうになりました。悪沢岳から千枚を越えた後、本来は千枚の頂上
で、ほぼ90度に右へ曲がらなければいけなかったのですが、誤って、そのま
ま真直に進んでしまったのです。頂上付近は踏み跡だらけで、おまけに流水の
跡もあるため間違ってしまったのでしょう。
千枚の頂上から少し下った所で、二軒小屋への道と分かれしばらくすると、樹
林帯に入ります。
この辺も、少しですが高山植物がきれいでした。
千枚小屋につく頃には、雨も本降りになり、とてもテントで寝るという気分で
はなくなってしまいました。念の為、テント場に行ってみたのですが、水はけ
も余り良さそうでなかった為、最後の夜は小屋で素泊まりすることにしました。
千枚小屋も、赤石小屋に負けないぐらい立派な作りです。これも、おそらく皇
太子殿のおかげでしょう。
千枚小屋の場合、2食付きで泊まる人は新館で泊まれるのですが、素泊まりの
人は隣の冬期小屋で寝ることになっているそうです。最初はなんだか差別され
ている様でいやだったのですが、実際に行ってみると、冬期小屋の方が居心地
は良いようでした。実際、常連で来ている人がいたのですが、2食付きなのに、
わざわざ冬期小屋に移ってきたくらいです。
冬期小屋は40人以上は泊まれそうでしたが、この日は4人だけ、少し寒かっ
たですが、おいてあった薪を使いたいほうだい使い、快適な一夜を過ごしまし
た。
御存じの方もいらっしゃるとは思いますが、大変残念なことに、千枚小屋はこ
の年の秋に全焼してしまいました。居心地の良い冬期小屋も今はありません。
火の始末にはくれぐれも気を付けましょう。
明日は最終日です。はたして椹島の小屋裏に止めた車は、無事でしょうか。
8月5日 木曜日 晴れ 時々 曇り
「富士山が良く見えるゾウ」
という声で起こされました。窓の外を見ると、とても良く晴れ渡っています。
そういえば、昨夜、「星が見えてきた」と言うのを、誰かが言っているのを聞
いたような気がします。
「最終日になって晴れてくるなんて、ついてないなあ」
などとも考えましたが、最後の日まで雨に降られるよりましだ、と、気をとり
直し、荷物の整理を始めました。
最後の日の朝食ぐらい、少し贅沢をしようと思い、昨夜のうちに小屋にお弁当
を用意してもらっておきました。
ちなみに、この小屋の素泊まり料金は、寝具無しで3000円。寝具は100
0円です。朝のお弁当は1000円と、他の小屋とあまり変わりませんが、2
食付きの一泊料金は、6500円と、かなり格安です。
小屋からの下りは、最初2〜3回のつずらおりのあと、さわら島まで延々とだ
らだらとした下りが続く道です。
途中、駒鳥池のそばで朝食をとりました。池は、道から少し外れた所にあり、
凹地の底の方にあるようです。途中まで行ってみましたが、雨の後なので、蛭
に食われたらいやだったので、やめて引き返しました。
駒鳥池のあたりから、しばらく下ると、とても見晴らしの良くなる所がありま
す。振り返ると、今まで越えてきた、赤石岳〜千枚岳が一望することができま
した。稜線上には全く雲はないのですが、赤石岳の山頂付近だけは、今日も霧
の中のようです。
昨日はこの辺り一帯は、一日中雨だったようですが。確か20人ぐらいの人が
この道を登って来たはずです。たとえ雨の中でも下りならそれほど大変ではな
いでしょうが、このだらだら登りを雨の中、延々と登るのは、さぞ大変だった
でしょう。聞くところによると、7時間ぐらいかかったとか。
道は、小石下、清水平と、緩い勾配でたんたんと下って行きます。地図上では、
何度か林道を渡る所があるように出ていますが、実際は2度渡るだけです。ど
うも、登山道を少し変更したようです。
水場のある清水平は樹林帯の中です。最初、余力があったら、千枚小屋ではな
く、清水平で泊まろうと思っていました。でも、やめて正解だったようです。
張れるテントの数はせいぜい2〜3張りといったところでしょうか。雰囲気も
陰気だし、じめっとした感じです。
清水平を過ぎると、幹の太い木も増え、下界に近付いてきた感じがします。
この辺りの木は、明治時代に伐採された後植林されたものと、それ以前からは
えているものが交じりあって生えているそうです。
そうこうしているうちに、二軒小屋に通じる林道に近付いてきました。林道に
出る手前に、沢を渡るつり橋があります。それほど長くはなく、高さもたいし
てないのですがのですが、下を流れる青青とした水を見ながら渡ると、ちょっ
としたスリルが感じられます。林道に出たところにある「滝見橋」から見れる
滝は、下山道のすぐわきを落ちて行きます。
林道を5分も歩けばもう椹島です。心配していた車も、別にこれといった
異常もなく無事でした。
一休みしたあと畑薙ダムへ向かい車を飛ばします。沼平のゲートも無事通過。
ダムサイトでちょっと休憩。
畑薙ダムのダムサイトを歩いていると、シャワールームを発見しました。バス
停のさらにおくの方にあります。誰でも無料で使えるようです。おそらく、林
道を歩いてきた人の為のサービスなのでしょう。まだできたばかりのようで、
建物は新しく、お湯も出るようです。
帰りは、静岡経由ではなく、梅が島温泉から安部峠を通って身延に出ようと思っ
たのですが、これが失敗。せっかく梅が島温泉までいったのですが、峠が土砂
崩れで通行どめ。工事のおじさんになんとか頼んで通してもらおうとしたので
すが、断わられてしまいました。結局引き返し、約60kmのロス。
清水経由で身延ヘ出て、甲府経由で「休養地:廻り目平」へ向かいました。結
局、330kmもかかってしまいました。
(後年、この安倍峠を車で越えましたが、普通車では余り勧められない道です。
静岡県側は完全舗装で良い道なのですが、峠を越えるとひどいダートの上、傾
斜のかなり急な道が延々と続きます。)
今回の山行では、夕飯はほとんどヒートパックのカレーとα米ですませました。
立方体のビニールに、乾燥剤といっしょに入っているあれです。あのα米は、
なかなかおいしいです、へたに自分でたくよりも、おいしくできあがります。
ただ、量が1.5合と多めなのが難点ですが。
で、何がいいたいかというと、夕飯は前述の通りで、昼食はスパゲティーが一
回と、あとはパンとかビスケット。スープも結構飲みました。又、水筒の水は
全て一度沸騰させてから入れています。4日で5リッターぐらいかなあ。雨の
日若干ですが乾燥用にコンロを使いました。でも、これだけ使っても、新品
のEPIだと、寒冷地用一本でちょうどといった感じです。
3泊4日の夏山だと、こんなもんでたりそうですね。
それと、今回驚いたのは、荷物の軽さです。最近の装備の軽量化には、目を見
張るものがあります。昨年までは同じぐらいの山行では、60リットルのザッ
クを使っていたのですが、今回は40リットルと、大型デイパックですんでし
まいました。重さも、水なしで14kg。キスリングで30kg以上しょって縦走
した高校生時代から考えると夢のようです。
今度は聖へ行こうと思っています。この山域が気にいってしまいました。南ア
ルプスの南部には、北アルプスや、南アルプスの北部ではもうなくなってしまっ
た、素朴さがまだ残っています。登山者も、昨日今日山歩きを始めたのではな
く、昔から登っている感じの良い人たちばかりです。
最後まで読んでいただいたかた、どうもありがとうございました。
(96年7月現在、畑薙ダムへ向かう道は、ダム前数Kmの所で、土砂崩れの
ため不通です。最終的にはトンネルにするそうですが、今のところ開通のめど
はたっていません。)
大浦
[Copyright (c) 1996 by Koichi Oura]