1.年月日 1994年12月29日(木)夜〜1995年1月4日(水)
2.山域山名 北アルプス・剣岳・早月尾根
3.メンバー CL牧野、SL大庭、SL若原、中島、ブノワ、大村、堂山
4.コースタイム
12/29 上野21:55
12/30 5:33滑川−6:33上市−伊折7:35−8:35避難小屋前−10:15馬場島10:55−
11:50標高970m地点−12:55標高1150m地点−14:10標高1450m地点−
15:15(標高1620m:テント場)
16:30 テント設営終了
20:30 就寝
12/31 5:00 起床
(標高1620m地点:テント場)8:45−9:35標高1900m地点−
10:45標高2100m地点−11:30早月小屋(2200m)
12:45 テント設営終了
20:00 就寝
1/1 6:00起床
BC9:15−12:00標高2700m地点12:20−13:40BC
20:30 就寝
1/2 3:00起床
BC6:15−8:30エボシ岩直下(昨日の最終地点)−9:00エボシ岩通過−
10:40シシ頭通過−11:15剣岳(2998m)12:15−15:15BC
1/3 3:30起床
早月小屋付近7:15−9:20馬場島−11:45伊折12:15−
富山21:29−(1/4)5:31上野
5.交通機関
旭タクシー(上市〜伊折) Tel. 72-0456 (代)
上市タクシー
6.報告
1994年12月29日(木) 晴れ
富山への交通手段は、(1)夜行バス、(2)夜行急行「能登」、(3)臨時夜行急行
「加賀」、(4)上越新幹線+在来線、(5)航空路などが考えられるが、時間の
効率的な利用とアクセスの良さから夜行急行を予約することにしたが、金額、
リクライニングシート等を総合的に判断すると高速夜行バスが有利のようである。
今回は中島さんが、臨時急行「加賀」の指定席(禁煙席)を予約してくれたため
順番待ちの必要がない。 入線時刻の少し前に上野駅へ着くように自宅を
出発するが途中の連絡が良く、予定より早く到着する。 プラットホームは寒い
ので連絡橋で時間を潰してホームへ降りると大庭さんは既に並んでいた。
暫くして牧野さんが来る。 二人はビール等を買い込んでいる。 構内放送で
宇都宮線が人身事故のために遅延する旨、告げている。 「加賀」はほぼ定刻通り
出発するが、前の駅に電車が支えており、遅々として進まない。
大宮駅への到着は1時間以上遅れるが、ブノワ、大村、堂山さんの三名が乗り
込んできて安堵する。 ブノワさんがピッケルを忘れてきており今後の行動に
ついて牧野、大庭、若原で検討する。 電車が1時間遅れることがわかっていれば
取りに帰ることができたのであるが…。 また、後続の急行「能登」で追いかける
こともできたのだが…。 電車の遅れを気にしながらも眠りにつく。
1994年12月30日(金) 曇り後雪
「入善」で目覚めると出発時の遅れを取り戻して予定通りの時間で進行している
ようである。 「魚津」で全員を起こし「滑川」で慌ただしく下車する。
滑川駅は線路を挟んで海側と山側に各々待合室がある。 富山地方鉄道側には
狭い待合室のみだけである。 事前に時刻表で調べた始発より早い電車があるので
その電車で上市に向かう。 その結果、富山を経由して行くより早く上市に到着
する。 上市は大きな駅であり、コインロッカーに不要品をまとめて預ける。
ストーブのある待合室で朝食を摂る。 タクシーは伊折止まりであることを聞いた
ので、伊折で下車したらすぐ歩き出せるように身支度を整えて2台の小型タクシーに
分乗して伊折まで入る。 途中、山越えのところが凍結しており車のテールを振り
ながら登っていく。
伊折には酒屋風の店と数戸の民家があるだけである。 伊折〜馬場島の道路は
12月1日から通行止めになっている。 蝸牛山岳会など2〜3パーティーと前後
しながら歩を進める。 伊折〜馬場島は雪上車のトレースを歩くがあまり歩き
易くない道が約9Km続く。 途中、道路標識や発電所のための避難小屋が
あるので距離を確認しながら進む。 正面に早月尾根を望みながら歩く。
馬場島の山岳救助隊詰所で事前に確認を受けている登山計画書を提示して
「ヤマタン」を人数分借用する。 小さなペンダントぐらいの大きさであり、
着けていても違和感がない。 馬場島には朝日新聞社の記者が詰めている。
我々は食事を摂り出発する。
急登で松尾平の下ノ平へ出る。 下ノ平から右の尾根の背を経由するトレースが
あったので、これに入ったが急登や下りがあり、消耗する。 結果的には下りに
通った夏道通しの起伏の少ないトレースの方が良かった。 数百年を経過した
杉の大樹を見ながら中ノ平、上ノ平と高度を上げて行く。 他のパーティーは
幕営適地を捜して整地を始めている。
我々も幕営したいのだが登っていく途中の幕営適地は既に他のパーティーに
押さえられている。 1本立てていると、暁山岳会の方が幕営適地を捜しに
先行してくるが見当たらず、下で張ることにしたらしい。
1620m付近で幕営適地の第一候補が見つかった。 念のために50m位上まで捜して
みたが第一候補地ほど良い場所は見当たらないのでここで張ることにする。 雪を
踏み固めて2張り並べて張ることにする。 雪から水を作り早々に食事の支度に
入る。 馬場島、上市から富山の夜景がきれいである。
牧野さんの個人装備である液晶テレビで気象情報を見ると悪天が予想されるため
翌日は早月小屋付近まで入り、引き返すにしても来年以降につなげられるように
少しでも先に足跡を残すことにする。 夜行による疲れも加わって早々に眠りに
つく。
1994年12月31日(土) 雪
今日は、早月小屋付近まで入る予定なので9時出発とのんびりしている。
テントを畳む準備をしていると暁山岳会の大竹さんが通りかかり、声を掛ける。
早月小屋付近までは2ピッチ半程度である。 早月小屋の赤谷側、剣岳寄りに
幕営地を整地する。 斜面を雛壇にして周りにブロックを積む。
トイレの建物は入口が掘り出されていて、使用できる状態になっている。
早月小屋には、救助隊が常駐しているが、営業しており、堂山さんがビールを
買い込んでくる。
雪が降り続いているので交代でテント周りを除雪することにするが、まず我々の
テント(堂山、中島、若原)で除雪当番を担当する。 21:00頃、大庭、大村さんが
除雪してくれた。 最初の除雪者である堂山さんが様子を見ていると0:00頃除雪の
必要が出てきたので、このままの状態で降り続けば3時間毎の除雪となるので次は
3:00、6:00とする。 堂山、中島、若原の順番で除雪した。
1995年 1月 1日(日)雪
元日は除雪で明けた。悪天が予想されたので、6:00起床とし、9:30頃出発とする。
当初から登頂はあきらめている。 ピッケルを忘れてきたブノワさんはテント
キーパーとして残り、他の6名が行けるところまで行くことにする。 数パーティー
が6:30頃に出発した。 遅まきながら、我々もわかんを履いて出発する。 最初の
内は、トレースが残っているため、ラッセルはほとんどない。 ただ、吹雪いて
おり、ホワイトアウトの状態ではトレースも見えなくなり、トレースも徐々に
かき消されてくる。 2500m付近でアイゼンにはきかえる。 クラストした雪面上
に新雪が積もっており、アイゼンが効き難くなっている箇所もあり、苦労する。
2600mのピークに青穂クラブのテントがある。 彼らは行動を中止していた。
この先は悪く、降りしきる雪のためトレースはほとんど見えなくなっていた。
赤旗に導かれて左へ行くと高さ2m位の空洞が出来ている上を覆うように雪面が
続いている。 危うく、踏み抜きそうになるが、これは雪庇ではなかった。
赤旗付近に戻ってきても空洞が多いので1本手前の赤旗に戻って先が良く見えない
右の斜面に入ろうとするがかなり深い。 迷っていると吹雪の中から先行
パーティーが引き返してくるのが見えたのでこの深いラッセルを繰り返して先行
パーティーに合流する。 この先の状況を聞いてなおも進むと、暁山岳会が引き
返してくるのに出会った。 我々もこの先、少し行ったところ(エボシ岩直下)で
簡単な食事を摂り、トレースが消える前に引き返すことにした。
引き返すのも容易でない箇所もあった。
テントまで引き返すと、ブノワさんが雪洞を掘っていた。 かなり大きな雪洞で
ある。 計画書では今日、アタックして、明日下山になっていた。 明日の天気も
はっきりしないので、暗黙の内に、明日下山の意識が支配的になりつつあった。
降雪量は少なくなってきたが明日下山でのんびりムードである。 今夜は、大庭、
大村、ブノワさんで除雪することにする。
牧野さんの液晶テレビで気象情報を見ると明日は天気が回復し、アタックの
可能性が出てきたため、明日アタックすることになる。
1/2の夜から予備食に入るための検討をするがアルファ米も予定より少し余り
気味なので食い延ばしは行わないで1/2の朝食は予定量通り食べることにする。
明日下山予定でのんびりムードになっていたが、気持ちの切り替えが必要になる。
明日使うテルモス、ポリタンを満杯にし、明朝の食事用の水を確保して眠りにつく。
1995年 1月 2日(月) 晴れ
夜半に小降りになり、やがて止んだために前夜の除雪はしなくて済んだようだ。
3:00に起床するが、出発は6:15になってしまう。 2パーティーが先行する。
10分程度で追いついてしまう。 前日の積雪により、昨日のラッセルは消えている。
急登でのラッセルは非常に苦しい。 途中から先行パーティーが脱落し始めたので
トップに出る。 交代しながらラッセルを続ける。 周りでは雷鳥が遊んでいる
ように見えるがテリトリーに入り込んでいる我々に対する威嚇なのだろうか。
傾斜が増してきたのでわかんをデポしてアイゼンを付け、先行パーティーを
追いかける。 「わらじの仲間」パーティーが強くトップをつとめている。
烏帽子岩付近になるとルートファインディングも重要になってくる。
岩の乗り越え方で効率が変わってくる。 この辺りで深いラッセルは頭以上になる。
ピッケルで掻き落とし膝で固め、足で踏み込むが、更に潜ってしまう。
苦しいラッセルを続けていると、シシ頭に着く。
稜線通しにトレースをつけ、ピークからクライムダウンをする。 少し悪いので
ザイルを出していると剣岳から下降してきているパーティーと合流する。 我々の
後からきていたパーティーは赤谷側を巻いてきて先行する。 ここで若干遅れを
取ったが、カニのハサミを越えて別山尾根と合流する。 頂上を牧野さんに
譲ろうとするが、少し歩いただけで、若い順番にオーダーを組み直してくれて
そのまま頂上に着く。
長次郎谷側に下ると凪いで照り返しで非常に暖かい。 頂上では、一片の雲も
なく360度のパノラマが楽しめた。
遠くは、槍ヶ岳、穂高岳、富士山、八ヶ岳、頚城山塊などが望めた。
思い思いの背景で写真を撮り、食事をする。 頂上でタップリ休憩して下山に
かかる。 登るのに苦労したところが多いので下りが思いやられる。
下山を始めたところで暁山岳会の大竹さんに出会う。 カニのハサミでザイルを
出し、順番待ちをする。 この後も、数カ所でザイルを使用するが牧野、大庭、
若原でローテーションしながら早めにザイルを降ろしたため効率的に下山できる。
2700mの幕営跡で休憩する。 ここからはもう安心である。 今日の凱歌に足どり
軽く下山する。 途中、牧野さんが先行して写真を撮る。
堂山さんが登頂成功の乾杯用ビールを小屋へ買い出しに行く。
1時間遅れて、暁山岳会の大竹さんがキャンプへ帰ってくる。 お互いの登頂を
ねぎらう。 当初の目的を果たしたため、テントの中は和気あいあいである。
1995年 1月 3日(火) 曇り後雨 … 馬場島から富山にて
3:30に起床し、出発は7:35である。 3パーティーが先行して下山する。
トレースがしっかりついており、楽に下る。 雲が多いものの富山湾から能登半島
の一部が望まれる。 富山湾には毛勝三山の猫又山の影が映っており「影富士」の
ようである。 影から虹のような光の帯が出ており幻想的である。
初日に幕営した地点も軽快に通過するが、幕営の跡形もなくなっている。
その下で休憩を取る。 松尾平は夏道通しにトレースが付けられている。 馬場島
への急な下りはアイゼンに雪が付着し団子状になる。 山岳救助隊詰所で
ヤマタンを集めて返却し、下山届けを出す。 150m位下の建物の2階が食堂に
なっており(営業はしていないようだが従業員がいた)、公衆電話を借用し
タクシーを伊折まで呼ぶことにする。 タクシーは12:15に来てもらうことに
する。 アイゼンを外し、ヤッケ、スパッツを脱いで身軽になる。
雪上車のトレースを進むが歩きにくい。 初日に1本たてた発電所のための避難
小屋の前で休憩する。 予想より早く伊折へ着きそうだなと、話していたら伊折の
手前にある墓地へ到着してしまった。 伊折には11:45頃に着いてしまった。
行動しなければ寒くなるので各々着込む。 他のパーティーは上市タクシーに
乗り込んでいるので同じ会社ならば無線で急いでもらおうと思ったがあいにく
我々は旭タクシーである。 話しながら時間をつぶしてタクシーが来るのを待つ。
タクシーが来たので分乗して上市を目指す。 山越えの道は凍結しており、
来るときと同様にテールを振りながら越えていく。 運転手の話によると上市の
タクシー会社は1/1だけ営業を休止しているとのことである。 過去1/1に大雪が
あり営業できなかったので1/1を休業日としているとのことである。
タクシーの運転手は突然饒舌になり、大雪の1/1に上市に降り立った登山者が
休業のためタクシーをあきらめて徒歩で馬場島を目指し数日かけて、今はない
馬場島荘へたどり着き、タクシーで上市へ下ったとの話しなどをしてくれた。
タクシーから剣岳を振り返りながら下っていく。
入山日には気付かなかったが、上市の駅前から正面に剣岳が見えている。
駅の近くの銭湯に入りに行くために待合室にザックをまとめておく。
私は、先に普通電車で富山を目指す。 各駅停車の旅も趣が深いものである。
富山駅で帰る方法を検討する。 バスを調べると、富山から出発してなく且つ
満席である。 次に夜行を調べると能登、加賀ともに満席である。 新幹線を
使うほどではないので全員、急行の加賀で帰ることにする。 それまで食事を
することにして、観光案内所で適当な所を紹介してもらおうと思ったが閉まって
いた。 旅慣れている風の中島さんがタクシー案内所で調べてきた。
ミューズビルの1階にある「まつわ」で食事をすることにする。 海のものの
料理を出して貰い、食事する。 手崎宅へ電話をするが同窓会へ行っており連絡が
取れない。 皆、残念な面もちである。 暫くすると、別の山岳会の団体が入って
くる。 彼らは槍ガ岳に登って高山線で富山へ出てきたとのことである。 まだ
時間があるので、あとは個人行動にする。 我々は本屋、喫茶店で時間をつぶし
待ち合わせ場所へ行く。
入線時刻の20分前にホームで並ぶことにする。 ホームに人影はなく、指定場所
に並ぶ。 暫くして暁山岳会のメンバーがやってくる。 我々は禁煙車に並ぶ。
入線した加賀は空いており、楽に座ることが出来た。 上野までも、私の隣の席は
空いたままだった。
1995年 1月 4日(水) 雨 … 川崎にて
疲れからいつのまにか眠ってしまい、気付いたら高崎だった。
大宮でブノワ、大村、堂山さんの三名が下車するのを見送った。
上野で乗り換え秋葉原で牧野さん、東京で大庭さん、川崎で中島さん、若原が
下車し、帰途についた。 私は雨が降っているので徒歩の帰宅はあきらめて、
川崎駅前から始発のバス(6時34分)で帰宅した。
7.費用
食糧費 35,996円 4泊×7人=28泊 1,706円/人泊
燃料費 9,221 EPIガス(3人テント) 1.5缶/泊
装備費 2,553 ローソク (3人テント) 0.5本/泊
合計 47,770
内訳
(1) 食糧(堂山購入) 13,000
(2) 食糧(大村購入) 1,000
(3) EPIガス(牧野購入) 1,800
(4) 小計 20,890
スペアフレーム 850
補強用張綱 1,120
補修パイプ(2本,@300) 600
自在 40
ローソク(6本,@200) 1,200
ジフィーズ(35個,@380) 13,300
ジフィーズ( 2個,@300) 600
アルファ米(14個,@260) 3,640
5%引き -1,068
消費税 608
(5) 小計 11,080
EPIガス(16個,@420) 6,720
アルファ米(20個,@260) 5,200
9.75%引き -1,162
消費税 322
諸経費
( 1) 普通乗車券(東京都区内〜滑川) 6,180円
( 2) 急行指定席券(急行+指定席、上野〜滑川) 1,740
( 3) 普通乗車券(滑川〜上市) 370
( 4) 小型タクシー(上市駅〜伊折) 4,090
( 5) ビール (350ml、早月小屋) 500
( 6) ビール (500ml、早月小屋) 700
( 7) ジュース( 早月小屋) 300
( 8) 小型タクシー(伊折〜上市駅) 4,190
( 9) 普通乗車券(上市〜電鉄富山) 520
(10) 特急券 (上市〜電鉄富山) 80
(11) 普通乗車券(富山〜東京都区内) 6,490
(12) 急行券 (富山〜上野) 1,240
(13) 銭湯 300
(14) 日本海の活魚「まつわ」での飲食 5,500
以 上
[Copyright (c) 1995 by Youbun Wakahara]