竹子島





米軍の航空写真(左右:R390-9、国土地理院)



米軍のフラックマップには、竹ノ子島の中央部付近に照空分隊のマークが描かれているものの、戦後の航空写真からはそれらしい痕跡は確認できなかった。

また終戦直前には、海軍の佐世保鎮守府から提供された24門の7cm高射砲で編制された集成中隊の一つが竹ノ子島付近に配置されていたらしいのだが、明確な場所は判別できなかった。渡瀬という地名の資料[1][2]もあり、その付近の航空写真から見るに、市立玄洋公民館の位置かと思われる。




日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和19年11月 高射砲第132連隊 照空第17中隊 照空分隊
昭和20年8月 高射砲第132連隊 照空第17中隊 照空分隊
高射砲第132連隊 集成高射砲第12中隊



[1] 第56軍国土決戦史資料 昭和20年(防衛省戦史資料室、本土 西部 35)
[2] 北九州要地高射砲部隊配備要図(防衛省戦史資料室、本土 配備図 88)