稲佐山



戦後の米軍の航空写真(R172-46、国土地理院)


戦後の米軍の航空写真(R172-73、国土地理院)


戦後の米軍の航空写真(USB15-R16-127、国会図書館)


戦後の米軍の航空写真(USB15-R16-129、国会図書館)


戦後の米軍の航空写真(USB15-R16-130、国会図書館)


左:戦中の米軍の航空写真(USB11-R2-481、国土地理院)




左:砲座があったドッグラン、右:同左の北下にある平坦地


左:西の鉢巻山展望台から砲座のあった付近を望む、右:鉢巻山展望台、それっぽい石垣が残る


長崎市街の西にそびえる稲佐山には、日中戦争時に一度、緊急戦備で7cm高射砲が置かれていた。これは昭和13年10月に解除されると、撤去されたようである。それから太平洋戦争が勃発すると、星取山と同じく高射砲が配備された。しかし昭和20年5月頃に撤去され、他の地域へと転用された。また海軍の防空砲台も昭和18年4月まで併設されていたようだが、海軍の陣地の場所は不明である。
航空写真を見ると、公園内のドックラン付近に砲座が写っている。また西にある鉢巻山展望台と南のテレビ塔にかけても施設や道が幾つか写っている。
証言の中で原爆投下前後に稲佐山にある分隊の事が書かれており、高射砲中隊は撤去されたが照空分隊はそのまま置かれていたのではないかと推測できる。また原爆によって施設内の建物は殆ど倒壊してしまい、倉庫しか残っていなかったとある。

現在は公園化されて遺構は殆ど残っていない。ただドックランの北裏の斜面には幾つかの当時のものと思われる平坦地が残っている。




日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和12年12月 佐世保重砲連隊 要塞防空隊 緊急戦備 7cm高射砲
昭和13年10月に緊急戦備解除
昭和16年12月 海軍: 防空砲台 8cm高角砲2、110cm探照灯1
昭和17年2月 長崎要塞防空隊 高射砲中隊
昭和17年10月 独立防空第21大隊 高射砲中隊 7cm高射砲4門
昭和18年4月 海軍: 長崎稲佐山高射砲台を皆同に移転工事完了
昭和18年8月 独立防空第21大隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
昭和19年6月 防空第134連隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
昭和20年4月 高射砲第134連隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
(5月以降、伊万里、太刀洗、宮崎等に3個高射砲中隊を転用)
米軍引渡 7cm高射砲弾742、信管600
10cm高射砲弾320