金毘羅




米軍の航空写真(左:R216-76、国土地理院、右:USB11-R2-481、国会図書館)


米軍の航空写真(左:USB15-R16-298、国会図書館、右:R172-42、国土地理院)


米軍の航空写真(USB15-R16-198、国会図書館)



長崎市街の東にそびえる金毘羅山の南方、金毘羅神社の西の288mピーク付近に高射砲陣地があった。高射戦史内の被爆体験談によると原爆投下時に直撃を受け、ここで多くの方が亡くなったそうである。
「写真が語る日本空襲」(工藤洋三・奥住喜重、現代資料出版)P.188の航空写真(8月7日撮影)があるが、これにかなり明確に写っている。4+2基の高射砲砲座や指揮所、その周辺の兵舎や弾薬庫はもとより、南に伸びる尾根上に照空陣地と機銃陣地があることもわかる。手持ちの写真で調べてみると、照空陣地は怪しいものの機銃の銃座はそれなりに写っている(USB15-R16-298)。この航空写真は国土地理院にもある写真なので、一度九州地方整備局で行かなければならない。

米軍の引渡目録では電波標定機もあるが、日本側の資料や小榊の例から、何か別の機器である可能性が高そうである。

現在は砲座の付近に展望台が作られており、砲座の幾つかは潰されてしまっているようだが、他の遺構は林の中にそのまま残っているものと思われる。
照空陣地と機銃陣地のあった尾根は大きく削られて、東は長崎東高校、南西はホテルが建てられ、更に尾根上にも鉄塔が建っているようだが、平坦部は地形として比較的良く残っているので、何らかの遺構が残っていると思われる。





日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和17年10月 独立防空第21大隊 高射砲中隊 7cm高射砲4門
昭和18年8月 独立防空第21大隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
昭和19年6月 防空第134連隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
昭和20年4月 高射砲第134連隊 高射砲中隊 7cm高射砲6門
昭和20年6月 高射砲第134連隊 高射砲第2中隊 特7cm高射砲6門
昭和20年8月 高射砲第134連隊 高射砲中隊 7cm高射砲
タ号1型1基 否(電波標定機配置表より)
米軍引渡 高射砲第134連隊 高射砲第4中隊

7cm高射砲6(砲弾2557、信管2404)
3m測距儀1、航速測定器1
高射算定具2、射撃盤?(firing plate)1
89式10cm対空監視双眼鏡1
電波標定機1
探照灯1、管制器1、発電トラック1、聴音機1

電話2
練習用砲弾188、練習用信管188
10cm高射砲代用弾231、目標弾?(objective)53、空砲129、信管231