筑紫、山家



左:米軍の航空写真(R243-26、国土地理院)


「ちくしの散歩 68.西部軍司令部跡」によると、旧筑紫小学校に高射砲陣地があったという記述がある。1939年の航空写真を見ると、既に現在の位置に小学校が建っており、この「旧」が何を示すのかが不明なのだが、この筑紫小学校の造成中に砲弾(径75mm)を幾つか掘り当てている為、航空写真の小学校の西の空き地に何かがあったのかもしれない。
昭和20年8月の配置図での高射砲第4中隊の位置は、二日市駅の北東の山の中(現在は住宅団地)で、筑紫小学校の位置には高射砲大隊もしくは地区隊司令部のマークが描かれており、こちらの可能性もある。

機関砲小隊は、昭和20年8月の配備図ではJR筑豊本線と国道386号線の交差点の南側に描かれているが、実際にどこにあったのかは不明。






日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和20年6月 高射砲第133連隊 高射砲第4中隊 新7cm高射砲6門(山家)、新設備砲未到着
機関砲第21大隊 1個小隊(98式3門)(山家)
昭和20年8月 高射砲第133連隊 高射砲第4中隊 7cm高射砲(筑紫?)
機関砲第21大隊 1個小隊(98式3門)(筑紫?)