天坪(山田) 警戒機甲



2009.5.2 探索




全体配置図


左:米軍の航空写真(R24-3-13、国土地理院)


土佐山田の北方、土讃線繁藤駅の南にある甫喜ヶ峰森林公園の山頂、標高611mの三角点周辺に、コンクリート製の建物基礎のある方形土塁とコンクリート製の円形窪地とがある。コンクリート製円形窪地は民間の防空監視哨で用いられた聴音壕のようだが、民間監視哨で建物の周りに土塁を巡らした例は聞いた事が無く、方形土塁の方は陸軍の遺構かと思われる。米軍の資料[6]にはこの付近の天坪に警戒機甲の基地があったと書かれていること、またこの付近は昭和30年頃まで天坪村であったことから、この方形土塁が警戒機甲の施設だったのではないかと思われる。
一方のコンクリート製の円形窪地だが、足摺岬でも隣接していることから民間の防空監視哨であった可能性もあるものの、他に詰め所の敷地らしい場所も無く、陸軍の施設の一部であった可能性の方が高そうである。

終戦直後の航空写真にも写っている。北西斜面に段差らしい影が写っていることから、この辺に兵舎があるかもしれない。





左:方形土塁Aの出入口を南下から、右:西面の土塁



左:方形土塁Aの西面の土塁の北側、右:出入口



左:方形土塁Aの南面の土塁の上部、右:東面の土塁



左:Aの内部、右:同左



左:Aの内部にあるコンクリート製の建物基礎の角部、アンカーボルトが残る、右:基礎、同様にボルトが残る





左:Bを東から、右:Bの東にあるL字型窪地



左:Bの三角点付近から東を望む、右:Bの北の長細い窪地



左:円形窪地Cを東から、右:円形窪地Cの内部



左:円形窪地Cの内部壁面、右:Cの周りに積まれたコンクリートの瓦礫



左:窪地Dを南上から、右:窪地Dを北下から



左:窪地Eを北西から、右:同左から方形窪地Aを見上げる



左:風車のある平坦地から山頂方向を、右:同左から高知市街を望む




風車のある平坦地から山頂へ通じる遊歩道を登ると、右手に方形土塁Aが見える。内部の広さが南北約6m、東西約7.5mで、一辺約3.5mのコンクリート製の建物基礎の残骸が残っている。基礎の所々には錆びたアンカーボルトが見受けられる。また南西角が出入口となっている。
Aの西には三角点のある平坦地Bがある。窪地や土塁の残骸で凸凹しており、何らかの施設があったと思われるものの、はっきりとはしていない。またBの西には円形窪地Cがある。内径3m弱で内面はコンクリートである。周囲にはコンクリートの瓦礫が石垣のように積まれているが、元々こうだったのか何かの残骸をこのように積んでいるだけなのかは不明である。
Cの北下の斜面には、崩落した地下壕跡らしき窪地Dがある。また東西に走る遊歩道を東に行くと、Aの北東下に窪地Eがある。明確ではないものの何らかの施設があったのではないかと思われる。



資料 終戦時の記録
[1][2] 警戒機甲 送信3、受信1(山田)
[6] 警戒機甲 3W送信機1、受信機2(天坪)








参考文献
[1] 「戦史叢書 本土防空作戦」 朝雲新聞社
[2] 「高射戦史」 下志津修親会
[3] 「陸軍対空電探現況要図」 防衛省戦史資料室(全般 053)
[4] 「第31航空情報隊等臨時編成」 防衛省戦史資料室(動員 162)
[5] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[6] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)
[7] 「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery / GHQ USAFPAC AAA Research Board / 1946.2.1」 国会図書館 憲政資料室(WOR9670-WOR9675)
[8] 「終戦時における対空警戒部隊(東北軍)、航空情報隊(北部軍)の状況」 防衛省戦史資料室(本土 全般 132)



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