高知 警戒機乙?



2011.1.29 探索



全体配置図



左:米軍の航空写真(M211-157、国土地理院)




高知付近に警戒機乙が配備されていたらしいが、正確な場所は不明。
高知市街の南にある鷲尾山の山頂が怪しいので、ここ比定地としておく。




山頂から南西方向



左:平坦地Aの円形窪地、右:同左付近から西の烏帽子山を望む



左:平坦地Aを東から、右:同左付近から平坦地Bを



左:平坦地Bを東から、右:平坦地Bの東下の平坦地



左:平坦地C、右:平坦地Cの北東付近の出入口



左:蛸壺Dその1、右:その2



左:蛸壺Dその3、右:北西下の平坦地



左:平坦地Aにある記念碑基礎、右:平坦地Aから南を望む





鷲尾山の看板によると鷲尾山山頂には中世には山城が築かれていた。また登山に来ていたおっちゃんの話によると山頂には戦前に陶芸工房があり、リフトを使って麓から資材を上げ下げしていたらしい。戦争が始まると工房は閉鎖されてリフトも鉄資材供出で取り払われてしまい、その後軍隊が来て砲台を作り始めたものの未完成のまま終戦を迎えたということである。そして現在は焚き火穴となっている平坦地Aにある円形窪地が砲台の跡らしい。また一見高射砲のコンクリート製基礎に見えてしまう(実際HPの写真でこれを見て勘違いしていたのだが)基礎は、戦前の陶芸工房を記念して戦後建てられたもので昔は上に記念碑が乗っかっていたらしいが、現在では基礎のみが残っている。

中世山城に陶芸工房と、紛らわしい経歴を経た地形であるが、平坦地Aにある円形窪地の内面の黒いレンガは戦争中の陸軍施設で良く見られる事と、そして北東斜面に蛸壺が3ヶ所残っていること、そして砲台を作っていたという伝承があることから、戦争中に何らかの軍事施設があったことは確かなようである。ただここが警戒機乙の陣地跡であるかどうかは不明だ。


平坦地Aの西には内径約3mの円形窪地がある。内側には黒色のレンガが葺かれている。伝承によると建設途中の砲台だそうだが、形状等から聴音壕ではないかと思われる。また平坦地Aの北側には、陶芸工房の記念碑の土台のみが建っている。
東下には平坦地Bがある。西側の北側には土塁がせり出してきており、コの字に窪んだ部分に建物があった可能性も考えられるが建物基礎は見受けられなかった。
北下には長細い平坦地Cが取り巻いている。現在は藪になっており、これといったものは見られなかった。またこのCの北東下の斜面Dには、蛸壺が3ヶ所掘られている。


資料[3]の昭和20年1月頃の記述で「破損の為に1基追加」というメモがあることから、資料[6]の高知に移動用1基と野戦用1基という記述が裏付けていると思われる。ただ鷲尾山山頂には野戦用のトラックが登坂可能な道はついておらず、別の場所にあった可能性も高い。一方で、初め別の場所に野戦用が配備されていたものの破損してしまった為に、移動用を別途鷲尾山山頂に設置途中に終戦を迎えた、という仮説は成り立ちそうだ。
野戦用の配置されそうな候補地は不明である。





おまけ:烏帽子山の東の尾根にあった塹壕跡






左:遊歩道の脇にあった円形窪地E、右:切り出し平坦地F



左:遊歩道の北西へと伸びる塹壕G、右:同左の端部



左:遊歩道から南東へと伸びる塹壕H、右:更にその先



左:蛸壺その1、右:蛸壺その2





烏帽子山の東尾根に、塹壕と蛸壺の跡が残っている。規模から1個分隊ほどの兵力かと思われるが、立地からこんな標高の場所に1個分隊を配置しても意味が無いように思われる。資料[9]に海軍の特別陸戦隊の第8見張所が烏帽子山にあったと書かれている事から、その見張所の跡がこれではないかとも思ってみたものの、海上の見張りに塹壕や蛸壺が必要かと言われると可能性は低そうだ。





資料 終戦時の記録
[1][2][8] 警戒機乙 移動用1基
[3] 警戒機乙 移動用1基破損の為1基追加(昭和20年1月頃)
[6] 警戒機乙 移動用1基、野戦用1基、周波数100MC、98MC








参考文献
[1] 「戦史叢書 本土防空作戦」 朝雲新聞社
[2] 「高射戦史」 下志津修親会
[3] 「陸軍対空電探現況要図」 防衛省戦史資料室(全般 053)
[4] 「第31航空情報隊等臨時編成」 防衛省戦史資料室(動員 162)
[5] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[6] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)
[7] 「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery / GHQ USAFPAC AAA Research Board / 1946.2.1」 国会図書館 憲政資料室(WOR9670-WOR9675)
[8] 「終戦時における対空警戒部隊(東北軍)、航空情報隊(北部軍)の状況」 防衛省戦史資料室(本土 全般 132)
[9] 「引渡目録 兵器、舟艇、軍需品、施設目録 第23突撃隊」 アジア歴史資料センター C08011120200



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