茶臼山 照空陣地
2006.10.26 探索
2006.10.27 新規作成
2021.8.23 全面リニューアル




終戦前後の航空写真(国土地理院、左:5M335-29N(5M335-9294)、右:M283-76)

 己斐の北側にある茶臼山(小茶臼山、平原城)の更に北東のピーク上に照空陣地跡がある。アクセスは、大迫団地と茶臼山、そして南東にある観音堂脇からの3通りある。今回は大迫団地から行ってみたが途中崖崩れで道が無くなっており、大きく回されてしまうので観音堂脇から攻めるのが楽かもしれない(2006年当時)。


左:円形窪地A(内径2.5m)、右:BからAを


左:Bの西側の方形窪地、右:C付近から北を


左:円形窪地D、右:DからEにかけての連絡通路

 南北に長いピーク上に、主要な構造物が並んでいる。一番南にある二重円形土塁Eが照空灯座、またその北にある円形窪地Dが恐らく聴音機壕だと思われるが、その北にあるAからCまでの構造物が何なのかが良くわからない。北端の円形窪地Aは内径が約2.5mで、寸法だけを見ると照空灯の遠隔操縦機を置いた場所のように思われるものの、照空灯と遠隔操縦機の真ん中に聴音機を置くのか?という疑問点がある。
 B、C付近の色々な形状をした窪地の用途は良くわらかない。Aが遠隔操縦機の壕だとすると、指揮や各種計算を行っていた場所かもしれない。


左:EからKにかけての連絡通路、右:円形二重土塁E


左:Eの中央部のコンクリート片、右:Eの南側の出入口

 円形窪地Dは聴音機壕特有の緩やかな擂鉢形状を
していたかどうか確認できていない(2006年当時、
そこまでの知識が無かった為)。
 二重円形土塁Eは新山照空陣地のそれとほぼ
同じ構造であり、照空灯座かと思われる。内側の
土塁の内面を覆っていたと思われるコンクリート
片が幾つか転がっている。外側と内側の土塁の
内径は5.5mと2.5mである。縄張図には南西に
出っ張りを描いているが、調べておらず、
本当にそうなっていたかどうかは怪しい。


左:平坦地F、右:平坦地Fの東側


左:平坦地Fの南側の溝、右:窪地G


左:H南端の土塁、右:平坦地I

 Eの南東から東にかけて、比較的広い平坦地Fがある。更に南下にも広い平坦地I、南東の尾根にも長細い平坦地Hがあるが、何れも兵舎が建っていたと思われるものの、航空写真からは判別できなかった。


左:平坦地Iの土塁、右:平坦地Jにある二槽式水槽


左:平坦地Kにある水槽、右:門跡L


左:煉瓦構造物M、右:M付近から北下の大迫団地を望む、奥は大茶臼山

 Eの南西に伸びた尾根上の平坦地には、2ヶ所の水槽がある。Jにあるのはレンガ積みで2槽式、Kのものはコンクリート製の1槽式である。

 遺構群の北東端には、本来の出入口と思われるLがある。しばらくは軍道が続いているが直ぐに崖になっている。Lの北東側にはレンガ積みの水槽と思われるMがあるが、団地造成の際に削られたのか半分以下しか残っていない。