二葉山 高射砲陣地
2006.3.5 探索
2006.3.9 新規作成
2006.10.22 再訪
2012.4.14 再訪
2019.11.17 再訪
2021.8.22 全面リニューアル


右:原爆投下直後の航空写真(国土地理院、5M220-115W(5M220-1152))


 広島駅の北裏にある二葉山山頂付近に高射砲陣地があった。戦後、仏舎利塔が建てられ、公園として整備されてしまい、更に墓地が造られたために、高射砲陣地そのものは消滅してしまっているが、高射砲陣地周辺の兵舎平坦地や、一つ西のピークに機銃陣地、その間の鞍部にある兵舎平坦地等が残っている。

 二葉山に高射砲陣地がいつ頃築かれたかについては不明である。二葉山の名前が出てくる最も古い資料は昭和19年6月であるが[17]、機銃陣地とセットになっていることから、昭和17年から18年頃には既にあったのではないかと思われる。航空写真から判断すると高射砲の砲座数は恐らく4門であり、資料[29]での被爆時の二葉山の配備高射砲6門という数は誤りではないかと思われる。そして本文でも触れているように、原爆投下前後には二葉山には高射砲部隊は配備されていなかったのではなかと推測している。

 二葉山には終戦間際に第二総軍の地下司令部が築かれていた。子供の頃に二葉山の近くに住んでいた勤め先の人の話によると、昔は二葉山のあちこちに地下壕が残っていており、入りこんで遊んでいたそうである。尾根筋の大部西の辺りにも蛸壺が残っていることもあり、本格的に全山を調査すれば、壮大な遺構群を発見できるかもしれない。

原爆投下前の航空写真(国土地理院、5M335-53N(5M335-9534))

 ここでは東から高射砲陣地、中央部兵舎、そして機銃陣地の3つの区域に分けて紹介してゆく。


高射砲陣地

中央部兵舎

機銃陣地
高射砲陣地



左:仏舎利塔の東側の平面、右:同左の北側


左:東下の兵舎平坦地、右:北東下の兵舎平坦地


左:仏舎利塔の西側の平面、砲座の土塁の名残?、右:西下の兵舎平坦地


左:西下の兵舎平坦地の水槽跡、右:西下の兵舎平坦地を更に西下から見上げる


左:砲座と兵舎の推定位置(Google Mapの衛星写真を用いて作成)、
     右:原爆投下直後の航空写真(国土地理院、5M220-115W(5M220-1152))

 高射砲陣地のあった平坦地は跡形も無く整地され、中央の少し西寄りに仏舎利塔が建てられている。仏舎利塔の西側平坦地の北縁に砲座の土塁の名残らしい土の盛り上がりがあるのが全てである。航空写真から推測される砲座の位置は、中段左側の図の黄色丸である。
 高射砲陣地の東下、北東下、西下にそれぞれ兵舎平坦地があったが、東下のものは墓地の工事で名残しかない。西下の兵舎平坦地には黒煉瓦で造られた水槽(天水桶?)が残っている。
中央部兵舎



左:西の平坦地、右:中央北の平坦地との段差の石垣


左:奥が中央北の平坦地、右:中央北の平坦地にある建物入り口にある石段


左:中央北の平坦地の北西の二連水槽、右:北東の恐らくトイレ跡


左:二連水槽の西にある恐らくトイレ跡、右:更にその西にある建物の基礎


左:中央北の平坦地の南下の石垣、右:中央南の平坦地を東から


右:原爆投下直前の航空写真を加工(国土地理院、5M335-53N(5M335-9534))

 高射砲陣地と機銃陣地の間の尾根の鞍部には、兵舎平坦地と生活関連の施設跡が残っている。原爆投下前の航空写真(上右写真、雲で隠れて見えにくかった兵舎に色塗りを施す)によると、3棟の比較的大きな兵舎が建っている。北側に点在する水槽は、トイレや天水桶に使われたものと思われる。北西端の斜面に比較的小さな建物のコンクリート基礎が残っているが、建物の用途は不明である。
機銃陣地



左:中央部の指揮所、右:指揮所に続く溝


左:南東の銃座を北から、右:南東の銃座の弾薬置場


左:南東の銃座の南下の石垣、右:南東の銃座の東入り口


左:北西の銃座を東入り口から、右:北西の銃座を東から


左:北西の銃座の西入り口、右:北西の銃座の弾薬置場


左:南西の銃座を西から、右:南西の銃座の南西下の石垣


左:南西の銃座、右:南西の銃座の弾薬置場


左:北東の銃座の西入り口、右:北東の銃座の内部

 機銃陣地には4基の銃座と、その中央に指揮所がある。北東の1基は石が抜かれて半分以上崩壊してしまっているが、他は良く残っている。銃座の内径は約2.5mであり、それぞれ1〜2か所の弾薬置場がある。