行者山(田方) 照空陣地
2006.3.31 探索
2006.4.2 新規作成
2021.8.23 全面リニューアル


右:航空写真(国土地理院、5M335-45N(5M335-9454))


 広島電鉄草津駅の北にある行者山は、元々南北に2つの尾根が並び、南の尾根上には戦国時代に行者山城が築かれていた。戦時中、どちらの尾根も利用して照空陣地が造られたが、昭和50年に南の尾根は削られて国泰寺が建てられた。しかし北の尾根は削られる事もなく現在も残されている。

 資料[35]によると、庚午地区内にあった高射砲隊幹部候補生教育隊が、昭和17年の水害を機に草津海蔵寺の山に移転したと書かれている(この海蔵寺は行者山の南麓にあり、山頂の国泰寺とは関係ない)。航空写真に写っている南尾根の施設は、この教育隊の関連施設かもしれない。


左:円形窪地A、右:円形窪地B


左:円形窪地C、右:円形窪地Bを円形窪地Dから


左:円形窪地D、右:土塁E

 山頂付近は藪が酷くてまともに探索できていないのだが、恐らく土塁Eが照空灯座で、円形窪地Dが聴音機座、円形窪地AからCが指揮所や遠隔操縦機座といったものではないかと思われる。航空写真も露出が白く飛んでいて、地形を確認するのが難しい。


左:南東下の平坦地Fとコンクリート水槽、右:コンクリート水槽


左:南東下の平坦地Fの脇にある水槽跡?G、右:北東にある平坦地H

 山頂の東下には兵舎が建っていたと思われる平坦地Fがあり、コンクリート製の水槽が残っている。この位置関係だと天水桶の用途かと思われるが、北九州では同じ形状のコンクリート製水槽が兵舎よりも上の位置にあり、生活用水の水槽として使用されており、実際にどうだったのかはよくわからない。西側の斜面には掘り込みで水槽が作られている。こちらはトイレか天水桶かと思われる。北東には平坦地Hがある。