比治山 高射砲陣地?
2006.4.2 探索
2006.11.9 再訪
2006.11.13 新規作成
2021.8.22 全面リニューアル


右:原爆投下直後の航空写真(国土地理院、5M220-112E (5M220-1121))


左:右上写真の拡大、右:終戦直後の航空写真(国土地理院、M251-45)

 元々、放射線影響研究所の場所に船舶砲兵団の司令部が、またそこから南に伸びた尾根上に陸軍墓地があったらしい。陸軍墓地関連のある資料によると戦争中に陸軍墓地を潰して高射砲陣地が造られたとあるのだが、事実かどうかは不明である。
 終戦前後の米軍の航空写真を見ると、司令部らしき建物と、その東側の尾根(現在のNHKの施設)との間に砲座のようなものが2+1基写っている(2基は明確だが、もう1基が多少怪しい)。
 終戦直後の米軍資料[27]によると、日本陸軍将校が提出した広島地区の高射砲配置図の中に10p高射砲陣地が1ヶ所あったとある。しかし正規の高射砲部隊としては広島に10p高射砲は配備されていない。
 そうすると、この10p高射砲陣地は、船舶砲兵団(暁部隊)の高射砲陣地である可能性がある。そして比治山には船舶砲兵団の司令部があり、航空写真には比治山山頂に高射砲座のような円形窪地が写っている。…かなり飛躍しているが、こうした状況証拠を繋げ合わせると、この航空写真の円形窪地は10p高射砲の砲座かもしれない……可能性はかなり低いが。

 また「高射戦史」の当時独立高射第22大隊の大隊長だった加藤恒太氏の回想[29]によると、第22大隊の大隊本部は元々比治山にあったが、昭和20年に入った頃に向宇品へと移転したとある。



左:NHK施設の東側、右:同左を陸軍墓地脇(南)から


左:NHK施設の西側、右:NHK施設を北から


左:放射線影響研究所、右:同左の北西隅の駐車場にあるコンクリート片


左:陸軍墓地、右:陸軍墓地の南端


左:陸軍墓地の南下、右:NHK施設の東下にある公園


左:放射線影響研究所宿舎の北東下の斜面に転がるコンクリート片、右:同左

 現在は放射線影響研究所、その宿舎、そしてNHK比治山FM放送局、公園等が建設されてしまった為に跡形も無い。宿舎の北斜面下に転がる分厚いコンクリート片が、名残ではないかと思われる。

 また、陸軍墓地の南東下付近には、比治山に広島湾要塞司令部があった際の演習砲台があったらしいが、こちらも現在は平坦地だけで砲座は残っていないそうである(「呉・江田島・広島 戦争遺跡ガイドブック」より)