金輪島 照空陣地
2006.4.2 探索
2006.4.4 新規作成
2021.8.24 全面リニューアル


右:原爆投下直後の航空写真(国土地理院、5M220-109E(5M220-1091))



右:終戦後の航空写真
       (国土地理院、M365-101)


 金輪島の中部、標高90mの尾根上に照空
陣地跡がある。2006年当時は南の峠道が
通れたが、2021年現在は通行止めになって
おり、北の峠から南下しなければ行けなく
なっている。
 航空写真を見ると、陣地には兵舎らしい
建物は2棟しか確認できないことから、
南西麓の海岸沿いに建つ4棟の兵舎も、
照空陣地関連のものかもしれない。




中央部

北部

南部

切通し周辺

中央部



左:円形窪地Aの西側、右:円形窪地Aの北側の石垣


左:円形窪地Aの東側、右:円形窪地Aの南側


左:円形窪地Bの西側の窪み、右:連絡通路C


左:指揮所Eの南にある水槽L、右:指揮所E


左:指揮所Eへの連絡通路、右:Cの南西端の円形窪地

 中央部には内径約5mの円形窪地Aと円形窪地Bとが
ある。北側の円形窪地Aは内壁が垂直で形状も明確だが、
南側の円形窪地Bは内壁が崩れているのか垂直ではない。
恐らくAに照空灯、Bに聴音機が置かれていたのでは
ないかと思われる。照空灯座と思われる円形窪地Aの
内部は二重土塁にはなっておらず、茶臼山や新山、
似島とは異なる時期もしくは異なる部隊の造作かも
しれない。

 円形窪地Bの南には、連絡通路と円形窪地からなるCが
ある。Cの南西端の円形窪地の寸法は計測していないが、
遠隔操縦機が置かれていたか、もしくは分隊長の指揮所かもしれない。

 円形窪地Bの北西には地下式の指揮所Eがある。北西下の平坦地Iから通路が繋がっている。Eの南西隣にはコンクリート水槽Lがある。
北部



左:地下壕G、右:同左の内部


左:コンクリート基礎J、右:水槽K


左:スロープP、右:スロープPと地下壕Hとの間の角地



左:地下壕H、右:地下壕Hの南西にあるコンクリート製の溝



左:コンクリート製の溝とその西下の水槽N、右:西下のL字型水槽N


左:平坦部Oの南下の段々、右:円形窪地Aの北西側平坦面(奥に地下壕Hが見える)


左:平坦地Iの南東隅の地下壕、右:平坦地Iを南から

 北部は、南北に延びる尾根と、その西下にある平坦地
の二段になっている。航空写真を見ると、基礎Jのある
平坦地と平坦地Iには兵舎が建っている。コンクリート
基礎Jは兵舎の基礎だと思われる。兵舎のあった平坦地の
東斜面にはG、H、Iの3か所の地下壕がある。奥行は殆ど
無いか、もしくは埋まっており、用途は良くわからない。
またこの兵舎平坦地やその周辺には、水槽や溝も多く
見られる。

 南北に延びる尾根は緩やかな斜面を成しながら
平坦地Uへと登っている。Uに何かあったのかもしれ
ないが、痕跡はない。またUの西側はスロープに
なっており、AとUの間にあるスロープPと共に、
尾根筋と兵舎平坦面とを繋いでいる。

 Uから北西に延びる尾根には段々畑Oがある。航空写真でもこの段々は写っており、当時からここにあったことがわかる。形状が段々畑という意味で、実際に段々畑だったかどうかはわからない。Oの北西上には平坦地Tがあるが、これから北側は何も無さそうだったので探索していない。
南部



左:平坦部Q、右:水槽M(手前標柱は戦後の物)


左:正体不明の物体D、右:Dの東側にある溝


左:窪地F、右:平坦地Vの北隅に転がる煉瓦とコンクリートの破片


右:謎の構造物Dの見取り図

 南部は、峠道の切通まで緩やかな傾斜が続いており、所々が平坦に掘られている(平坦地Q、R,S)。水槽Mの西下には、謎の構造物Dがある。

 謎の構造物は、本当に謎の構造物である。上右図のような形状であり、山の斜面を削り出し、削り出した土を盛ることで平坦面を造り出し、その中央に直径50p程の丸い構造物が置かれている。近くまで寄れなかったので、この丸い物の形状や材質は不明である。また平坦面の東上には斜面に長さ5m程の溝が掘られている。

 西斜面に半円形窪地Fがある。蛸壺か銃座か、用途は不明。また切通しの西側に平坦地Vがあり、その斜面側にはコンクリートや煉瓦の瓦礫が転がっている。切通しの工事を行う際に出たものかもしれない。
切通し周辺



左:軍道Y、右:軍道Yから尾根Wへと登る溝

 現在の峠道は戦後のもののようであり、本来の軍道YとXとを切通しで切断する形になっている。軍道Yから尾根に登る溝(通路?)があり、尾根W上にも何かしらの遺構があるかもしれない。ただ当時は藪が酷く、探索は諦めている。