鯛尾 高射砲陣地
2006.4.14 探索
2006.4.20 新規作成
2021.8.25 全面リニューアル


1960年代の航空写真(国土地理院、MCG628-C19)

 日本の要塞の掲示板で、坂町の森山の山頂にも防空砲台跡があると教えていただいた。比高もあまり無いので呉市の烏帽子山と鉢巻山に行くついでに寄ってみた。
 森山の南側周辺は道が悪く、車を停める場所があまりない。広島呉道路の料金所脇の駐車場(上り側のみ)か、その直ぐ南側の広場に停めるかしかなく、またこの広場に入るには南西から回り込まないと道が狭くて普通車では入れない。
 今回は広島呉道路にかかる陸橋から登った。徒歩15分程。


左:南から、右:北東へと降りる軍道


左:北西端の砲座(1番目の砲座)、右:北東端の砲座(2番目の砲座)


左:北から3番目の砲座、右:4番目の砲座

 中央の平坦地に6基の砲座がコの字に並んでいる。
砲座は3か所の砲側弾薬置場があり、出入口と合わせて十字架のような形状をしている。北側の砲座2基は掘りが深いが、南側の4基は浅くなっている。指揮所は見当たらなかった。
 この山に筍を掘りに来ていたおじいさんに話を伺ったところ、兵隊は山の東下の役場の辺りに寝泊りしていた事、また終戦直後には砲座は3基しか無かった事を教えていただく。では何故今は6基あるのか謎ではあるが、高射砲が3門しか無かった、という話を聞き間違えただけかもしれない。


左:北から5番目の砲座、右:南西端の砲座(6番目)


左:高射砲陣地の南西にある平坦地、右:陣地の北東にある平坦地の石垣


左:北西ピークにある平坦地、右:同左北にある窪み

 高射砲陣地のある平坦地以外にも、北東と南東、北西にそれぞれ平坦地があるが、水槽や基礎どころか瓦礫にようなものすらなかった。北西の平坦地は広く、当初は兵舎が建っていたのではと思ったのだが、終戦前の航空写真を見るとあまり明確には写っておらず、戦後に開かれた畑かもしれない。