尾長山 照空陣地
2006.3.5 探索
2006.3.9 新規作成
2019.11.17 再訪
2021.8.21 全面リニューアル


右:終戦直前の航空写真(国土地理院、5M335-24S(5M335-9243))、矢印は兵舎


左:縄張図、右:1947年の航空写真(国土地理院、M144-A-4-27)

 広島駅の北に二葉山と尾長山があるが、尾長山の山頂に照空陣地跡が残っている。一般的な照空陣地と異なり、特徴的な浅い擂鉢型の聴音機壕が無く、聴音機がどこに配置されていたのかは良くわからない。また山頂が狭く、兵舎を建設する敷地を十分に確保できなかったことから、山頂から西に標高で50m程下った場所にも兵舎が建てられている(上側の航空写真の左側の黄色矢印)。


左:照空灯座Aの北西縁、右:照空灯座A内部


左:照空灯座Aの内縁の南にある構造物、右:照空灯座Aの北西下の石垣


左:照空灯座Aの東下の石垣、右:便所Bを南東下から、奥は照空灯座A

 北端には照空灯座Aがある。南以外の三方向の外周が石垣であり、内部の窪地の縁も石垣である。内径は約5m。内部には航空識別灯が建ち、当時どうだったかは分からなくなっている。また内縁の南には砲側弾薬置場のような収納スペースが石で組まれている。
 通路も格納庫の無いことから、照空灯はこの場所に固定して使用していたようである。


左:便所Bを南から、右:便所Bを東から


左:Bから兵舎平坦地Cを望む、右:兵舎平坦地Cの東下の石垣


 照空灯座Aの南東下には便所Bがある。水槽部は
黒煉瓦とモルタルで組まれている。

 山頂の西中央部には兵舎平坦地Cがある。終戦
直前の航空写真を見ると、この位置に小さめの建物
が写っている。周囲は石垣になっており、北東隅に
天水桶のコンクリート水槽(長辺90p)がある。
平坦地Cの西側は露頭した大きな岩を削った跡が
ある。山頂の岩を削りながら同時に石垣用の石を
採取していたようである。またあちらこちらの
石垣には、防空用迷彩と思われる黒色の塗装が
されている。

 平坦地Cの南の岩の横に小さな建物基礎Dがある。
大きさは小さめの物置くらいで、用途はわからない。またこの東側には謎の石組あある。こちらも用途不明。


左:平坦地Cの北東隅のコンクリート水槽、右:平坦地Cを北から


左:平坦地Cの西面、黒く塗られている、右:コンクリートの建物基礎D


左:基礎Dの東側にある謎の石組、右:東下の石垣


左:南端部Fを北から、右:Fの西側にある石垣で組まれた方形窪地


左:円形窪地の跡?、右:Fの南下の平坦地


左:Fの東の窪地を北西から、右:同左のコンクリート基礎

 南端部Fには石垣で組まれた方形窪地(長辺1.8m)と、円形窪地(直径約2.5m)の残骸のような地形、そしてコンクリート基礎のある窪地がある。消去法から、恐らくはこの辺に聴音機があったのではないかと思われるのだが、他に例も無いので何とも言えない。

 中央部には露頭した岩があるが、その一角に、方形にならした平坦地Eがある。南端Fよりかは広く、聴音機座はこちらの可能性もあるかもしれない。またその近くの岩の上にモルタルの台らしきものがあるが、恐らくは戦後の物のように思う。



左:中央部の露頭した岩、右:西の二葉山を望む


左:平坦地E、右:同左近くの何かの基礎


左:東下の平坦地G、右:西下にある兵舎の建っていた平坦地

 山頂から東に少し下った場所に平坦地Gがある。ただ完全な平面ではなく、遺構も無いことから、無関係の場所かもしれない。

 山頂から西に標高で50m程下った場所に平坦地があり、終戦直前の航空写真を見ると、ここに兵舎が建っている。また本来の軍道は、山頂から北に行き、そこから北西斜面を斜めに下って、この場所に降りてきているのだが、現在は藪に埋もれており探索できなかった。