新山(浅野山)照空陣地
2006.10.22 探索
2006.10.28 作成
2019.11.17 再訪
2021.8.20 全面リニューアル


右:終戦直前の航空写真(国土地理院、5M335-26N(9264))

 牛田新町の浅野山公園に照空陣地跡がある。一応「公園」となっているが、看板が1枚立っているだけで、ほぼ山である。付近に駐車スペースは無く、公共交通機関で行くか、最寄のコインパーキングを探して駐車するしかない(2019年11月の再訪時はバスを使用)。コンビニや住宅展示場の駐車場の利用は迷惑になるので止めてください。


左:平坦地Aの西側、右:平坦地Aの南側


左:聴音機壕Bを西から、右:同左


左:聴音機壕Bを南東から、右:聴音機壕Bの北東にある溝

 西側は聴音機壕を中心として、周囲に兵舎用の平坦地が
並んでいる。聴音機壕は右図のような、緩やかな斜面の
擂鉢状の窪地であり、内径は約10mのものが多い。新山では
内径が約11mである。北東側にケーブルを通す溝が残って
いる。




左:平坦地Aの南縁から平坦地Dへと続く溝、右:平坦地Aの南西にある縁石C


左:平坦地Dを東から、右:平坦地Dの北斜面にある溝


左:平坦地Eを東から、右:平坦地Eから東下を

 平坦地Aの南縁から平坦地Dにかけて、連絡通路のような溝がある。これが通路なのか陥没した地下壕なのかは良くわからない。平坦地Aの南西には建物の縁石Cが残っている。航空写真を見ると、この辺りに小さな建物があるので、その出入口に置かれていたものかと思われる。
 平坦地Aの南下には平坦地Dがある。航空写真を見ると最も大きな兵舎が建っていた場所である。また平坦地Aの東下には平坦地Eがあり、ここにも2番目に大きな兵舎が建っていた。西の斜面には埋もれているものの地下壕の入り口がある。


左:平坦地F、右:照空灯座Gの入り口


左:照空灯座Gを北西から、右:同左続き

 陣地の東側は、照空灯座Gを中心に構成されている。照空灯座Gの南西下には平坦地Fがある。フェンスが二分しているのでわかりづらいが、広い平坦地である。航空写真を見るとここにも建物が写っている。


左:照空灯座Gの中央部、右:照空灯座Gの南東の出っ張り


左:照空灯座Gの二重土塁、右:同左

 照空灯座Gは二重の円形土塁になっている。北九州(遠賀川
以東)と下関では見ない形状であるが、広島で照空灯座が残っ
ている茶臼山と似島では同様の二重の円形土塁である。形状
から推察するに、ここに配備されていたのは車輪付きの照空灯
ではなく固定式の照空灯を内側の円形土塁内に埋め込んでいた
のではないかと思われる。茶臼山と似島では内側の円形土塁の
内張りがコンクリートだが、新山では内張りが無い。
 二重円形土塁の寸法は、内側の円形土塁の内径が約3.5m、
外側の円形土塁の内径が約10mである。
 照空灯座Gの南東には出っ張りがあり、そこから東にケーブル用の溝が出ている。

 広島に居た照空部隊が配備された北九州の遠賀川以西の照空陣地も、終戦間際に広島に配属された照空部隊が配備されていた大阪周辺の照空陣地も、どちらも未探索だが、それらの照空灯座が二重円形土塁かどうかによって、終戦間際の広島の照空陣地の配備状況を知ることができるだろう。


左:平坦地H、右:Hから照空灯座Gを


左:平坦地Iを東上から、右:平坦地Iから西を

 照空灯座Gの東下に、狭いながらも平坦地Hがある。用途は不明。平坦地Iは東西の間にあり、ここから北下に本来の軍道が下っている。