超短波警戒機乙 要地用(タチ6)


2010.5.9 新規作成



警戒機乙は警戒機甲に比べれば増しだが、それでも資料が少ない。
そこで今のところ集めることができた資料を同様に並べてみる。









(1)基本的な説明



日本無線史[1]より。

超短波警戒機甲の研究を進める一方、更に高性能の警戒機を創出するに努めつつあったが、偶々日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)に於いて衝撃波式の着想を得たので、直ぐにこれを採用し、急遽試作に着手して昭和16年(1941年)秋これが竣工を見たので、同年10月試験を実施した。元より移動性等は顧慮の外として機能本位に試作されたもので後にこれを固定式、要地用としたのである。
試験の結果は概ね満足すべきもので、甲と比較して著しく優秀な点もあるので、当時の国際情勢上差し当たりこれを銚子に設置し、太平洋方面の警戒に使用することとし、直ぐに工事に着手し昭和17年(1942年)6月竣工した。同年4月18日米軍の行った東京初空襲の際は恰も工事中で敵機はその直上を飛行したのであった。右銚子に於ける実設と平行して、本機の急速生産整備に入り、本土要地に逐次実設すると共に順次作戦地に送出したのである。

検知距離 約200km
検知誤差 方向±3度、距離±5km
送信装置:
周波数 75〜95(MC)間一周波数
方式  プッシュプル発振
真空管 (省略)
衝撃波帯幅 20MC以下
繰返周波数 500c/s
尖頭出力 約50KW
電源  200V、50又は60c/s三相交流
空中線 2×4反射器付指向空中線、指向度90度

受信装置:
周波数 72〜98(MC)
方式 スーパーヘテロダイン
 高周波増幅二段、周波数変換、中間周波増幅四段、検波、低周波増幅二段
真空管 省略
中間周波増幅器帯幅 50kc
利得 約120db
電源 100V又は200V、50又は60c/s単相交流
空中線 2×2指向空中線、手動回転式

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超短波警戒機乙、要地用 タチ6
周波数68、72、76、80MC、尖頭出力50KW、対飛線警戒距離300km、測距精度±7km、測角精度±5度、重量10トン、試作会社住友通信。実用化及び生産化済。
高度測定を可能ならしむための付加装置「タチ20」、測高可能距離100km、測距精度±1km、測角精度±1度、測高精度±500m、重量2トン、試作会社安立電気、5機銚子、白浜、下田に於いて実用。
因みにタチ6に相当する外国機材は、LZ(独)、フライヤ(独)、SCR-271(米)、CD/CHL(英)
(昭和20年8月15日現在)


高度測定用 タチ35
周波数82MC、尖頭出力50KW、対飛測高可能距離100km、測距精度±1km、測角精度±1度、測高精度±500m、重量4トン、タチ6に相当する第二次兵器、試作会社住友通信。実用化済。3機、松戸、越ヶ谷、御前崎に於いて実用中。
(昭和20年8月15日現在)





1945年7月にまとめられた、日本陸軍の超短波警戒機乙についてまとめた「THE JAPANESE ARMY B RADAES」[2]より、かいつまんで(電子回路、電波の専門的知識が無いので、その辺は略)。

捕獲した機器の名称には
 Secret Mark229(極秘229号?)
 Experimental Mark229, Mode, 50-2 transmitter and Model 4 receiver
 (試製229号、50-2型送信機、4型受信機)
 Mark 154, Model 1,2,3 and 4(154号、1型、2型、3型、4型)
といった色々な名称がある。

アンテナ配置は1本の全方位アンテナと、2もしくは3基のアンテナで受信で、型にはまっていない。各受信所には、1本の固定式受信アンテナ、1本の手動追尾アンテナ、そして小型のシングルダイポールアンテナ(同期受信機)。
通常のMark229(229号)の運用手法は、受信機1基当たり30度の範囲を捜索する。つまり同時に3基から4基の受信機を使うことで90度もしくは120度の範囲をカバーできる。受信所の情報は、レーダー基地の中心に近い情報センターに送られる。送信機と受信機は50mから75m間隔である。

送信機:
Model50-2(50-2型)は、出力50KWの送信機、接取したMark229の説明書でModel10(10型)用のものがあるが、広くは使われていなかった模様。

受信機:
Mark229, Model2-1, Model3, Model4(229号2-1型、3型、4型)がある。
捕虜の証言での初期型とModel4の特徴が一致、また回路の特徴から見てもModel4の方が古い。また日本の色々な情報源から、Model4が一番広く使用された。
回路の特徴から、Model2-1はModel4より新しく、Model3はModel2-1の改良型。


後期型?:
最近の情報では、Mark154として設計されたレーダーの存在が指摘されている。捕虜の証言では、Mark154レーダーにModel1〜4を接続していた。
Model1と2は旧式で、Model3はクルード(crude?)受信アンテナで回転機構を持ち、ベースラインの上にのみ信号を表示する。Model4は回転式小型アンテナでベースラインの上と下に信号を表示する。
「回転式改札口(turnstile)」タイプの固定送信アンテナがMark154に使用されており、電気的・機構的特長がMark229で使用されている長方形の箱型送信アンテナと違っている。改札口式アンテナは4段の水平ダイポールアンテナで構成されており…(略)。こうしたアンテナでは、放射方向は水平方向に180度で、捕虜の証言からも裏付が取られている。
Mark154用の受信アンテナはMark229の受信所で使われている追尾アンテナと同じもののようである。Mark154の受信機の数や、アンテナの本数はわからない。恐らくはMark229と似たものかと思われる。



性能表より(要地用)

229号
 2-1型 70-75Mcs
 3型 65-83Mcs
 4型 68-80Mcs
 10型 10KW
 50-2型 68-72-76-80Mcs(各±3) 500or1000cps 50KW


4型の性能:
 目盛上の距離 150or300km
 探知能力 200km(編隊)70km(船)
 精度 ±5°、±5km
 ビーム幅 60°(左右)、60°(上下)

受信アンテナ:
3〜4ヶ所に配置、それぞれ1つの固定式探索アンテナと手動回転式の追尾アンテナを持つ。追尾アンテナは水平共ダイポールアンテナ4本が2列、後ろにはリフレクタ、探索アンテナは水平共ダイポールアンテナ2本が2列。切換スイッチを使用する。
同期の為に小型同期アンテナを使用。

送信アンテナ:
全方向に送信。固定式の箱型、柱に装着される。
3段の水平ダイポールアンテナで、それぞれは閉じた正方形をしている。アンテナは隅で2本のワイヤーから給電。アンテナの高さは約4ヤード。





戦略爆撃調査団資料[3]より

タチ6:
地上用、固定式、早期警戒レーダー、周波数:60〜80mcs

タチ6は陸軍の複数受信機式のレーダーの最後のバージョンで、1943年から使われていた。あるものは移動式でテントで構成され、あるものは固定式で小屋に装備されていた。標準的な屋根の上にアンテナを設置するタイプは、1945年になるまで一般化しなかった。この新しいタイプのレーダーセットは、航空写真から簡単に識別できた。普通は土塁で囲まれた標準的な建物とその配置(一般的には海に近い高所と木の無い場所)、そして小道や道路などが手がかりになる。
自然のカモフラージュも用いられたが、滅多に効果を示さなかった。カモフラージュされたアンテナは認識が難しかったが、それでも上手くカモフラージュされた建物ほど難しくは無かった。多くがそうであったが、樹木の繁茂した地域に建物が配置されていた場合、特に場所を探知するのが困難だった。
米軍によるこのレーダーの他の一般的な呼び方は、Mark154、複数の受信レーダーがMark231だった。


甑島と対馬のレポートより:
受信機は標準タイプの木造建造物、23フィート×30フィート、多くは土塁で囲まれていた。ウェワクタイプと同じ28フィートの回転式アンテナが屋根の上に取り付けられている。 送信機は恐らく23フィート×30フィートの建物に収められており、送信アンテナは高さ60〜75フィートのマストの上に取り付けられ、建物から50フィート以内の場所に建てられている。

甑島
6基の受信機が送信機から半径1000ヤード内に収まっている

対馬
約60フィートの送信アンテナが最高所(標高580フィート)に置かれ、3基の確実な受信機と、2基の不確実な受信機とが発見されている。lいずれの受信機も送信機から1000ヤード内に納まっている。


分析:
(1)これらの装備方法が日本陸軍の早期警戒機の主な手法であると思われる。
(2)このチと呼ばれているレーダーは、Mark154の改良型もしくは派生種であると思われる。周波数は60〜80mcsである。







左:航空写真でのMark229の施設例、右:Mark229の設備関係図、(左右共に[4]



左右共にタチ35[3]



以上、まとめるにまとめられない。
日本無線史には同じタチ6でも周波数や検知距離の明らかに違う2通りの記述がある。また米軍の資料からもMark229系列とMark154系列(受信機はMark231?)の2通りの記述があり、ここでは特にアンテナの形状の違いが挙げられている。そして実際に残っている写真や聞き取りといった情報(足摺岬でのNさんによるMさんからの聞き取り、レーダー徒然草の記述など)から送信アンテナの形に2種類あったのは事実のようであり、そうであるとすれば同じタチ6でも前期型と後期型の2種類あったのではないかと思われる。


また送信機と受信機が分離され、しかも1基の送信機に対して複数の受信機が設けられている理由については資料に出てこないものの、「海軍レーダー徒然草」[8]では
・出力が大きかった為に送信電波で受信機を破壊してしまわないように分離した
・波長が大きい為に受信アンテナも大きくなり、取り回しが難しかった為に受信機を複数にし、担当範囲を分割した
と推測している。







(2)送信機





左:潮岬の送信アンテナ、右:野島崎の城山(千葉県白浜)の送信アンテナ基部?、(左右共に[5]


試製229号50-3型(左右共に[6]


試製229号50-3型(左右共に[6]


左:試製229号50-3型の図面、拡大図[6]、右:室蘭の送信機?[5]


上に挙げた潮岬の送信アンテナは、米軍資料[2]では回転式改札口と表現されているが、一方でNさんの聞き取りの中の現地で建築に携わっていた技師の方の証言では「人形型」と表現されている。
また室蘭方面の写真の中に、警戒機の機器らしきものが写っている。同じ写真が徳田八郎衛の「間に合わなかった兵器」[9]で、要地用の受信機として紹介されている。ただ、試製229号50-3型は上の通りで形状は全く異なっており、送信機であれば米軍資料[2][3]にある後期型?のMark154かもしれない。






(3)受信機





左:室蘭方面の受信所とアンテナ、右:アンテナ部、(左右共に[5]


左:テント式の受信所のスケッチ[4]、右:北クリル諸島の受信所[2]


受信所のアンテナと機器配置[7]


野島崎の城山(千葉県白浜)の謎なアンテナ[5]


受信アンテナは、ほぼ一種類のものしか見当たらないが、野島崎(白浜)の写真として全く違ったマットレス式のアンテナ写真がある。最初は欺瞞用の偽アンテナかと思っていたが、写真を良く見ると回転用のハンドルと回転手用の席のようなものが備えられている。偽アンテナに回転装置はさすがに不要だろうと思われるので、もしかするとこれが後期型の受信アンテナである可能性が、無い事も無いかもしれない。







(4)立地、建物など



甑島にある手打基地の配置図[3]


同上の航空写真(国土地理院、M826-23)


タチ6は、1ヵ所の送信所に対して複数の受信所がセットで配置されている。
立地については、送信所がなるべく最高所で最奥部、それを取り囲む形で受信所を配置、1セットの送受信所で約90度の範囲をカバーしている…ようであるが、これまた明確な資料も無く、今後遺構の縄張を調査しながら傾向を追っていくしかない。
送受信所の付近には情報を取りまとめるための指揮所が置かれていたらしいが、詳細は不明である。(足摺岬での聞き取りでは、受信所の一つの近くに置かれていたらしいが、上記の米軍による甑島手打基地では送信所付近の建物を指揮所と推定している)
また送受信所の付近には兵舎(含生活施設)と発電所とが併設されていた。足摺岬では、終戦後にこの兵舎を中学校として利用しており、記念撮影でこれらの建物が背景に写りこんでいるが、兵舎、トイレ等いずれも木造である。





左:土塁付の受信所のスケッチ[3]、右:足摺岬(西)の受信所のコンクリート基礎


左:試製229号4型受信機用の木製基礎部の寸法、右:受信アンテナの構造、(左右共に[7]


送信所の建物に関しては手掛りは殆ど無いが、受信所に関しては試製229号4型受信機の取扱説明書[3]内に施設のスケッチや図面が幾つか載っている。それを見るに、受信所は角材で上図のような構造で約455cm四方の基礎を組み、その上に機器やアンテナ基部を載せていたようである。
足摺岬(西)の遺構では、2ヵ所で上記写真のようなコンクリート基礎を見つけているが、約4.3m四方の外枠の中央に約120×90cmの角柱、約465×455cmの外枠の中央に約120×85cmの角柱と、上図の木枠による外形とアンテナ基部部分の寸法に近い。またいずれもアンカーボルトは見当たらない。
推測するに、沈み込みを防ぐ為に写真のようなコンクリート基礎を造り、その上に図面のような寸法で組んだ木枠を置き、その上に機器やアンテナ基部を設置していたのではないかと思われる。
また同じく足摺岬(西)では、他に約60cm四方のコンクリート基礎に1辺約35cmの間隔で4本のアンカーボルトが植えられている遺構もあり、寸法と証言から、こちらは受信アンテナ基礎を直接設置する仕様のものかと思われるのだが、詳細は不明である。


足摺岬(西)の別のコンクリート基礎(約60×60cm)


そして建物の周りには少し間を置いて土塁が築かれるか、もしくは建物の敷地を掘り下げることによって、(恐らく)建物が爆風や銃撃から保護されるようになっている。米軍資料[3]では約10×7mと約20×7mの大小2種類の建物が標準的だったとあるが、足摺岬の西側の施設では、ほぼこれに準じた寸法で土塁もしくは掘り下げが行われている。
ただ足摺岬の東側の施設では1ヵ所は約15×5mであるものの、他2ヵ所では約4×3.5mと小さく、東側の方が後から建設されていた事を考えると、送受信所についても前期と後期で2種類の仕様があった可能性がある。ただこちらも今後遺構の縄張を調査しながら傾向を追っていくしかない。






参考文献
[1] 「日本無線史」 1951年、電波管理委員会
[2] 「JAPANESE GROUND EQUIPMENT REPORT No.18, RATEL No.12, THE JAPANESE ARMY B RADAES, 27 July 1945」, The Military Intelligence Division, U.S. War Department、国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R55 605-617
[3] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[4] 「Photograhic Interpretation Handbook - United States Forces, Japanese Electronics 15 March, 1945」, Photographic Intelligence Center, Division of Naval Intelligence, Navy Department, 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R64
[5] 「(写真資料)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB13 R315、R316
[6] 「要地用超短波警戒機 試製229号50-3型」 防衛省戦史資料室(中央 軍隊教育 典範 通信機器 195)
[7] 「要地用超短波警戒機受信装置説明書」 アジア歴史資料センター、リファレンス番号:A03032150400
[8] 「海軍レーダー徒然草」 http://www1.odn.ne.jp/~yaswara
[9] 「間に合わなかった兵器」 徳田八郎衛著 光人社刊
[10]
岩崎通信社 社史








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