超短波警戒機乙 野戦用・移動用・船舶用


2010.5.9 新規作成
2011.1.20 移動用アンテナ図と船舶用写真を追加



警戒機乙の野戦用・移動用は要地用と比べて資料が少ない。
そこで今のところ集めることができた資料を同様に並べてみる。



もくじ:

(1)基本的な説明

(2)機器類

(3)場所







(1)基本的な説明



日本無線史[1]より。

(ロ)野戦用
右固定式要地用の研究が略々完了した昭和17年(1942年)10月、移動及び開設容易にして野戦用に適する移動式警戒機の研究に着手した。これが超短波警戒機乙(野戦用)である。
約一ヶ月間の準備を以て、同年11月岩崎通信株式会社をして試作に着手せしめた。一方空中線の設計資料を得るため、空中線の送受信共用に関し実験を重ねた。
昭和18年(1943年)4月試作竣工したので、同年5月に至る間試験を反復し、概ね所期の機能を有することを確認した。
本機(野戦用)は車室付自動貨車装備式で送信車、受信車及び属品車より成り、その重要諸元は次の通りである。

検知距離 約150km
検知正面 360度
検知誤差 方向±5度、距離±5km
送信装置:
周波数 60MC付近(又は100MC付近)
方式  プッシュプル発振
尖頭出力 約50KW
真空管 省略

受信装置:
方式 スーパーヘテロダイン
高周波増幅二段、周波数変換、中間周波増幅三段、検波、低周波増幅三段
真空管 省略
電源 自動車駆動200V三相交流発電機
空中線 送受信共用1×3反射器、導波器付指向空中線、電動機又は手動回転
観測装置 120mmブラウン管


超短波警戒機乙、車載式野戦用 タチ7
周波数100MC、尖頭出力50KW、対飛線警戒距離300km、測距精度±5km、測角精度±5度、重量18トン(自動貨車4両共)、試作会社岩崎通信。実用化及び生産化済。
(昭和20年8月15日現在)

超短波警戒機乙、車載式移動用 タチ18
周波数94、98、102、108MC、尖頭出力50KW、対飛線警戒距離300km、測距精度±5km、測角精度±5度、重量4トン、移動性自動貨車4両に分載、試作会社東芝及び岩崎通信。実用化及び生産化済。
(昭和20年8月15日現在)

超短波電波警戒機乙、小型移動用 タチ22
第二次兵器として試作概成の状態にて昭和19年度下記中止
(昭和20年8月15日現在)


(ハ)船舶用
省略

超短波警戒機乙、船舶用 タセ1
周波数100MC、尖頭出力50KW、対飛線警戒距離300km、測距精度±5km、測角精度±7度、重量4トン、試作会社東芝通信。実用化せるも結果思わしからぬ故船舶装備を中止し一部陸上用に転用。
(昭和20年8月15日現在)








1945年7月にまとめられた、日本陸軍の超短波警戒機乙についてまとめた「THE JAPANESE ARMY B RADAES」[2]より、かいつまんで(電子回路、電波の専門的知識が無いので、その辺は略)。

野戦用:

コレヒドールで1941年に捕獲されたアメリカのSCR-270移動式レーダーの日本版である。
殆どは、超短波警戒機乙 野戦用という名前。
他の名称としては、
Experimental Mark231,Model1(試製231号1型)
Experimental Mark230,Model1、恐らくMark231の初期型

沖縄からの情報では、この野戦用と移動式早期警戒レーダー乙というのを区別している。ただ回路や機構配置は殆ど違わないようだ。全ての機器は4台のトラックで運搬する。

約100メガサイクル。60メガサイクルというのもあるが、初期型か。断片的な情報。

2つの物以外は750サイクル。最大距離200kmは750サイクルのもの。500もしくは1000サイクルと書かれているものでは、750サイクルが後期型としている。

送受信共用アンテナはモーター駆動で360度回転、トラックの上約20フィートの長さの4本の共ダイポールを持つ水平梁が3段。こんなアンテナは、恐らくMark229よりも狭いビーム幅である。


最近の情報では、1944年設計の乙野戦用というのが存在して、それは「4式レーダー」と命名されている。沖縄で捕獲したこのレーダーに関するネームプレートやドキュメントは、乙の特徴が含まれていないが、4式の特徴や、装備が岩崎通信機製で他の乙野戦用と同じ製造メーカーである事実を見るに、4式は陸軍の乙シリーズであるようだ。4式というのは、移動式(Mobile)早期警戒レーダー乙で、日本語の資料では索的範囲は250から300kmである。捕獲した資料では、3基の移動式早期警戒乙が、この4式の見つかった沖縄に配備されている。

ドキュメントから、4式はパルス再発レートが375cps(サイクル/秒)で、乙野戦用は750である。4式のアンテナは6段の共ダイポールで、乙野戦用は3段である。索的範囲も4式は300kmで乙野戦用(Field Use)は200kmである。つまりより範囲が広く、低いパルス再発レートである。4式の送受信装置は恐らくトラックで運搬して、恐らく操作もトラック上で行う。しかしアンテナは乙野戦用と違って地上に設置される。これはサイズと大きさの関係かと思われる。


船舶用:

フィリピンのルバングとボリナオで地上配備されているのが見つかった。
船上と陸上と共用可能なようである。

約100メガサイクル、パルス再発レートは500か1000で、要地用と移動用と同じであるが、機器の配置と回路は、他の乙レーダーとは違う。

受信アンテナは、2列の共ダイポール、1列は53インチのダイポールが2エレメント
Drivenエレメントは後ろで反射器と共用。他の乙のアンテナとは違う。





乙レーダーの生産

岩崎通信
Mark230Model1、Mark231Model1、Type4

東芝
船舶用




性能表より


野戦用:
 230号1型 100Mcs 750cps 50KW
 231号1型 同上
目盛上の距離 200km
探知能力 150km(編隊)
精度 ±5°、±5km
ビーム幅 15°(左右)

アンテナ
4本の水平共ダイポールアンテナと同じ形のリフレクタが3段。平行ライン給電。送受信共用アンテナで、配線に切換ボックスがある。受信機器を積んだトラックに搭載し360度回転。3本の水平梁はそれぞれ長さ20フィートで、全体の高さは約20フィートである。


移動用:
4式 92〜108Mcs 375cps 50KW
目盛上の距離 300km
ビーム幅 25°(左右)

アンテナ
トラックで運搬するが、設置は地上。4本の水平共ダイポールアンテナと同じ形のリフレクタが6段。アンテナは16フィートの塔の上にあり、全体の高さは50フィート。6段の水平梁の長さは20フィートで、5フィートの間隔が空いている。機械もしくは手動での回転が可能。小型の補助アンテナもまた使用可能である。


船舶用:
名称不明 100〜106Mcs 500or1000cps
目盛上の距離 150or300km

送信アンテナ
全方向送信可能。229号の53インチのダイポールアンテナに近い。

受信アンテナ
360度、ワードレオナード方式で回転。アンテナは水平共ダイポールアンテナ2本と同じ形のリフレクタが2列






戦略爆撃調査団資料[3]より

タチ7とタチ18:
陸上用、移動式、早期警戒、周波数100mcs

これらは陸軍のレーダー配置図で厳密に分類しておらず、共に移動式早期警戒機とされている。どちらもトラックに発電機と共に分載して移動できるように設計されている。どちらも同じ周波数で、アンテナの形状以外も殆ど一緒である。タチ18のアンテナはタチ7と似ているものの6基の水平エレメントを持ち、一方タチ7は3基である。タチ7は航空写真で南方諸島と南西諸島にあるのを認識している。これらは余り良く知られていないのと、自然カモフラージュが良く使用されていた為に認識が難しかった。またこの装備は、時折土塁で覆われた場所に配置されることもあった。知られている限り、タチ18は航空写真からは殆ど発見されていない。きわめて少数しか配備されなかった(※)。

(※)徳田八郎衛の「間に合わなかった兵器」[9]では、タチ7の生産数の方が小数生産だったとしている。ただこの記述の元となるソースが記載されていないので、どちらが本当か不明。




岩崎通信機の社史[10]より

当社におけるレーダの試作研究は、かつて早稲田大学の研究室でテレビジョンの研究を行っていた早川技師長が中心になって進められた。早川技師長の電波技術に対する豊富な知見と、技術陣の血のにじむような努力が効を奏し、昭和19年の春には試作製品が完成した。
さっそく陸軍防空学校(千葉県稲毛)において各社の試作品のテストが行われたが、当社のものが最もよい性能を示した。岩崎式電波警戒機と命名されたこのレーダは、激しさをます空襲にそなえて全国各地に設置されることになり、当社に増産命令が出された。
その後改良が加えられ、トラックに組み込まれた送信車、受信車、電源車、属品車の4台を1組とする車上用型移動電波警戒機からさらに進んで分解空輸可能型の移動式電波警戒機が完成した。この移動式のものが最初に使用されたのはフィリッピン戦線で、当社から6名の社員が整備要員として現地に派遣されていたが、うち3名は激戦のつづく戦場で戦死した。当社社員の最初の戦争犠牲者であった。
この間電波警戒機の試作以来、機種転換まですべての原動力となって奮闘した早川技師長は20年3月m全社員からその功績を惜しまれつつ逝去した。





車載式の超短波警戒機乙には大きく分けて2種類あるようで、
 ・車載式野戦用 タチ7(英語ではField Use)
 ・車載式移動用 タチ18(英語ではMobile)
となっている。
日本語の資料には出てこないが、野戦用の型番は試製230号1型もしくは試製231号1型であり、230号は初期型で、殆どは試製231号1型であったようである。また移動用は4式という制式番号がふられていたようである。

この2種類の違いだが、日本無線史[1]や米軍資料[2]、岩崎通信機の社史[10]の記事を見て推測するに、野戦用は前線の移動と共にそれに追尾することを考慮して製作された為に、4台のトラックに全ての機材を搭載し、素早く展開・撤収を可能とする為にトラックに搭載したまま運用を行うものであったが、実際に運用を行ってみると戦局から一度配置するとそのまま固定だった為にトラックは不要であり、また資材不足もあり、更に移動をトラックに限定せず航空機や船舶による運搬も可能となる為、野戦用のトラック抜き版として移動用を開発したのではないだろうか。重量を比較すると、野戦用は18トン(自動貨車4台共)で移動用は4トン。この差14トンはトラック4台分の重量としては違和感はないように思われる。
そして野戦用の場合はトラック上にアンテナを搭載していた為に高さの制限がありアンテナは3段だったが、移動用になり地上にアンテナを固定するようになると制限が無くなり、6段の高いアンテナを装備することができるようになったのではと思われる。

米軍資料[2]を見るに、移動用は野戦用よりも機器の機能も向上していたようで、探知距離が最大200kmから300kmに上がっている。






(2) 機器

(2A)機器(移動用)





岩崎通信機の社史に掲載されている写真[10]


沖縄で捕獲された野戦用の写真[2]


左:野戦用、右:移動用のアンテナ部、(左右共に[3]


左:移動用(4式)のアンテナ(拡大図はこちら)、右:移動用(4式)の小型補助アンテナ、(左右共に[11]

岩崎通信機の社史[10]には、アンテナの形状が全く異なった機種の写真が掲載されている。試作型のアンテナ?という推測もできるが、このアンテナの形状はレーダーアンテナというよりも通信用アンテナであり、恐らくは機密の関係からダミーのアンテナを搭載したものを写真撮影したのではないかと思われる。

移動用の資料は野戦用よりも更に少ない。アンテナの図面は捕獲したマニュアルの物として米軍資料[11]に出てくるが、写真は戦略爆撃調査団の資料[3]の中に辛うじて1枚だけ小平学校(?)にあるアンテナの写真があるだけで、しかも実戦配備の状態で無い為に、実際にどのように配備されていたのかは不明である。






(2B)機器(たぶん船舶用)





左:受信アンテナ、右:半地下式の受信施設、(左右共に[12]


左:受信アンテナ基部、右:同左内部のセルシンモーター等、(左右共に[12]


左:受信アンテナの接続部、右:受信アンテナの回転接続部、(左右共に[12]


左:方位セルシンメーター?、右:同左裏側、(左右共に[12]


左:ワードレオナード式アンテナ回転装置の整流器、右:アンテナ回転装置のコントローラー、(左右共に[12]


左:アンテナ回転装置のコントローラー、右:受信施設の内部、(左右共に[12]


左:受信機、中:同左内部、IF変換機?、右:同左のRF部分の拡大?(全て[12]


左:70mm指示器前面、右:同左側面(左右共に[12]


左:モジュレーター、右:同左底面、(左右共に[12]


左:パルス・テストオシレーター、右:同左頂部、(左右共に[12]


左:送信アンテナ、右:発電所内部、(左右共に[12]


配置図 A:受信所、K:受信アンテナ(工事中)、B:発電所、C:送信所、D:送信アンテナ、E:恐らく通信所、F:受信所、J:受信アンテナ、([12]

ルバングとボリナオで捕獲したというレーダーの写真だけが米軍資料[12]に載っていた。形式が書かれていなかったが、別の米軍資料[2]で船舶用がルバングとボリナオで見つかったこと、また船舶用は送受信のアンテナが別で、受信アンテナの回転がワードレオナード方式であると記載されており、これと写真の説明文とを比較した結果、これらの一連の写真のレーダーは船舶用かと思われる。

ついでに一緒に載っていた配置図も付けておく。船舶用は要地用と同じく1ヵ所の送信所に対して複数の受信所を配置する方式のようである。

国内では、第35航空情報隊の配置図[2]から神志山(三重県)に、また別資料[14]から第32航空情報隊の姉ヶ崎1(工事中)、勝浦1(未使用)、箱根1、山中1、平磯3、石岡1(工事中)、松崎1、栃木1(工事中)、諏訪1にあった事が判る。
一ヶ所くらいは探索してみたいが、どこも遠いなぁ。







(3)立地、建物など





左:鞆?の位置、右:Aが基礎


左:基礎Aを北西方向から、右:基礎Aのアップ


野戦用及び移動用の施設跡の探索は鞆(広島県福山市)のみであり、しかもここが警戒機の基地であったという確実な裏付もまだ無い。
そんなあやふやな状態ではあるものの、この遺構跡には88式7cm野戦高射砲の基礎と全く同じものが、ただ1基のみ確認できている。基礎の位置や数、また高射砲の配備の記録から、この基礎が高射砲のものでない可能性が高く、また野戦用の写真からおぼろげに確認できる形状から、野戦用及び移動用のアンテナの基礎部分には88式7cm野戦高射砲のそれを使用していたのではないかと推測している。
ただ、あくまでも仮定の上の推測でしかなく、これから幾つかの基地跡を探索し、同様の遺構が無いか調査して行かなければならない。






参考文献
[1] 「日本無線史」 1951年、電波管理委員会
[2] 「JAPANESE GROUND EQUIPMENT REPORT No.18, RATEL No.12, THE JAPANESE ARMY B RADAES, 27 July 1945」, The Military Intelligence Division, U.S. War Department、国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R55 605-617
[3] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[4] 「Photograhic Interpretation Handbook - United States Forces, Japanese Electronics 15 March, 1945」, Photographic Intelligence Center, Division of Naval Intelligence, Navy Department, 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R64
[5] 「(写真資料)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB13 R315、R316
[6] 「要地用超短波警戒機 試製229号50-3型」 防衛省戦史資料室(中央 軍隊教育 典範 通信機器 195)
[7] 「要地用超短波警戒機受信装置説明書」 アジア歴史資料センター、リファレンス番号:A03032150400
[8] 「海軍レーダー徒然草」 http://www1.odn.ne.jp/~yaswara
[9] 「間に合わなかった兵器」 徳田八郎衛著 光人社刊
[10]
岩崎通信機 社史
[11]
「Current Statement, Radar Counter Measures - Japanese Type4 Early Warning Radar」, GHQ Southwest Pacific Area Office of the Chief Signal Officer、国会図書館憲政資料室、マイクロフィッシュ番号:WOR7662
[12] 「A Brief Summary of Japanese Radar(19 Aug 1945)」, GHQ Southwest Pacific Area Office of the Chief Signal Officer、国会図書館憲政資料室、マイクロフィッシュ番号:WOR7662-7664
[13] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)
[14] 「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery」, GHQ USAFPAC AAA Research Board、国会図書館憲政資料室、マイクロフィッシュ番号:WOR9670-9675









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