日本海軍の陸上用レーダー
2007.6.9 新設
2010.5.24 色々追加、修正
2016.9.8 12号に写真リンク追加
2018.9.9 全面リニューアル
はじめに:

 陸軍にしても海軍にしても、レーダーの名前が記号的で、名前から機器の外見や特徴がパッと思いつかない。海軍の防空砲台関係の資料を見ていても、3式1号1型改1だ何だと書かれているとさっぱりである。

 そこで、詳細な解説は海軍レーダー徒然草や「間に合わなかった兵器」(徳田八郎衛/著)に任せるとして、海軍の特設見張所や電波探信所を見てゆく為に必要な電探の最低限の事象、主に外見やその配置場所の特徴に絞って、簡単に説明して行きたい。もちろん、防空砲台関連資料なので、陸上用の対空早期警戒と対空火器管制の2つに絞りたい。



目次:

ややこしい名称について

警戒用電波探信所の立地
射撃用電波探信儀の配置

日本海軍の陸上用レーダー一覧(対空早期警戒)
日本海軍の陸上用レーダー一覧(対空火器管制、海上見張・対艦射撃)


参考文献・リンク




(高射砲陣地と防空砲台のホームページに戻る)


注意:印刷はChromeを推奨。Firefoxは印刷がおかしくなります。
ややこしい名称について

 日本の内部ですら、幾つかの名称がある。このややこしさが電探を難しくする要因の1つであるといってもおかしくない。
一応正式には(外部的?)、以下のルールで名前が付けられている。

(1)式:
制式の年数。英語ではType

(2)号:
海軍では用途によって分けていた。英語ではMark
 1号:陸上見張用
 2号:艦上見張用
 3号:艦上対艦射撃
 4号:陸上対空射撃
 5号:平面図形表示器(PPI)付
 6号:陸上味方機誘導用
 その他:機上用等は記号表示(H-6など)

(3)型:
型式。形状や形態による。英語ではModel

(4)改:
改造、小変更等。英語ではModification

例えば、「2式1号1型改2」だと、紀元2602年制式、陸上見張用電探、1型、2回の改造を施したもの、ということになるだろうか。


(5)通称:

 そしてややこしい事に、内部では11号とか12号、13号といった通称でも呼ばれている。これは上記の名称から制式を取って数字を繋げたもののようで、「2式1号1型改2」だと11号(もしくは11-2号?)となり、13号は「3式1号3型」の通称ということになる。また対空射撃用等ではアルファベットを使用した独特な番号を付けている(S3、L2など)。本当にややこしい。

 英語の文献では、長ったらしいのが嫌なのか、こちらの短縮名称を用いているものが多い。
警戒用電波探信所の立地

 特別見張所(戊)の施設標準(昭和20年4月)[6]には以下の7項目が挙げられている。

@四周が開けている
A主方向に山などの反射物が無い
Bなるべく高所である
C背面に反射物がある場合は緩やかな斜面でこの反射物を見えないようにする
D電子機器への影響が少ない場所(温度が低い、風が当らない、雪の吹き溜まりがない、海岸から少し離れて海水の飛沫が届かない)
E部外電線・有線通信が利用しやすい場所
F燃料・食糧・飲料水の調達がしやすい場所

 ちなみに米陸軍の資料[7]においては、早期警戒レーダー(SCR-270、SCR-271)の設置場所として「平らで海面と同じ高さの場所」を推奨している。


 電波探信所には複数のの電波探信儀が設置される事が多かったが、この場合はなるべく電波探信儀同士の間隔がなるべくなら100m以上、最低でも50m以上は開けるようにとの指示がある。
 また電波探信所に付属する施設としては、以下のものがあげられている。居住施設以外は全て基本的に地下式で防弾構造となっている。
表1:電波探信所の施設一覧
施設名 記事
電探所兼
指揮所
電波探信儀の付属機器類と、指揮卓や電話などが備えられていた。広さは10〜15平方メートルくらいである。
電源所 3式1号3型、2式1号1型では、電探1基につき3KVAのガソリン交流発電機1台くらいが割り振られていた。より多くの電力を必要とする場合には、15KVAのディーゼル交流発電機が配備されたようである。広さは、6KVAガソリン交流発電機2台の場合で18平方メートルである。
電信所兼
予備指揮所
無線通信機が配置されていたり予備の指揮所が設けられており、広さは15平方メートルくらいである。
燃料庫 発電機用の燃料庫。6KVAガソリン発電機2基で18平方メートルくらい。
居住施設 電波探信儀4基編成で約80名、3基で70名、2基で約60名が割り振られている。
射撃用電波探信儀の配置

 S3やS24等の射撃用電探の場合は、一般的に防空砲台に所属する。電探を設置する条件として、防空砲台施設計画並に実施要領(昭和20年5月)[5]には以下の事項が挙げられている。

@半径40km以内に固定電波反射物がなるべく存在しない場所を選ぶ
A山上の方が固定反射物の影響が大きいので、なるべく山上は避ける
B周囲の固定反射物の影響が大きい場合には、遮蔽する地形を選択するか、反射波遮蔽用の掩体を構築する
C精度の問題から砲座と電探の間はなるべく近くするが、ただし発砲による爆風の関係上砲座と電探の間隔は80m〜100mとし、80mを切る場合には射角制限を行う
D同じく精度の問題から電探と高射機(器)の間もなるべく近くして射撃指揮官が電探を通視できるようにするが、高射機の視界を妨害しないようにする
E電探のアンテナと高射機との高低差はなるべく10m以内にする
F電探の固定反射波遮蔽用掩体は半径約30mとし、窪地による場合は斜面1.5度以下、またアンテナから固定反射物への仰角は3〜7度以下(平地の場合は2〜3度)となるようにする(下図)
G電探の半径30m以内は滑らかにして反射を抑えるが、潅木や雑草による偽装は行う
Hアンテナ中心から仰角5度以上の範囲の樹木を伐採する
I電探の基礎は計測値に誤差が入らないように堅固に構築する



図1:固定反射波掩蔽用掩体、もしくは窪地の断面



 この特徴的な射撃用電探用の円形窪地だが、呉周辺の防空砲台では、高烏螺山に残っている(現在は埋められてしまったものの徳山の太華山にも存在していたし、倉敷の玉島にもそれっぽいものが写っている)。ただし大きさは資料に書かれているように半径30mもあるところは殆どなく、比較的大きい螺山の円形窪地でも、半径20m程である。



左:螺山砲台、中央にアンテナが残っている、右:太華山砲台
薄青色が円形窪地の範囲、薄赤色が砲座



左:高烏砲台、右:倉敷の玉島砲台


 米軍のレポート[2]の中にも、S24、S3の特徴としてコーヒーカップの敷皿(ソーサー)の形状をした円形地形の中心に設置されることが多く、この為に航空写真での判別が楽であると書かれている。米陸軍の資料[7]では、S3の元になったSCR-268の設置場所として「なるべく高所で、半径100ヤード(約90m)が平らな場所を選択すべきである」とある。ちなみに波長の短いセンチ波の射撃用レーダー(SCR-545、584)に関しては、「出来る限り視界の良い場所」としか指定していない。
日本海軍の陸上用レーダー一覧
(対空早期警戒)[1]
表2:対空早期警戒レーダー
正式名称 通称 用途 形状 開発
期間
稼働
※1
波長
出力
最大
有効
基礎
直径
備考
3号 RD 警戒 - 41/11
-42/10
× 5m/0.5kw 200km 海軍版の警戒機甲
2式1号1型 11 警戒 マット
/一体
41/4
-42/3
× 3m/5kw 150
/150
212cm
x8本
初の成功作
2式1号1型改1 11-1 警戒 マット
/一体
41/11
-42/5
× 3m/5kw 150
/150
2式1号1型改2 11-2 警戒 マット
/一体
42/5
-43/5
3m/40kw 300
/200
大幅な設計変更
2式1号1型改3 11-3 警戒 マット
/一体
43/5
-43/7
3m/40kw 300
/200
試作対空警戒 11-3改 警戒 マット
/一体
45/1
-45/5
3m/40kw 300
/200
11号の出力強化版
3式1号1型 11-K 中型警戒 マット
/一体
43/5
-43/10
2m/10kw 300
/150
11号の後継だったらしいが…
2式1号2型 12 移動警戒 マット
/一体
42/4
-42/12
1.5m/5kw 150
/100
137
x6
艦上用21号の陸上版移動式
2式1号2型改1 12-1 移動警戒 マット
/一体
43/8
-43/12
2m/5kw 150
/100
送受信一体アンテナ版
2式1号2型改2 12-2 移動警戒 マット
/一体
- - 2m/10kw - 中身が13号
2式1号2型改3 12-3 移動警戒 梯子
/分離
43/12
-44/4
2m/5kw 300
/150
梯子型アンテナ版
3式1号3型 13 小型警戒 梯子
/一体
43/4
-43/8
2m/10kw 150
/100
成功作、数も多い
3式1号3型改1 - 小型警戒 梯子
/一体
- 2m/10kw 150
/100
機器小型化
仮称1号4型 14 大型警戒 八木
/一体
45/1
-45/5
6m/100kw 550
/450
212
x8
最新の長波レーダー
仮称6号3型 63 警戒? マット 45/1- 開発中 3m/40kw 300
/200
ブロードバンドアンテナ
3式空6号4型 H-6 警戒探索 八木 41/11
-42/8
2m/3kw 150
/110
機上用だが一部地上でも使用
日本海軍の陸上用レーダー一覧
(対空火器管制、海上見張・対艦射撃)[1]
表3:対空火器管制、海上見張・対艦射撃レーダー
正式名称 通称 用途 形状 開発
期間
稼働
※1
波長
出力
最大
有効
基礎
直径
備考
仮称4号1型 S3 射撃 八木
/分離
42/8
-43/8
150
/20
米陸軍SCR-268のパクリ
仮称4号2型 S23 射撃 八木
/分離
-
仮称4号2型改2 S24 射撃 八木
/分離
43/1
-44/10
150
/20
仮称4号3型 L1 SLC 八木
/送受
43/1
-43/4
× 150
/10
照空用電探
仮称4号3型改1 L2 SLC 八木
/送受
43/1
-44/4
70/15 113
x6
67.5
x6
照空用電探
仮称4号3型改2 L3 SLC 八木
/送受
44/4
-45/7
150
/20
照空用電探
S8A S8A 射撃 パラ
ボラ
44/9
-44/12
33
/25
ドイツ系列
仮称6号1型 61
/S8B
射撃 パラ
ボラ
44/12
-45/4
開発中 130
/50
元々味方機誘導用
仮称2号2型? 22 海上見張 ラッパ 42/12
-44/9
10cm/2kw 60/25
(BB)
艦載用。陸上に転用?
仮称3号1型 220 対艦射撃 パラ
ボラ
44/2
-45/3
10cm/2kw 60/35
(BB)
仮称3号2型 105S2 対艦射撃 ラッパ 44/2
-44/9
10cm/2kw 60/30
(BB)
156x6 ラッパ3個
仮称3号3型 105S1 対艦射撃 ラッパ 44/5
-45/1
中止 10cm/2kw 60/28
(BB)
対艦射撃
3号(RD)

波長:5m
ピーク出力:500w
[1]

 このレーダーの開発は1942年には完了していた。小数が配備されたものの運用は上手くいかず、配備計画は中止されてしまった。 [1]

 その外の地上用捜索レーダーに3号がある。この装置はドップラー原理を利用したものと思われるが、広く使用されなかったようである。[11]


 この装置は波長5m〜7mの持続電波を発射し、送信点と受信点とを結ぶ警戒線上及びその付近にある飛行機からの反射波に基く干渉作用に依る受信強度の変調により探知する方式で、飛行機の飛来は明瞭に探知出来、且単機及び編隊の判別も可能であり、能力は警戒線の左右10km、警戒線の長さ110kmまで取り得る程度のものである。陸上用及び艦船用として計画され、数十台試作したが、陸上用としては1号1型の作動が確実になって来たことと、本機に依るときは目標の位置を判断することが困難なため、整備に至らず中止された。受信装置だけを装備して、見張りが出来、簡単であるので、艦船用は監視艇に装備し、海面上警戒網を張るよう計画され、二回に亘る実艦実験を行ったが、艦の動揺のため受信強度が変化し、飛行機の反射に依る変調との識別困難のため、昭和17年11月にいたり、計画実施の中止を命ぜられた。[8]


要は、陸軍の超短波警戒機甲の海軍版のようである。

2式1号1型(11号)

図は2式1号1型改2のもの



左上、右上、下:ガダルカナル島の11号?、[9]より


左右:父島の11号の基礎部
[10]より


波長:3m
ピーク出力:改0、改1: 5kw、改2、改3: 40kw
パルス長:20ms(micro seconds)
パルス繰返数:改0、改1: 1000cps、改2、改3: 500cps
[1]

 これは、最も広く使われた早期警戒レーダーの一つである。初期モデルは、ガダルカナルタイプと呼ばれている。最初の型は1942年初頭に完成し、設計の改良はそのすぐ後に行われている。大きな設計の見直しが1943年の中頃に行われ、「改二」と命名された。この見直しによってより頑丈な構造になり、また特に出力が増加した。改3は改2と似ているが、幾つかの小さな改良が施されている。見た目は11、11-1、11-2、11-3共に同じで、8m×5.5mの大型の板型アンテナ2枚が、コントロールルームに装着されており、それごと回転するようになっている。表示はAスコープが用いられていた。[1]

 このレーダーは大きなマット型アンテナと中央にある小屋がくっついているという一般的な形状の為に、航空写真から判別しやすい。他のレーダーと比べても、特にしっかりと写っている。丘の位置や、地面の傷、小道や道路といったもの全てが11号を判別する手がかりになる。網や自然物によるカモフラージュが施されている事もあったが、識別に影響する事は滅多になかった。[2]


 この装置は山彦の原理を利用したもので、衝撃的に短時間だけ波長3mの電波を発射し、それが飛行機に反射して戻って来るまでの時間を測定して、その飛行機までの距離を測定するものであって、集射空中線を用いて電波を空中線の正面の方向に発射し、この空中線を回転して、目標を捜索する方式である。従って目標の大略の方向と距離が測定出来るものである。
 この装置は開戦直前の昭和16年10月、三浦半島野比海岸で実験が行われ、次いで同年11月から12月にかけて千葉県勝浦灯台の近くに海軍技術研究所が急設した見張所に、正式製造の第一号機を装備し、海軍通信学校と協力実用実験を行い、その成果に基いて本兵器の緊急整備が命ぜられたのである。即ち同年12月末までに50台の試製を要求せられ、海軍技術研究所は、住友通信工業株式会社と協力し、関係者一同必死の努力を以てこれに当った。  当時は取扱者の教育も未着手の状況であったので、研究者がその機械に附いて現地に赴き、装備並びに調整しつつ使用することとした。本装置は超緊急作業であったために部品等に対する吟味も充分に行い得ず、取敢えず入手し得るものを使用したような始末であった。
 その後太平洋戦争の進展と共に、戦線は遠く南方に延び、南洋群島方面、ラポール方面、蘭印方面及び内地の要地数ヶ所に装備された。昭和17年2月頃には、一応の装備工事は完了したのではあるが、故障続出し安定に作動するもの皆無の状況であった。このため最も故障の多かった指示装置及び受信機を改善して安定したものを作り、海軍技術研究所からこれらの部品並びに他の故障の多い部品を携えた修理隊を編成派遣せしめられた。その結果漸く昭和17年9月頃から、逐次使用可能の状態に入ったのである。これが我が国に於ける電波探信儀実用の最初であった。
 この兵器の探知能力は、艦上攻撃機単機に対し、70km程度のものであった。その後昭和17年末に至り、送信真空管を改良し、送信能力を増大したものが製造された。これは一号電波探信儀一型改一と呼称された。従来のものは装備済のものも未装備のものも逐次改一に改造された。この型の欠点は、回転装置の重量が過大であり、且つ、送信機の容積も大きく、量産に多大の資材と労力を要し、又特殊な大型工作機械を必要とする等の点があり、製造上種々の隘路が続出するばかりでなく、運搬並びに装備も亦仲々容易でなかったので、戦争が苛烈となるに伴い、新装備は殆ど不可能となり、百数十台は製造されたが、昭和19年末に至り中止となった。[8]
電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

二式一号電波探信儀一型 略号:UF-110、波長:3m、送信出力:5KW
空中線:甲一型(H5x2、H5x2 上下配置)
陸上基地用大型固定式。No.1よりNo.50迄あるも、大部分の改良せられ、UF111となる。現在製造中止。

二式一号電波探信儀一型改一 略号:UF-111、波長:3m、送信出力:5KW
空中線:甲一型(H5x2、H5x2 上下配置)
送信機を改造し、旋回盤を「ワードレオナード」方式をに改めたるもの。一部旋回盤に甲一型(注:旋回盤の型式)のものあるも、甲一型改一に換装するを建前とす。現在製造中止。

二式一号電波探信儀一型改二 略号:UF-112、波長:3m、送信出力:30KW
空中線:甲一型改一(送H2x4、受H3x4 左右配置)甲一型の各素子の接続を変更したるもの。空中線特型と称せるもの。
空中線の送受横配列とし送信機の出力大なる乙一型とせるもの。台数僅少にしてUF113に移行す。現在製造中止。

二式一号電波探信儀一型改三 略号:UF-113、波長:3m、送信出力:30KW
空中線:甲一型改一(送H2x4、受H3x4 左右配置)甲一型の各素子の接続を変更したるもの。空中線特型と称せるもの。
UF112の指示装置を簡易化せるもの。現在生産中の型。



試作対空警戒電波探信儀?(11-3改)

波長:3m         ピーク出力:40kw
パルス長:20ms      パルス繰返数:500cps
アンテナ:送受信兼用

 このレーダーは2式1号1型シリーズを再設計したものであり、1945年6月に開発が終了していたにも関わらず、使用されることは無かった。送受信に1つのアンテナを共用しているものの、平面でのロービング(lobing)は受信の間だけしか用いない。方位角での精度は、±1°と書かれている。また送信時にシングルローブにするとより周波数が安定し、また高出力のローブ切り替え機の製造が難しかったとの記述もある。この装置は外見が11シリーズに似ており、アンテナとコントロールルームとが回転する構造になっている。3つの表示装置が使われており、Aスキャンが早期警戒用に、ピップマッチング(pip matching)が方位角、また拡張正弦スキャンが距離を表示していた。[1]

3式1号1型(11-K)



アンテナ部のみ


波長:2m       ピーク出力:10kw
パルス長:20mc    パルス繰返数:500cp
アンテナ:送受信共用

 これは海岸での装備を考慮した中型の対空早期警戒レーダーである。高さ方向に5つ、横方向に4つのダイポールアンテナが配置され、旋回できる構造になっている。コントロールルームと装備機器は普通はアンテナの近くの地下に置かれた。表示はAスコープが使用された。[1]

 11Kが初めて発見されたのは、南大東島の高倍率高精度の航空写真であった。戦争を通じて日本全土において8基しか設置されておらず、その多くのコントロールルームが地下に作られ、小さなアンテナしか地上に出ていない。その為に普通の倍率の航空写真からは殆ど判別できず、連絡用の塹壕の配置などで判断するほか無い。
アンテナの幅は約4.5m、高さは約5mである。[2]

 防衛省戦史資料室の資料[19]に設置時の写真が多数含まれていた。複写禁止でカメラを忘れたので撮影できなった。



電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

仮称三式一号電波探信儀一型 略号:UF-114、波長:2m、送信出力:15KW
空中線:甲八型(H4x5 送受共用)
波長を2mとし空中線を送受共用とし探信室を耐弾式半地下構造(丙一型)のものを利用し得る如くせるもの。現在生産中の型。
2式1号2型(12号)



図は2式1号2型改3のもの[1]


左右:トラック島の12号電探、[16]より


左:トラック島の12号電探、[16]、右:足摺岬の12号のコンクリート基礎?

ボルネオ島バリックパパンで放棄された12号電探の 写真1写真2[18]

[10]より

波長:2m(改0は1.5m)    ピーク出力:5kw
パルス長:10ms       パルス繰返数:1000cps(改3は500cps)
アンテナ:送信、受信分離
[1]

 これは軽量、低出力、移動式の装備である。改2では送受信を一つのアンテナで行う複式システムに変更されたものの、最新の図面ではまた分離式アンテナに戻されているところを見ると、明らかに機能が不充分だったようである。この装備は艦上用の2式2号1型と良く似ており、また多くのユニットを共用できた。表示にはAスコープが使われていた。[1]

 これは艦上用21号レーダーの地上版である。12号は11号や13号に比べると余り使用されていないにも関わらず、中部太平洋のマーシャル諸島で捕獲されて以来、何度も遭遇している。このレーダーは、普通は高地の土塁に囲まれた部分や、コンクリート製の建物の屋根の上に配置されている。一応移動式のレーダーだが、同一の場所に長期間置かれたままになっていることが多い。初期型の12号は、小さなマットレス型アンテナがトレーラーの片側に装着されており、小屋とアンテナが一緒に回転するようになっている。このレーダーは戦争期間中の長い間使用されていた。
12号の最新改良型は、それまでのマットレス型アンテナに代わって、トレーラーの屋根の部分に2本のダイポールアンテナの柱(13号のアンテナに似ている)が建っている。トレーラーの小屋はオリジナルの12号と同じである。
アンテナ1本の高さは4m、幅は2mである。
[2]

 この装置の原理は全く一号一型と同じであるが、小型移動用とするため、波長を1.5mとして、送信機及び空中線を小型にして、全装置を牽引車上に装備したもので、道路の良い場合には牽引車に依って移動可能である。この装置の性能は、輸送機単機に対し、大約90km、測角精度5度と云うものであった。戦争の初期にはラポール、アンボン、クーパン等前線にも進出したが、戦況が苛烈になるに従い、運搬に非常な困難を感ずるようになった。寧ろ性能は落ちても飛行機又は大型発動機船に依って運搬され、又は分解して人力に依っても運搬可能なものが、要求されるようになって来た。かくして結局この装置は中途半端な存在と化し、200台程度の製造を以て打切りとなった。[8]

 牽引車から降ろして地上のコンクリート基礎に据えたものもあったようである。これが12号電探の物であるという裏付はまだ取れていないが、足摺岬に残っているこの基礎には直径約138cmの円周上に6本のアンカーボルトが植えられている。



電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

二式一号電波探信儀二型 略号:UF-120、波長:1.5m、送信出力:5KW
空中線:甲二型(H6x2 上下配置)
被牽引車上に搭載移動の性を与えたるもの。現在製造中止。UF-123に移行。

二式一号電波探信儀二型改一 略号:UF-121、波長:2m、送信出力:5KW
空中線:甲九型(H5x3 送受共用)
UF120の波長を2mとし安定度性能を向上せるもの。現在製造中止。

二式一号電波探信儀二型改二 略号:UF-122、波長:2m、送信出力:10KW
空中線:乙二型(H4x4DR 送受共用)、乙一型(陸上用)と同様の方式のもの、固定装備。
UF120の電探室内にUF130の装置を入れたるもの。現在製造中止。

二式一号電波探信儀二型改三 略号:UF-123、波長:2m、送信出力:5KW
空中線:乙二型改一(H2x4DR、H2x4DR 左右配置)、乙二型と同じ。接続を変更せるもの
UF120の波長を2mとし空中線の簡易軽量化せるもの。現在生産中のもの。
3式1号3型(13号)



アンテナ部のみ[1]



トラック島の13号電探、[16]より


函館の13号電探、[15]より


函館の13号電探、[15]より


函館の13号電探、左:電探室、右:発電所、[15]より


潮岬の13号電探、[15]より
[10]より


波長:2m       ピーク出力:10kw
パルス長:10ms    パルス繰返数:500cps
アンテナ:送受信兼用
[1]


 これは最も多い対空警戒レーダーであり、軽量で設置がしやすかった。表示はAスコープを使用している。1943年10月には開発が終わっていたが、かなりの数量が貯蔵されており、陸上と艦上に装備されていた。[1]

 アンテナは回転する垂直マストにダイポールアンテナが付いており、これが陸上用の場合はコントロールルームの屋根に装着されるか近くの地上に建てられ、ワイヤーを張って補強している。このマストは半完成品で生産され、現地で組み立てられるようになっていたが、場所によっては安普請のマストが使われている所もあった。
 13号は、よく知られている型のレーダーの中で、最も航空写真から判別しにくいレーダーである。普通使われているスケールである、1:7500から1:10000の倍率では、アンテナマストの影は判別できない為に普通は観察できないものの、高解像度の写真では、その独特の影から判別しやすくなっている。一般にこのレーダーの写真判別は、付属建物の形状と地上の一般的な配置から行うが、カモフラージュされた付属建物の識別は難しい。
 アンテナ部は幅2m、高さ3m、柱の高さは8mである。[2]


 この装置は波長2mを使用し、送受信機及び指示装置を極力小型軽量化して人力可搬の要求に合致し、最前線に於いて道路無き処でも運搬し且つ簡単に装備して作動せしめ得るよう設計されたものであった。飛行機に対しては1.5mよりも2mの方が性能良しとの判断の下に、研究が行われたものであるが、性能は極めて良好で、一号二型を遥かに凌駕するものであったため、整備の主力が、この装置に向けられ、戦争後半は対空見張用に関する限り、本装置の装備に全努力が傾倒された。(以下、艦艇用は略)[8]



電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

仮称三式一号電波探信儀三型 略号:UF-130、波長:2m、送信出力:10KW
空中線:乙一型陸上用(H2x4DR 送受共用)、三角形枠組式木柱に添架せる方式のもの。遠隔操縦装置を併用す。
UF110、UF120系統のものを極力簡単化せるもの。No.1よりNo.158迄。現在製造中止。

仮称三式一号電波探信儀三型改一 略号:UF-131、波長:2m、送信出力:10KW
空中線:乙一型陸上用(H2x4DR 送受共用)、同上。
UF130の送信機の容積約四分の一、重量約三分の一に小型化せるもの。現在生産中のもの。
仮称1号4型(14号)
資料[20]によるアンテナのスケッチ


米軍による予想図?[2]


波長:6m      ピーク出力:100kw
パルス長:20ms   パルス繰返数:250cps
アンテナ:1個、送受信供用

 これは最も最新の長波対空早期警戒レーダーであり、開発は1945年6月に終了した。アンテナは大型構造物で、幅6m、高さ7m、深さ4.7mだった。2要素半波長八木アンテナ4組で構成されており、その裏に、寄生的な反射板(parasitic reflector)の役目を果たしている同じ配列の全波長アンテナが配置されている。[1]

14号探索レーダーは戦争終了時に3ヶ所(石室崎、都井岬、潮の岬)で建設が始まったばかりだった。殆ど情報が得られないまま破壊されてしまった為に、よくわからない。[2]


 この電波探信儀は、B29の編隊を遠距離(500km)に於いて捕捉することを目的としたもので、波長6mを使用し、尖頭出力100KWのインパルスを発射するものである。波長大なるを以て空中線装置には特に苦心せるもので、前後4本を左右2列に配列したものを、更に上下2段に配列した絞射空中線方式を採用した。昭和20年1月より研究に着手し、試作5台の内の3台を、石廊崎、樫野崎及び都井崎の各特設見張所に装備した。昭和20年2月新設された第二技術廠に於いて、研究奨励のため技術感状の制度を設けたが、同廠設立後予定通り研究完成したる唯一のものとして、同年7月19日第二技術廠長から本電波探信儀試製を担当する横須賀出張所研究班に対し技術感状が授与された。[8]


 資料[20]によるアンテナのスケッチを見ると、昭和20年2月とある。幅約4.7m、高さ約7m、前後のアンテナの間隔が6m、木材で組まれている。空中線の上下前後の間隔は記述されていないが、おそらく1/4波長の1.5mかと思われる。旋回盤は11号電探の物を、電探室は11K電探の物を、それぞれ流用するような記述があるが、11号のように旋回盤の真上に小屋を置くのか、11Kや13号のようにアンテナとは別にしつらえるのかは不明。

 スケッチの下には、以下の文章が書かれていた。

・2重2列4段反射器付空中線

・送信饋電線より受信饋電線に分岐する点より4分の1波長の所に放電管を置き、送受信共用とせるものなり。旋回に誘導電動機により1分間に1回転の定速にて回転する。

・饋電線に誘導線使用には回転は±10°程度とする。

・空中線木枠、空中線素子碍子、旋回盤、基礎杭打
仮称6号3型

波長:3m       ピーク出力:40kw
パルス長:20ms    パルス繰り返し数:416.7cps
アンテナ:送受信兼用

試験的なブロードバンドアンテナを使ったレーダーである。[1]




3式空6号4型



左右:アンテナと機器、[9]より



アンテナ図、[9]より


波長:2m       ピーク出力:3kw
パルス長:10ms    パルス繰り返し数:1000cps
アンテナ:送受信兼用
[1]

機上用の6号4型レーダーを地上用としたもの。グアムで発見された。
最大距離:約60km [9]
仮称4号1型(S3)、仮称4号2型(S23)、仮称4号2型改2(S24)




仮称4号1型(S3)[1]



仮称4号2型改2(S24)[1]


長後学校のS3、[2]より


左:長後学校のS23、右:長後学校のS24、[2]より
[10]より




波長:1.5m
ピーク出力:13kw
パルス長:3ms
パルス繰返数:1000cps
アンテナ:分離式

 この2つのレーダーは良く似ているが、アンテナに違いがある。S3には送信用、仰角の受信用、そして方位角の受信用の3つのアンテナがあり、アメリカ陸軍のSCR268レーダーに非常に良く似ている。一方、S24には送信用と受信用の2つのアンテナがあり、ロービングは受信用アンテナで行われる。精度は方位角・仰角共に±1°が期待できた。表示装置はAスコープが測距と捜索に使われ、ピップマッチングが方位角と仰角に使用された。[1]

 海軍の主要な火器管制レーダーはS3、S23、そしてS24である。これらの内、S3とS24が最も一般的に使用されている。これらのレーダは、その形状、性能共に良く似ている。最初に開発されたS3は、フィリピンで日本軍に捕獲された米陸軍のSCR-268のほぼそのままのコピーである。
 海軍の火器管制レーダーは色々な方法で設置されているが、コーヒーカップの敷皿の形状をした円形地形の中心に設置されることが多い。この事実は1944年末には殆どの写真識別員に認識されており、そうした方法で設置されたレーダーを正しく認識していた。しかし中には聴音機の土塁を誤ってこのレーダーだと認識してしまうこともあったようである。この聴音機用の土塁は形状こそ似ているものの、大きさはかなり小さい。[2]



4号電波探信儀1型:

 この兵器は比島に於いて日本海軍が鹵獲した米国のSCR268型から資料を得て設計されたもので、空中線、機器及び操縦手台はいずれも旋回台上に装備され、空中線は送信空中線、方向測定用受信空中線及び高角測定用空中線から成り、いずれも八木空中線であって、同一木枠に取り付けられ、夫々4×4、4×4、2×6素子から成る。波長1.55m、送信出力25KW、高度3000mの水上偵察機単機に対し、確実捕捉距離23km、距離精度上下100m、方向精度上下1度、高角15度以上に於ける高角精度上下0.5度程度の性能を有し、60台製造された。第1号機は昭和18年夏完成し、東京月島7号埋立地に装備され、横須賀砲術学校から派遣された兵曹長を主班とする射撃用電波探信儀実験所研究協力班に依って、充分なる実用実験並びに操法に関する検討を経て、ラボールに運ばれ、昭和18年夏には中央高地砲台に装備実用された。これが本邦に於ける対空射撃用電波探信儀の最初のものである。その後急激に前線への輸送が困難となったため、これ以外は前線装備の機会を逸し、台湾及び内地の砲台に装備され、4号2型改2が出来るまでは実用兵器として使用された。[8]
4号電波探信儀2型:

 この兵器は、シンガポールに於いて鹵獲した英国のSLC装置の資料を、全面的に取り入れて兵器化されたものである、波長1.5m、空中聴音機の架台に送信空中線として八木空中線1素子、受信空中線として八木空中線4素子及び送受信機、指示装置等を装備したもので、4素子の受信空中線を位相環に接続し、位相切換に依り指向性をベクトル式に回転せしめ、方向及び高角を測定する方式のものである。高度3000mの中型攻撃機単機に対し、

確実捕捉距離7km、距離精度上下100m、方向精度、高角精度はいずれも上下1度程度の性能をもっていた。4号1型に比べると、小型軽量であったため、艦船用として設計されたが、能力不足のため、陸上用に振り替えられた。後更に架台を新造し、空中線を大きくし、送信出力を倍加し、測距装置並びに方向切換装置を改良して、4号2型改2を造った。本機は探信能力、測距測角精度共に優秀で、且量産向に設計されたため、メートル波に依る対空射撃用電波探信儀最終型として量産整備されたのである。4号2型の第一号機は昭和17年12月完成、房州館山の館山砲術学校構内に装備され実用実験に移されたが、付近地物からの反射波に妨害されて測定不能となり、この妨害除去対策に苦心したが、このため装備位置選定に対し貴重な資料を得た。その結果、この兵器は主として、平地又は山の凹地に装備された。初期の4号2型としては30台、改1としては20台、改2としては70台製造された。しかし戦局の変化に因り、海軍として実際に装備実用したものは全体として十数台に止まった。[8]



電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

仮称四号電波探信儀一型 略号:UF-410、波長:1.5m、送信出力:15KW、25KW
空中線:丁一型(送信H4x4、旋回受信H4x4、俯角受信H2x6 左右配置)
15KW:電気的に空中線を切替えるもの。No.1及No.2ラバウル及○○に装備のもの。現在製造中止。
25KW:送信出力を増やし機械切換とす。No.3以降のもの。現在生産中のもの。

仮称四号電波探信儀二型(S23 ク改金物) 略号:UF-420、波長:1.5m、送信出力:10KW
空中線:丁二型(送信H3x2、受信H1x1x4 左右配置)
UF410を簡易化したもの。現在生産中のもの。

仮称四号電波探信儀二型改一(S23 日立、芝浦架台のもの) 略号:UF-421、波長:1.5m、送信出力:10KW
空中線:丁二型(送信H3x2、受信H1x1x4 左右配置)
UF420を耐弾装備可能とせるもの。現在試作中。

仮称四号電波探信儀二型改二(S24) 略号:UF-422、波長:1.5m、送信出力:25KW
空中線:未定
耐弾装備可能とせるもの。現在試作中。





仮称4号3型(L1、改1:L2、改2:L3)


左:探照灯(受信機)、右:管制器(送信機)、(図は仮称4号3型改1(L2)のもの)[1]


L1受信機と探照灯、[14]より


L1送信機と管制器、[14]より


[10]より
波長:1.5m
パルス繰返数:1000cps
アンテナ:送信受信分離型
型式 ピーク出力 パルス長
L1 7 kw 4 ms
L2 10 kw 3 ms
L3 13 kw 3 ms

 送信アンテナと方位角・仰角の表示器は探照灯管制器の上に装着されている。4つの八木アンテナで構成されている受信アンテナとローブ切替器、送信機、そして送信機電源は、探照灯に装着されている。その他の機器は、普通は近くの地下室に配置される。この装備の後期型はAスコープを探知に、発展型Aスコープで距離を、そして動点式スコープ(?)に似た表示器で方位角と仰角の表示を行っていた。方位角と仰角での表示精度は±1.5°と書かれている。この装備は恐らくイギリスの初期の製品をコピーしたものである。[1]

 この装置は小さいので、航空写真でこれを認識するのは難しい。アンテナの幅は2m、高さ3m。[2]




4号電波探信儀3型:

 この兵器は、4号2型と同一系統に属しSLC型の資料に基き兵器化されたものである。探照灯面に受信空中線を装備し、送信空中線追尾用指示機を探照灯管制用双眼鏡に背負わせ、送信機を管制機旋回盤に装備したものである。波長は1.5m、有効捕捉距離は高度3000mの中型攻撃機単機に対し20km、方向並びに高角精度上下1度、測距精度上下100mの性能をもっていた。第1号機は昭和18年8月戦艦山城に装備されて、艦船用としての実用実験が行われたが、艦の動揺及び転針時の追尾等種々解決を要する問題が多かったのと、対水上射撃用電波探信儀の立後れのため、艦船部隊の夜間戦闘は、寧ろ回避するを得策とする状態にあったため、この種兵器の熾烈な要望も時と共に薄らいで来た。しかして本機は陸上用に計画を改められ、装備対象たる探照灯も110cm(原文では120cmだが誤り)のものから150cmのものに改められ、空中線を大型とし、測距装置等に改良を加えて4号3型改1が完成された。
 次いで送電電力を2倍とし、精密測距機を付加して4号3型改2を完成した。改2の性能は照射用としては充分なもので照射実験に於いても殆ど照射毎に目標を捕捉し得た程であった。4号3型は50台、改1は140台製造された。しかし照射用としては、改2が優れていたので、これを以て本格的整備を行うことに決定され、終戦までに60台製造された。なお量産の見地から4号3型改2の空中線型式、送信機、受信機、測距機、選択機等は4号2型改2と統一して同一のものを使用することに計画されたのである。

 4号2型及び4号3型を通じ、いずれも現地に於ける装備場所の選定並びに装備方法は実用上に実に重大な影響を持つもので、装備に対する注意事項を詳細に記した装備要領書を特に作成し、且つ指導班を派遣して直接指導に当らせる等あらゆる注意が払われた。なお空中線装置の調整は、特に熟練を要するので、試験発振器を附し、調整を便にした。しかしてこの装置は後独逸から送付された距離方向自己鑑査装置たるレーボック装置と同じものを作り置き換えられた。

 終戦近くになって波長1.5mのこの兵器は、米空軍に依り有効なる妨害電波を受け使用不能となった。これが対策は色々と樹てられたが遂に実用に至らなかった。 [8]



電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

仮称四号電波探信儀三型(L 中間製品) 略号:UF-430、波長:1.5m、送信出力:10KW
空中線(送信):丁三型(H1x1、探照灯管制機上に装備す)
空中線(受信):丁四型(H1x1x4、探照灯前面に装備す)、90cm、110cm、150cmの3種類
探照灯指向用のもの。現在生産中。

仮称四号電波探信儀三型改一(L1) 略号:UF-431、波長:1.5m、送信出力:12KW
空中線(送信):丁三型(H1x1、探照灯管制機上に装備す)
空中線(受信):丁四型(H1x1x4、探照灯前面に装備す)、90cm、110cm、150cmの3種類
UF430を性能向上せしめたるもの。現在試作中。

S8A、6号1型(S8B、61号)

S8A
用途:陸上用対空火器管制
波長:60cm
ピーク出力:6kw
パルス長:2.5ms
パルス繰返数:3750cps
アンテナ:2.9mパラボラアンテナ

6号1型(61号/S8B)
用途:地上用味方機誘導
波長:60m
ピーク出力:10kw
パルス長:2.5ms
パルス繰返数:1000cps
アンテナ:7mパラボラアンテナ

 S8Aは1944年9月から12月にかけて開発され、その後を受けて1944年12月から1945年4月までS8Bの開発が行われた。この2つのレーダーは、放電二極管(gas discharge tube duplexers)と送受信兼用の1つのアンテナとで構成されていた。S8Bは元々味方機誘導用に開発されていたのだが、より波長の長い対空火器管制レーダーの開発が行き詰まってしまった為に、対空火器管制用に用途変更された。表示装置は、方位角と仰角にはピップマッチング、測距には拡張正弦スイープ、捜索にはAスコープが使われていた。これらのレーダーは、明らかにドイツの影響を受けていると言える。[1]




仮称2号2型(22)




左右:潮岬に配備された22号?電探、[15]より

長後学校の22号、[2]より
[10]より

波長:10cm
ピーク出力:2kw
パルス長:10ms
パルス繰返数:2500cps
アンテナ:ホーン
(スペックは改4のもの)

 これらのレーダーは元々艦載用機器だった。…[1]

 海軍の22号と32号は終戦にかけて配備されたものの、配備が完了したのは少数に止まったこのレーダーの設計は日本で使用されていたものの中では最も進んでおり、どちらもマイクロはを使用しているが、22号が海上見張レーダーで32号が対艦射撃レーダーである。どちらとも元々は艦載用で、試験用艦載レーダーとして米国でも1944年から知られていた。日本海軍は32号を沿岸砲台の管制に使用しようと計画を立てていたが、計画の実行をし始めたところで終戦となってしまった。装置が小さい為、通常の縮尺の航空写真からは判別は困難か、恐らくは不可能である。 [2]



2号電波探信儀2型:

 この兵器は、波長10cmを使用し、艦船用対水上見張りとして計画されたもので、最初はダイポール空中線を奥行きの長い放物線面反射鏡(仮称鯖)を附し、送受信機が空中線と一体となって居り、部屋と共に回転する方式のものである。103号と仮称された。昭和17年5月日向に装備して、実験を行い、その儘キスカ進攻作戦に進撃し、実験員もこれに参加して一応の成績を収めたのであるが、不安定なるがため取扱に熟練を要し、且つ墻上装備としては重量容積が過大であった。

 その後本機は、対潜見張用として、小型艦艇に装備する要求が出た。依って全体に構成を変更し、電磁ラッパ及び導波管を使用することに改めた。即ちラッパを載せた旋回装置を使用し、これを艦の高所に置き、本体を下方の電波探信儀室に装備し、電磁ラッパのみを旋回する方式が取られたのである。これは昭和17年10月に完成し、2号2型改2と呼ばれ、駆逐艦、海防艦、駆潜艇及び掃海艇に対し、月産4、5台程度で整備されるようになった。しかしこれも依然として安定性に乏しく、使用者はその取扱に苦労し、装備調整も調整を専門とする技手の手を煩わさねば物にならぬと謂う状況であった。その後潜水艦用として電源に50c/sの交流を使用し小型化した2号2型改3が生まれ、昭和18年12月頃から逐次潜水艦に装備され始めたが、作動不安定なため評判悪く第6艦隊から邪魔になるばかりだから速やかに撤去して貰いたい等と電報が来るような状態であった。しかし昭和19年1月にオートダイン式受信機が完成して稍小康を得たが、水上艦艇用のものに対しては、更に送信機関係の故障対策として、変圧器類に改良を加え、量産に適するよう設計を変更し、これを2号2型改4と名付けた。昭和19年3月には緊急生産が下令され、続いて7月緊急整備が行われ、戦艦、巡洋艦を初めとして多数の艦艇に対して整備が行われた。

 更に同年7月には鉱石検波器を使用したスーパーヘテロダイン式受信機が完成し、その上に自己鑑査装置を付属せしめることに依り、著しく作動安定化し、且つ洋上に於いて調整用の目標の無い場合にも最良調整を保持することが出来るようになった。茲に於いて引き続きこの受信機の整備工事が実施され、研究試作に当った人員を南西方面に送り、水上艦艇に対し、受信機の換装工事と共に、電探射撃に必要な関連工事を行い、比島作戦準備として最後的修理再調整を行った。同年8月には、全潜水艦に対し新受信機の換装工事が急速に実施された。なお昭和20年に入ってからは単一導波管方式が実用化され、伊201潜水艦に装備された。しかしながら導波管関係になお問題が残されていた。

 この兵器は、送信並びに受信用真空管として、初めて磁電管を採用したため、取扱者が充分にこれを使いこなすまで慣熟するのに、相当の指導と時日とが必要であった。そのために特に昭南方面まで指導員が派遣され、又佐伯の防備隊へも指導員が派遣される等相当考慮が払われた。 [8]




電波探信儀名称付与標準案(昭和20年6月)[13]より

仮称二号電波探信儀二型 略号:UF-220、波長:0.1m、送信出力:0.5KW
対艦艇見張用として設計せられたるもの。現在千葉県布良に仮装備せらるる1台のみなるも、UF222に改造の予定。現在製造中止。

仮称二号電波探信儀二型改一 略号:UF-221、波長:0.1m、送信出力:2KW
UF220を一部改造送信出力を大とせるもの。現在実用せられず。現在製造中止。

仮称二号電波探信儀二型改二 略号:UF-222、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF221を一部改造、導波管及び旋回盤を使用し実艦装備を容易な如くせるもの。(略)。現在製造中止。UF224に移行。

仮称二号電波探信儀二型改三 略号:UF-223、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF222を簡易化し電源に500サイクル交流を使用し軽量化し潜水艦専用とせるもの。現在生産中。

仮称二号電波探信儀二型改四 略号:UF-224、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF222を量産向に改造せるもの。No.106よりNo.232の内67台。現在製造中止。UF224Mへ移行。

仮称二号電波探信儀二型改四(測距機付) 略号:UF-224A、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF224に測距機を加え測距精度を上げたるもの。No.106よりNo.232の内60台。現在製造中止。UF224Sに移行。

仮称二号電波探信儀二型改四(測敵用) 略号:UF-224S、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF224Aの指示装置を一部改良せるもの。No.233以降のもの。現在製造中のもの。

仮称二号電波探信儀二型改四(見張用) 略号:UF-224H、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF224Sの一部を除き簡易化し見張用とし小艦艇に使用のもの。No.233以降のもの。現在生産中のもの。

仮称二号電波探信儀二型改五(測敵用) 略号:UF-225S、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF224Sと同様の機器なるも送信機を一部改良せるもの。日立にて製造のもの。現在生産中のもの。

仮称二号電波探信儀二型改五(見張用) 略号:UF-225H、波長:0.1m、送信出力:2KW、空中線:一型(2個使用)
UF225SをUF224Hと同様簡易化せるもの。現在生産中のもの。

仮称3号1型(220)、仮称3号2型(105S2)、仮称3号3型(105S1)


左:32号電探[17]、右:32号電探[2]


波長:10cm
ピーク出力: 2kw
パルス長: 10ms
パルス繰返数:2500cps
アンテナ:パラボラ(220)、ホーン3本:送信用1、受信用2(105S2)
 10cmの射撃用レーダーは、基本的には22号のアンテナと表示装置を改良したものである。…(以下技術的に理解できないので略) [1]

 海軍の22号と32号は終戦にかけて配備されたものの、配備が完了したのは少数に止まったこのレーダーの設計は日本で使用されていたものの中では最も進んでおり、どちらもマイクロはを使用しているが、22号が海上見張レーダーで32号が対艦射撃レーダーである。どちらとも元々は艦載用で、試験用艦載レーダーとして米国でも1944年から知られていた。日本海軍は32号を沿岸砲台の管制に使用しようと計画を立てていたが、計画の実行をし始めたところで終戦となってしまった。装置が小さい為、通常の縮尺の航空写真からは判別は困難か、恐らくは不可能である。 [2]



 3号2型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を20数dbに増大した。左右2個の受信電磁ラッパの切替え装置としてはラッパの喉元で半円形のアルミニウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。
 3号1型は、3号2型が重量、容積大で、非現実的であるとの非難に対し、2号3型に使用した架台並びに反射鏡を使用し、導波管を架台内部に納め、本体は同軸ケーブルを用いて接続し、空中線装置のみを回転する方式のものである。
 3号3型は既装備の2号2型に小改造を施し、従来の有効距離を短縮することなしに、測角、測距精度を要求値に高めんとし、従来の旋回装置に矩形電磁ラッパを取付け、受信電磁ラッパを円筒式切換器に依って切換え、旋回部に二重同軸ケーブルを用いて従来の導波管をその儘使用するものである。
 しかし、3号1型及び3号3型はいずれも完成の時機を失し、実装備を見ずして、終戦となったのである。 [8]




参考文献・リンク

[1] E-03 Land-based Radar / E-12 Experimental Radar / E-16 Antennae / U.S.Naval Technical Mission To Japan
[2] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[3] 海軍レーダー徒然草、http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/
[4] 間に合わなかった兵器 徳田八郎衛/著 東洋経済社(文庫版は光人社)
[5] 「防空砲台施設計画並に実施要領」 海軍施設本部 防衛省戦史資料室/蔵
[6] 「特設見張所(戊)(兵装)施設標準」 海軍施設本部 防衛省戦史資料室/蔵
[7] U.S. Radar / Operational Characteristics of Radar Classified by Tactical Application FTP 217 / http://www.history.navy.mil/library/online/radar.htm
[8] 「日本無線史」 1951年、電波管理委員会
[9] 「Photograhic Interpretation Handbook - United States Forces, Japanese Electronics 15 March, 1945」, Photographic Intelligence Center, Division of Naval Intelligence, Navy Department, 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R64
[10] 「Translation No. 61, 18 May 1945, land-based AA gunnery manual」  国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB-10 R15 568-702
[11] 「Bulletin on Japanese radar, 30 May 1945」  国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB10 R55 618-645
[12] 「電波探信儀及電波探知機装備工事心得」 アジア歴史資料センター、リファレンス番号:A03032172600
[13] 「電波探信儀名称付与基準案」 アジア歴史資料センター、リファレンス番号:A03032270600
[14] 「仮称4号電波探信儀3型 取扱説明書」 E兵器 475 防衛省戦史資料室/蔵
[15] 「(写真資料、室蘭等)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB13 R315、R316
[16] 「(写真資料、トラック島)」 国会図書館憲政資料室、マイクロ番号:USB-13 R311A R312
[17] 「日本大空襲」、月刊沖縄社
[18] AUSTRALIAN WAR MEMORIAL https://www.awm.gov.au/
[19] 「仮称3式1号電波探信儀一型装備要領書(案)」E技術 研究資料 824 防衛省戦史資料室/蔵
[20] 「假稱1號電波探信儀4型A 装備工事要領書(案)」E技術 研究資料 329 防衛省戦史資料室/蔵