高知航空隊 防空砲台

2009.2.8 探索







左:砲座Aの北東側、右:同左南東側



左:砲座Aの南西側、右:同左北西側



左:砲座Aの南側、砲側弾薬庫と南への連絡路、右:西への連絡路



左:北西側の砲側弾薬庫、右:同左内部



左:砲座Aの南東側、右:同左南西側



左:砲座Aの南東側の土塁を北から、右:同左を西から






左:Bの西側の石垣、右:Bの北側の石垣



左:Bの北東側の円形窪地、右:平坦地B



左:Cの土塁を北から、右:Cの南下の方形窪地



左:方形窪地の壁面、右:東側の出入口






左:砲座D、ゴミと草に覆われている、右:西側への連絡路跡



左:南側への連絡路、右:同左を南下から



左:西側の尾根にある銃座その1、右:同左



左:銃座その2、右:同左



左:Eから牛舎を望む、右:E付近の窪地、怪しい







米軍の航空写真(左:M211-163、右:R24-3、いずれも国土地理院)





戦争末期に高知航空隊のあった高知空港の、西側にそびえる鉢伏山から東に伸びる尾根の端、千屋崎病院の北側の標高約90mの高台に高角砲陣地があった。高知航空隊から西に3km程のところである。現在は牧場になっており、半分以上が埋められてしまったものの、砲座が1基ほぼそのままの形で残っている。

砲座Aは内径約8m、西と南に連絡路が出ており、また四方に砲側弾薬庫(内側の寸法100×70×120cm)が作られている。砲側弾薬庫は1ヵ所以外は破壊されている。
砲座Aの西側は平坦地Bになっている。西側と北側に石垣が、また北東側に内径約2mの円形窪地がある。位置からすると指揮所かと思われるが、肝心な部分の破壊が大きくてわからない。
更に西側は平坦地Cがある。南西側に円形土塁の残骸らしきものがある。初めは砲座を埋め立てた跡かとも思ったが、航空写真では砲座は写っていないので何なのかは不明である。またCの南下には東側に出入口のある方形窪地がある。待避所だろうか。
Cの西側には砲座Dがある。牧場の方の話によると、昔はここに砲座があったものの、ゴミで埋めてしまったそうで、現在では地形が判り難くなっている。ただ西側と南側に連絡路が出ており、また草の上を歩いてみると、ほのかに円形窪地になっていることがわかる。
砲座Aの北側Eにも窪地や土塁らしきものがあるが、戦後の畑の貯水槽なのか砲台の施設跡なのかは判らない。

また、牧場から西側に尾根を少し登った場所にあるビニールハウスの付近に、2ヵ所の円形窪地がある。いずれも内径が約2.5mで、恐らくは機銃の銃座かと思われる。



終戦後の航空写真を見ると、北側に向かって4基の砲座が写っている。この内、残っているのは南側の2基で、北側の2基は牧場建設の際に埋められてしまったようである。

注意:
現在は牧場になっており、道も牧場までの車道がついているので登りやすい。ただ牧場の敷地内にあるので、事前に連絡したり牧場の方に声をかけるなどして見学の許可を取るように。




日付 引渡目録による記事
昭和20年8月 引渡:
12cm高角砲4、12cm高角砲弾90
25mm連装機銃2


その他(高知航空隊の防空兵器関連、航空機のものは除く)
12cm高角砲弾(吾岡山800)
25mm連装機銃(日章村陣地5、第2練習生兵舎1)
25mm単装機銃(高知飛行場6、第2練習生兵舎7)
25mm機銃砲弾(第2練習生兵舎23240、日章陣地4800)
13mm機銃(高知飛行場9、第2練習生兵舎40)、13mm機銃弾72250



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