玉島(高山) 防空高角砲台




左:西側の砲座Aの東側、右:西側の砲座Aの西側



左:砲側弾薬置場、右:砲側弾薬置場



左:砲側弾薬置場、右:砲座の底



左:西側の砲座Aの南西隅、右:西側の砲座Aの西隅



左:西側の砲座Aを南側から、右:砲座Aへの出入口脇のコンクリ壁



左:東西の砲座の中央部付近、右:東側の砲座Bの跡



左:平坦部の東側、右:平坦部の中央付近から西側の砲座A方向を望む



左:東下斜面の待避所C?、右:同左



左:射撃用電探の擂鉢状地形Eの跡、右:擂鉢Eの北縁を西側から



左:擂鉢Eの北縁を北側から、右:同左



左:擂鉢Eの北縁を南側から、右:擂鉢Eの中央部



左:西下の防空壕Fの入口、右:同左内部



左:防空壕Fの入口付近の壕を北から、右:同左を南から



左:山を西から、右:同左



右:米軍の航空写真(R507_3-25、国土地理院)



左:米軍の航空写真(USB15-R13-197、国会図書館)


地形は残っているものの、砲座は1ヶ所しか残っていない。また地下壕を1ヶ所けたが、他にも藪で入れない場所に幾つか存在するものと思われる。
南北に平坦部がそれぞれあり、南側には砲座が、北側には電探施設があったようである。

まず南西端に砲座Aがある。かなりハッキリと残っている。造りは螺山の10cm連装高角砲のものとほぼ同じだが、連絡用通路の痕跡は何もない。この砲座Aの北西下に兵舎と思われる平坦地Dが航空写真から確認できるのだが、すっかり忘れていて探索していない。

南側の平坦地の東側半分は藪になっており、鎌・鉈が無いと探索は難しい(季節がら、筍ドロボウと間違われるのも何だったので、この時は鉈は持っていかなかった)。南東端に辛うじて砲座跡らしき窪みBが残っている。写真では何の事か判らないが、一応深さは2mくらいある

東下の斜面に、南東端にある社へ通じる道がある。その途中に斜面を削って作った何らかの構造物Cがある。出入口のような土塁もあるので、待避所か弾薬庫か何かかと思われるが、確証は何も無い。

くびれ部の北側に平坦地Eがある。航空写真ではここに射撃用電探の擂鉢状地形が写っており、元々は緩やかに窪んでいたと思われるのだが、現在では殆ど平地である。北側に辛うじて土塁らしきものが残っているが、藪に埋もれていて地形を把握するのが難しい。

戦争遺跡の資料や航空写真などから、更に北側にも何らかの遺構があると思われるのだが、北斜面に回りこむ道が藪に覆われていたので諦める。


山から下りる道の脇に、地下壕Fがある。半分埋もれていたので中には入らなかったが、この砲台を紹介した資料にある防空壕かと思われる。用途は判らないが、発電施設か弾薬庫だろうか。




日付 引渡目録による記事
昭和20年8月 引渡:
 98式10cm連装高角砲2基
 3式陸用高射装置1
 4式射撃装置1
 射撃用電波探信儀1



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