浦田 聴測照射所?


2009.5.9 探索記録を追加





左:Aの窪み、右:Aの石垣の東側



左:Aの石垣の西側、右:同左の南側



左:C付近を北側から、右:C付近



左:円形窪地Bを北側から、右:同左を東側から



左:円形窪地Bを東側から(少し引きで)、右:Bの南側の土塁?



左:Dにある手水鉢、右:道の脇にある百度石





右:米軍の航空写真(M551-20)


航空写真で怪しい怪しい場所を探索してみたものの、これといってハッキリとした遺構は見つからなかった。ただ微妙な部分もあったので一応まとめておく。

この場所は元々神社だったようで、Dに手水鉢や道の脇に百度石がある。この手水鉢には天保の年号が彫られているので大分古いもののようだ。しかし神社にしては一部の石垣の形状がおかしく、特にAのような弧を描いたような石垣をしていることは普通には無い。またこの弧の中央には用途不明の窪みが付けられている。
南西端には円形窪地Bもある。内径は約3m程で、北側はハッキリとしていないものの、南側は半円形の土塁がつけられている。
しかし、Aを聴音機用の大型円錐部、Bを探照灯用の円形窪地としてしまうには形が余りにも中途半端である。地元の人の証言が取れれば良いのだが、山の南側で出会った2人に声をかけてみたが、いずれの方もご存知ではなかった。



「倉敷の戦跡」によると、福田町浦田の山頂に探照灯と聴音機が配置されていたとある。直径10mの擂鉢状の底に探照灯が置かれていたらしいが、これは恐らくは聴音機ではないかと思われる。現在では畑になっているとある。

引渡目録には浦田に関する記事が無いが、倉敷航空隊内に保管されていた96式150cm探照灯・ヱ式空中聴音機各1がそれにあたるのかも知れない。



日付 引渡目録による記事
昭和20年8月 引渡:



ここから以下のページへいけます。